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── 一年後……。
「おい!あっちに逃げたぞ!」
「追え!逃がすな!!」
グラサンに黒いスーツ、ついでに揃いも揃ったオールバックの髪の男二人が、通りをバタバタ駆けて行く。
俺はそれを寂れた鉄階段の影に隠れたままやり過ごし、ふーっと深く息をついた。
そうして少し長くなっちまった金茶の前髪を軽くかき上げ、顔をしかめ呟く。
「~まっずいよなぁ、俺」
一億ハーツなんて大金を極悪金貸しゴルドーに借り受けたのはもう一年前。
そいつをもうちょい膨らませよーとギャンブルに手を出したのが全ての誤りだった。
一億ハーツはたったの五時間でゼロになり、俺は全てを失った。
そこからどーにかこーにかやっては来たが、一億ハーツなんて大金がそうそう簡単に手に入るわけもねぇ。
仕方なく逃げることに決めたのは良かったんだが。
俺はくしゃりと、町に貼られていた出来の悪い紙質のポスターを懐から取り出す。
くっそぅ、と悔し紛れに声をあげた。
そこに書かれていたのは、俗にいうイケメンなこの俺のセピア色の顔写真と、黒いインクで書かれた文字。
すなわち──
指名手配
リッシュ・カルト 17才
生死問わず
そして──
報償金───一億ハーツ!!!
まったくゴルドーの野郎何考えてやがんだ!?
俺に一億ハーツの賞金かけるくらいなら、金を貸してたこと、チャラにしてくれたっていいじゃねーか!
ゴルドーにとっちゃ二億の損失だぞ!
しかも生死問わずって…!
そんでもよくよく思い返してみると、だ。
あいつから金を借りる時、俺、二億の保険金をかけられたんだよな。
『一年後にきっちり返せばなんの問題もない。
保険も金を返した時に取り消してやるから安心しな』
ってのがゴルドーの主張だった。
俺は妙に思ったもんだ。
妙に思いはしたが──、
──ま、ほんとに意味合い的には『保険』だろ。
そう、簡単に考えていた。
普通ならこんな保険に意味はない。
だってそうだろ?
保険金の受取人が、相手を殺しておいて金を受け取れるわけがねぇ。
定かじゃないが、きっとなにか裏で手を回して、俺に懸賞金をかけて殺しても保険金をもらえる手はずになってんだな。
まったく色々ムカつく野郎だぜ。
それはともかく、だ。
「さて、どーしたもんかな」
この賞金首ポスターのせいでこの頃じゃゴルドーの手先だけじゃなく、そこらの賞金稼ぎからも命を狙われる毎日だ。
正直このままじゃおちおち眠れもしねぇ。
なにかいい手は…なんて考えながら、俺はさっき撒いたばかりのスーツ男たちの気配に気づき、慌ててその辺の廃墟の中へ身を隠す。
この辺りは旧市街ってだけあって人通りもなけりゃ家も建物も壊れかかってる。
隠れる場所はいくらでもあった。
俺は、そーっとすぐ近くにあった民家らしい建物の戸に手をかけ、ほんのちょっと開けてさっと中へ滑り込んだ。
すぐに、戸を閉める。
戸が少しはきしむかと思ったが、案外何の音も出さなかった。
ラッキー、と思いつつ俺は、玄関口から部屋の中へ、そうっと足を踏み入れる。
そうしながら、妙なことに気がついた。
外側の壊れかかった、打ち捨てられた民家の外見とは裏腹に、中は案外きれいなもんだ。
さすがにほこりは床にも家具にも積もっちゃいるが、どこも傷んじゃいねぇし。
今現在もここで誰かが生活しててもおかしくねぇくらいだ。
現に、玄関を入ってすぐ、キッチンのコンロの上には鍋が。
テーブルの上には「これから夕食ですよ」と言わんばかりにナイフやフォーク、干からびた何かが乗った皿。
ワイングラスの中には液体まで入ってやがる。
眉を寄せながら近づくと、皿の上に乗っていた干からびた“何か”は元は野菜だったらしい事が分かった。
ワイングラスには元々は八分目くらいまで入ってたんだろう、グラスの中にうっすらと輪じみが幾層かに渡ってついていた。
グラスの隣には栓の空いたワインのビンが置かれてる。
俺は眉を寄せたままそいつを手にとって年代を見る。
今から150年も前に作られたワインだった。
まったく、惜しいったらないぜ。
栓が空いてなけりゃ、そこそこ高く売れたかもしれねぇのに。
年代物だしな。
──って、待てよ?
案外どこかに、まだ栓が空いてないやつが残ってるかも…。
考えて、俺はちらっと壁際に置かれたガラス張りのチェストを見やる。
ビンゴ!
そこにはご丁寧に4本のワイン瓶が並べられていた。
俺はうきうきしながらガラス戸を開き、瓶を手に取る…が、
「──ありゃ?」
やたら軽い。
目を丸くして栓を見ると、なんと栓が抜けていた。
瓶の口から中を片目で覗き見る…が…
「~なんだよ、一滴も入ってねぇじゃねぇか」
俺は次々に他の瓶を手にとって中を確かめてみた。
けど、どれ一つとして中に液体が入ってるもんはなかった。
まったく、飲み終わった瓶だけ丁寧に残しとくってどーいう趣味なんだよ。
がっくりしながら瓶を戻して、俺は改めて部屋の中を見回す。
ふかふかした絨毯に、高級そうな家具。
何で空のワインボトルを んなとこに置いたのかは謎だが、元々このワインたちも見るからに高そうな代物だ。
ここには金持ちが住んでたんだな。
どんな理由でここを出ていったのかは知らないが、食事の状態といい、いきなり思い立ってどこかへ出たんだろう。
少し席を外しただけだったはずが、そのまま永遠に帰ってくることがなかった。
そんな風だ。
ま、どこに行ったんだか知らねぇが…こいつは案外“あたり”かもな。
ワインはだめでも、金目のもんくらいはあるかもだぜ。
こういうことに関しちゃ、俺は運がある方だ。
ゴルドーの手先から逃げる途中、こんな金持ちの家に潜り込んじまったのも何かの縁だ。
よーし、ちょっと調べてみるか。
俺はいそいそと二階への階段を探して上り、上階へ上がる。
上がるとすぐにまっすぐな廊下が伸びて、廊下の両側には二つずつ、計四つの部屋の戸があった。
とりあえず、すぐ手前の右っ側の戸を開けてみることにした。
相変わらずのふっかふかの赤い絨毯に、クリームの色地の小花柄の壁紙。
カーテンには上質そうな緑色を使っていた。
洒落たアンティーク調のドレッサーや、クローゼット…。
どうやらここは若い奥方か何かの部屋らしい。
~ってことはドレッサーの中には宝石付きの指輪やアクセサリーがたんまり……!
ってな展開なら良かったんだが、実際はそうじゃなかった。
あったのは口紅やらなんやら、訳のわかんねぇ化粧品と、道具の数々。
さっと次の引き出しを開けるが、そっちにあったのもブラシとカーラー、ピンに、髪飾りの花のレプリカ。
そんなもんだった。
金目のもんとは言いがたい。
念のためにドレッサーの正面に立ってたクローゼットの方も開けてみる。
そこにはクローゼットいっぱいに、今の若い女が着ててもおかしくはないデザインの服が入ってた。
ワンピースに、シャツ、スカート…。
服の趣味からいうと、わりかし清楚系だったのかもな。
けど肝心の金目のもんは、やっぱりどこを探しても見当たらなかった。
はあっ、と悲痛に息をついて、俺はクローゼットを閉めてそいつを背に座り込む。
ま、しばらくはここに身を潜めて様子見るしかないな。
そう、考えた俺の脳裏に。
ピコン、とひらめくものがあった。
俺はパッと立ち上がってクローゼットに手をかけ、半身だけでドレッサーの方へ…正確にはその鏡の方へ振り返る。
男の割には細身で、顔立ちも細い自分の姿が正確にそこに映し出される。
この瞬間……何で んな事を思いついたのかは、今となっても分からねぇ。
俺は、この頃切りそびれて少し長くなっちまった、一つくくりの髪をほどき、クローゼットの中から適当に服を取り出す。
水色の、清楚なワンピースだった。
そうして鏡に挑戦するようにそいつを自分の顔の下へ持ってくる。
にっこり微笑んで見せると、鏡の中でも、若い娘にも見えなくはない美人が、にっこり微笑み返した。
──もしかしたら、イケるかもしれねぇ。