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ヘイデンの後に従ってリビングに着くと、すでに温かな紅茶とクッキーがテーブルの上に並べられていた。
テーブルの下では犬カバが尻尾を振り振り、出されたおやつをモリモリと食べている。
「──犬カバ……見ないと思ったら、こんな所でおやつを戴いてたの?」
半ば呆れながら問うと、犬カバが「クッヒー」と満たされた声で返してくる。
どうやら戴いたおやつがとても口に合うらしい。
ミーシャはそれに何とも言えず、大人しく席についた。
ヘイデンもミーシャの正面の席にかける。
「あなたの口に合うかは分からんが、適当に菓子も用意させた。
好きな様に食べてくれ」
「クッヒー」
犬カバも さも自分の出したものの様に「どうぞ」とばかりにヘイデンの真似をして言ってくる。
こういう所はまるでリッシュみたいだ。
……悪いクセが移っちゃったのね。
半ば呆れながら思いつつ、ミーシャはヘイデンに「ありがとうございます」と礼を言い、クッキーを一つ戴いた。
サクッとしていて、甘味も控えめでおいしい。
そういえばこんな風にティーブレイクを取るのはずいぶん久しぶりだった。
キレイなティーカップに入ったお茶も温かく、香りも素晴らしくいい。
ミーシャは ほっと一息つきながら、ヘイデンへ向かって言う。
「とてもおいしいです」
「そう言って戴けて光栄だ」
言いながら、ヘイデンも静かにお茶を飲む。
ミーシャはそんなヘイデンの様子をこっそりと見つめながら──そっと、口を開いた。
「あの──」
言いかけると、ヘイデンが何だとばかりにこちらへ顔を向ける。
ミーシャはそれに、思いきって尋ねる事にした。
「──リッシュの事……、よく知ってらっしゃいますよね?
あなたとリッシュは、どういう間柄なんですか?」
ずっと疑問に思っていた事を問いかける。
ヘイデンは……重く一つ、息をついた。
「リッシュは何と言っていた?」
「今の飛行船の所有者だ、とだけ」
言うとヘイデンが「そうか」と一口紅茶を飲み、どこから話していいものか考える様にしながらゆっくりと口を開く。
「間柄、と言われると難しいのだがな──それでも私とリッシュの間柄はと問われれば、友人の家の居候の子どもだった、という事になる」
ヘイデンが言う。
ミーシャはそれに小首を傾げて「だった?」と問い返した。
そうして思い直して、問いを変えた。
「──もしかしてその友人というのは……ダルクさん、ですか?
リッシュはダルクさんと同じ姓を名乗っていますよね?
だけど、ダルクさんは亡くなってしまったから──」
問うと、ヘイデンが重い息をついた。
「ダルクの死を知っているのか」
言われ、ミーシャは ええ、と静かに頷いた。
ヘイデンは……少し考える様にしながら、ミーシャに話を続けた。
「──初めから話そう。
……その上で、あなたには聞きたい事もある」
ヘイデンが、言ってくる。
ミーシャはきちんと姿勢を正してヘイデンを見つめた。
何となく、重要な話なのだという気がした為だ。
ヘイデンが静かに口を開く。
「──私がリッシュと出会ったのは、あいつがまだ幼い頃の事だ。
……私はそれ以前からダルク・カルトという男と知り合いだった。
奴の飛行船への出資をし……飛行船造り自体も共にしていた仲でな。
そのダルクが、リッシュを見つけたのが始まりだった」
ヘイデンの言葉に、ミーシャは小さく一つ頷いてヘイデンをまっすぐ見つめた。
彼にその様子が見えるはずもなかったが……ヘイデンは少しの間を置いて、続ける。
「──その頃はダルクの家に近い、草むらで飛行船を造っていた。
リッシュは偶然それを見つけたらしくてな。
気に入ったのか、毎日の様にこっそりと遠くの茂みからダルクや俺の作業を見ていた。
その内に……ダルクが声をかけたのだ。
飛行船に、興味があるのか、と」
ヘイデンの話に──ミーシャの脳裏にふんわりとその光景が浮かぶ。
草むらの中に置いてある飛行船。
その傍らで作業をするダルクやヘイデンの姿、そして、茂みから首を目一杯に伸ばしてそれを覗く幼いリッシュの姿。
リッシュに声をかけたダルクの優しい眼差し──。
ダルクの顔も、リッシュの幼い頃も知らないけれど、ミーシャはそっと静かにヘイデンの話に聞き入った。
ヘイデンが続ける。
「それから──話をする内に、リッシュの色々な事が分かってきた。
親も身寄りもなく、住む家もない。
名前はリッシュという事だけが分かったが、どこの生まれか、いくつなのか、自分の生まれた日も知らないという。
食事も満足に取れていない様だった。
そこで──それなら俺の家に住めばいい、とダルクが言い出した」
『うちは狭いしボロ家だが、寝床も食事もあるぜ。
そのかわり、タダ飯は食えねぇ。
飛行船造りのちょっとした手伝いや、家の掃除くらいはやってもらうからな』
そう、言ったのだという。
ヘイデンの言葉に、ミーシャは あっ、と思わず口元に手をやった。
その言葉は、この間リッシュがリュートに言った言葉とほとんど同じだ。
気づいてか気づかないでか、リッシュは昔の自分とよく似た境遇のリュートに、以前自分がかけられたのと同じ言葉をかけていたのだ。
ヘイデンは続ける。
「ダルク亡き後は、もう一人の飛行船の出資者だった男がリッシュを預かる事になった。
だがそれからしばらくして──リッシュは記憶を無くしてしまってな。
飛行船の存在だけは覚えていたが、ダルクの事も、私や、リッシュを預かる事になったその男の事も、何もかもを忘れてしまっていた。
……当時は今日の様に倒れる事も多くてな。
医者が言うには、何か大きなショックを受けた為だろうという事だった。
いつ思い出すか──あるいは一生、奴や私に関する事は思い出さんかもしれん。
リッシュはしばらくは男の所にいたのだが……その後 行方知れずになった。
飛行船をあの洞窟内で預かる事になっていた私の前にリッシュがふらっと現れたのは、ここ2~3年前の事だ」
ヘイデンが言う。
「……。それでリッシュは、ヘイデンさんの事を『飛行船の今の所有者だ』とだけ言ったのね……。
二人とも昔からの知り合いの様なとても親しい様子なのに、おかしいと思っていました」
ミーシャの言葉にヘイデンは──まっすぐにミーシャを見る。
その目に見えているはずはないのだが、その眼差しはミーシャの全てを見透かしてしまいそうな様子だった。
内心でぎくりとしながら見返したミーシャに、ヘイデンはゆっくりと、ミーシャの思いもよらなかった言葉を口にする。
「──サランディール国のミーシャ姫、」
突然、何の前触れもなしに言われ──ミーシャは息もつけずにヘイデンの顔を見た。
淡々とした表情。
ミーシャの心臓がドクドクと嫌な音を立てる。
妙な静寂が部屋の中を包んだ気がした。
と──ヘイデンが静かに笑う。
「──あなたの名を聞いた時から、どこかで聞いた名だと思っていた。
その様子だと、当の本人のようだな」
「………」
ミーシャは、目を大きくして何も言えずにヘイデンを見据える。
ヘイデンは言う。
「サランディールのミーシャ姫は、国王夫妻や第二王子と共に内乱で亡くなったと聞いている。
信頼に足る人物かも分からぬ男に本名を言う事が、危険だとは考えなかったのか?」