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◆◆◆◆◆
『──ごめんね』
どこかから、声がする。
辛そうな声だ。
『私は、ダルクさんじゃないの………』
声が言う。
俺は──その声の主を引き留めようと手を伸ばす。
だが────。
◆◆◆◆◆
「~ダル!」
バッ、と俺は勢いよく起き上がる。
とたん。
目の前いっぱいに、でーんと犬カバの顔が現れる。
「~うおっ!?」
「~クヒッ!?」
思わずビビって後ろにのけ反ると、犬カバも同じくらいビビってビョーンとその場で跳ね上がる。
俺は……バクバクする心臓を抑えて、着地した犬カバに向かって言う。
「……なん、だ……犬カバじゃねーか。
ビビらせやがって………」
言って、辺りを見渡す。
そーして眉を潜めた。
「つーか……ここどこだ……?」
質素だが中々値打ちもんっぽい家具や、ふかふかのベッド。
何か、どっかで見た事ある風景のよーな気もするが……たぶん、知らねぇ場所だ。
と、ベッドにつけた手が、何かに当たる。
俺はいぶかしみながらそいつを見やった。
ダルクの手帳だ。
……そーいや俺、飛行船見に行ったんだっけ。
ふいに思い出す。
ダルと一緒にこの手帳を見つけて──それで──
気ぃ、失っちまったのか。
俺はふぅ、と一つ息をついて脇に置かれた赤い手帳を手に取る。
擦りきれた手帳は、俺の手によく馴染む。
「ダルは?」
ふと思い至って、犬カバに問う。
急に倒れちまって、たぶんそーとー迷惑かけただろう。
それに、なーんか妙な夢見たんだよな。
どんな夢かはまったく思い出せなかったが、どーにもこーにも後味の悪ぃ……そんな夢だった。
「クヒー………」
犬カバが珍しくしょんぼりと返してくる。
……なんだぁ?
思わず眉を潜めて犬カバを見る。
と──部屋の外から、足音が聞こえた。
重たい男の足音で、かすかに杖をつく音もする。
~ヘイデンか。
気づいて、さっと手に持っていた赤い手帳を懐に隠す。
部屋の戸がカチャリと開く。
入ってきたのは──案の定、ヘイデンだった。
ヘイデンが、部屋の中に入ってきて──そーして、俺が起きてる事に気づいたんだろう、眉を寄せて見せた。
そーして口を開く。
「──目が覚めたのか」
「………おう」
何となく気まずく思いながら、一言答える。
そうしながら、ふと思い至った。
「……ここ、あんたの屋敷か。
運び込んでくれたんだな」
たぶん、そーゆー事だろう。
案の定ヘイデンはほんの少し肩をすくめてみせる。
俺は……ふと、最初に気になっていた事を再び、今度はヘイデンに問う。
「──そーいや、ダル…………」
言いかけて、俺はくるんと目を回して「ミーシャは?」と問いかける。
ヘイデンの眉がほんのわずかに寄りかけた気がしたからだ。
まぁ、ダルクってーのは偽名だったしな。
まだ偽名で通そうとすんのかって思ったのかもしれねぇ。
それにしても……ダルの事、“ミーシャ”って呼ぶのは何か慣れねぇぜ。
軽い気持ちで聞いた俺の問いに──ヘイデンは少しの間を置いて、言う。
「──彼女は、もうここにはいない。
どこへ行くとも言ってはいなかったが……これから先、二度とお前の前に姿を現す事はないだろう」
淡々と、言ってくる。
俺は思いっきりヘイデンの顔を見て……
「……はぁ?」
と一言で疑問を口にする。
「俺の前に姿を現す事はねぇって……そりゃ一体、どーゆー訳だよ?ダルは………」
「──彼女はダルクではない」
言いかけた俺の言葉を遮る様に、ヘイデンがきっぱりと言ってくる。
俺は思わず言葉に詰まってヘイデンを見た。
「──彼女は、ミーシャ殿だ。
ダルクの代わりをさせるのはやめろ。
それに……彼女はサランディール王家にまつわる方だ。
リッシュ、お前この国の名を聞いても本当に何も思い出さないのか?」
ヘイデンが言ってくる。
俺は……困ってヘイデンを見上げた。
俺がダルを……“あいつ”の代わりにしている?
サランディール、王家?
それに……サランディールの名を聞いて、何を思い出すって?
言っている意味がまったく分からねぇ。
だが……どーいう訳か、その全ての言葉に胸が痛ぇ。
俺は……絞り出すように、分かりきった事から声を上げる。
「~俺は……あいつの事をダルクの代わりにしよーなんて、これっぽっちも考えた事なんかねぇよ」
「本当にそうか?」
ヘイデンが、静かに聞いてくる。
その声は全てを見透かしちまいそうで……俺はカッとして、
「ああ、そーだよ!」
とバッとベッドから立ち上がり、ヘイデンを睨む。
だが、相手にならねぇ事はよく分かっていた。
俺はぐっ、と一つ息を飲んでヘイデンから顔を逸らし、ズカズカと部屋を横切っていって戸を開ける。
「クヒッ!?」
俺の後から犬カバが慌てた様にくっついてきた。
「あいつを探しに行く。
どーせ てめーが何か下らねぇ事か何か言って、あいつを追い出したんだろ」
そこにサランディールとやらが絡んでんのかどうかは分からねぇが、どーゆー訳かそんな気がして言ってやる。
俺は最後に──振り向き際にヘイデンの顔を見た。
かなり不満そうな表情だ。
ヘイデンは不満があっても大体口に出さねぇ。
ただ言いたい事がある様な顔をして、何も言わねぇ。
昔からそうだ。
考えて──
──昔から?
俺の頭に疑問が浮かぶ。
だが俺は浮かんだ疑問を完全に無視してヘイデンへ向けて言ってやる。
「じゃーな!」
それだけ言って、バタンッと戸を閉め、ズカズカと廊下を歩いていく。
入ったことのねぇはずの場所なのに、どこが玄関かも迷わず進める。
犬カバが てこてこてこ と俺の足に合わせて少し後ろをついてくる。
と、俺が玄関口まで来た所で。
「おや、リッシュくん、目が覚めて──」
執事のじーさんが俺を見つけて言う。
だが俺はそいつをすぐに追い越しながらパタパタと手を振ってやり過ごした。
そーして……ふと思い至って、ちょっと戻ってじーさんに問う。
「ダル──俺と一緒にいた黒髪の子なんだけどよ、どこに行ったか知らねぇか?」
問うと──じーさんがちら、と廊下の先の部屋を──恐らくはヘイデンのいる方を──見やる。
そうして、ヘイデンに届かない様に小声で俺に返してきた。
「行き先は存じておりません。
当人にも行くあてがある様には見えませんでした。
ですが、方角は北東に続く道を行きましたよ」
言ってくれる。
そうしてちょっと微笑んでみせた。
「彼女がここを出てから、まださほど時間は経っていません。
急いで行けば、充分間に合うかと」
「……ありがとう!」
言って、俺は犬カバと共にヘイデンの屋敷を出る。
そうして執事のじーさんの言う、北東の道を走り出したのだった──。