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その先を何と言っていいのか分からない様に、シエナが言葉を失くす。
ミーシャはそっと一つ頷いて、口を開いた。
「あの日──兄の身辺を守るはずだった騎士に、逃がしてもらいました。
城の外へ続く地下道を一人で逃げて……その途中で、亡くなっていたダルクさんを見つけました」
言うとシエナがほんのわずかに身動ぎする。
ミーシャは重く、すぐに止まってしまいそうな口を開いて続ける。
「その持ち物に名前が彫られていて……それで、その名をお借りしました。
でも………。
私が使っていい名では、決してなかった。
──……今日、ヘイデンさんにお会いして……言われました。
リッシュにとってサランディールは鬼門だ、サランディールにも、元ではあるけれど、その国の王女だった私にも関わってほしくないと。
私がヘイデンさんでも、同じ事を思うわ。
だから──明日の朝、リッシュが起きてくる前に…ここを立とうと思います」
ようやっとの事でそこまでを告げる。
シエナは瞬きも忘れて、ミーシャを見つめていた。
どくどくと、自分の脈を強く感じる。
次にシエナがどんな言葉をかけてくるか──厳しい言葉は、ある程度覚悟はしていた。
『なんであんたの様な人間がリッシュのそばにいたのさ』
『全部を知ってて、よくもまぁ平気な顔してのうのうとここにいられたもんだ』
『さっさと出ていっておくれ』
けれど──。
シエナが……少しの沈黙の後にかけてきた言葉は、そのどれとも違っていた。
「──あんた、本当にそれでいいのかい?」
冷静な、けれど真剣な口調だった。
ミーシャを責める訳でもない。
ミーシャは……思わず二度も瞬きをしてシエナを見つめた。
そのつもりです、と言いたかったが、喉から先に声が出てこない。
シエナは続けた。
「行く宛は?
頼りに出来る様な人間は、いるのかい?」
「……それは………」
思わず、言葉に詰まる。
それでも、口を開いた。
「……ここへ来る以前に、戻るだけです。
あちこちの街を放浪しながら、ギルドの仕事をしようと思っています」
「……リッシュは?
あの子、あんたの事を全部聞いて、それで止めもしなかったのかい」
リッシュに怒る様な口調で言ったシエナに、ミーシャはふるふると頭を横に振る。
そうして頭を垂れた。
膝の上に握った拳にぎゅっと力が入る。
「~リッシュには……私がサランディールの者だという事は、話していません。
──どうしても言えなかった……。
嫌われてしまうのが……疎まれてしまうのが、怖くて……」
そこから、声が出なかった。
ぽたん、と一粒の涙が握った拳に落ちるのを、止める事が出来なかった。
「──ミーシャ……あんた……」
シエナが口を開く。
そうして……それ以上は何も言わず、そっとその華奢な肩を抱いてやった。
そうして慰めてやりながら──シエナはヘイデンの姿を思い浮かべた。
次にやる事は、もう決まっていた──。
◆◆◆◆◆
リリリリリ、と受話器越しに音が鳴る。
ミーシャが泣き疲れて眠ってしまった後──夜は大分遅くなっていたが、シエナはギルドの電話機でヘイデンへ電話をかけていた。
トントントンと指先でカウンターを叩きながら。
程なくして、カチャリという音がして、電話が取られる。
『……はい。
こちらはヘイデン・ハント様のお屋敷ですが』
少しの間の後、声が言う。
ヘイデンの執事の老人だ。
恐らくは寝ていたのだろう、ほんの少しいつもより声が呆けている。
シエナは けれど、何の悪気もない様に口を開いた。
「ギルド協会のシエナだよ。
悪いがヘイデンに繋いでくれるかい?」
『──シエナ様。
生憎ヘイデン様はすでに就寝中でございまして……』
「ああ。
もちろん分かっててこうして電話をかけたんだよ」
きっぱりと言うと……老執事が少しの間黙り込む。
けれど、返ってきた返事は、
『──かしこまりました。
少々お待ち下さい』
だった。
老執事が少し電話を置いてから……しばらくの後。
『───シエナ。
一体何時だと思って………』
言いかけたヘイデンの言葉を遮って。
「──今日、リッシュとミーシャに会ったよ。
二人とも今はギルドに泊まらせてる」
シエナがピシャリと言い放つ。
電話の向こうで、一瞬声が止んだ。
それから、
『──そうか』
ヘイデンが言う。
シエナはその何でもない調子にムッとしながら、続けた。
「あんた、あのミーシャって子に随分酷な事を言ったみたいじゃないか。
あの子はただサランディールの王族に生まれ育った娘っていうだけだろ?
ダルクの死には何の関係もないっていうのに、リッシュにこれ以上関わるな、だなんて ちょっと酷すぎるんじゃないのかい?」
怒り混じりに文句を言ってやると、ほんの少しの沈黙の後、電話の向こうでヘイデンが一つ嘆息した。
こんな夜中に電話をかけてきたのはそんな理由か、と暗に言われた様だった。
それにまたもやイラッとしながら答えを待っていると、ヘイデンは言う。
『──あの娘がダルクの件に関係がなかった事は信用している。
当時はリッシュと同じ程の年の子供だったしな。
だが──』
言い差して言葉を溜めるヘイデンに、シエナは受話器を耳に押し当てたまま眉を寄せた。
『──あの娘が、以前のサランディールと同じ事をリッシュにしないと、誰が断言できる?』
問いかけてくる。
その問いは、いつも通りの淡々としたものだったが、そこには別の感情が織り交ざっていた。
疑念と悔恨、だ。
シエナが口を開こうとする前に、ヘイデンは続ける。
『俺は──あんな事は二度と御免だ。
……話がそれだけなら切らせてもらう』
言ってくる。
シエナがそれに 「あっ、ちょっと、」と声をかける合間に。
カシャンと容赦なく電話が切れる。
ツー、ツー、と音がする受話器を耳から外し、眉を寄せて見つめながら……シエナは仕方なく、その受話器を電話機の上に戻したのだった──。