9
だが俺は──……未だ血の気が引いちまったまま、その場から一歩も動く事が出来なかった。
コッ、コッと一人の男が自然に割れた道を通ってレイジス達の前まで行こうとする、そのど真ん中に、俺はただ突っ立っていた。
男が、俺の目の前で足を止める。
そいつは──……俺とそう大して年の違わなさそうな男だった。
見たとこ一個二個年上、とかそんなもんだろう。
赤錆色の短髪に、色素の薄い金色の眼。
顔立ちは整っていて中々のイケメンだが、どこか得体の知れねぇ不気味さとか鋭さを感じる。
その金の眼が、俺を見る。
何の感情も込もらない、眼。
そいつはただ無感動ってんじゃなく、そもそも人間の感情を持ち合わせてねぇ様な──まるで残酷な神様とか死神とか、そういうのが取るに足らねぇ人間を見下ろす様な、そんな目だ。
犬カバが、そそくさと俺の後ろ側へ隠れる。
男の眼がその犬カバの姿を追おうとした、その時──。
「──……ノワール王、どうしてここに?」
俺の後ろからレイジスが、苦虫を噛み潰した様な声を上げる。
ノワール、王──……?
緋の王──……?
全く予想もしてなかった人物の名に──俺はただ立ち尽くしたままその男の顔を呆然と見る。
俺の足元で、犬カバがぞわわ、と毛を逆立てるのが分かった。
男は──ノワール王が、俺を無視して前へ進む。
俺はその邪魔にならねぇ様に身を一歩引いた──ってぇ意識は全くなかったんだが……。
気づいたらノワール王は俺のすぐ目を通過して、レイジスの前まで歩き去っていた。
ノワール王は、レイジスの前に着くとスッと自身の胸の前に手を当てて一礼する。
「ご挨拶が遅れ申し訳ありません、レイジス王子。
無事のご帰還、お慶び申し上げます。
丁度折しもノワール国とサランディール国との交易についての話し合いがあり、先日から貴国に滞在させて頂いておりました。
殿下はもちろん、我が婚約者、ミーシャ姫の息災なご様子に安堵しております」
礼に適った挨拶、だ。
声音はもちろん、立ち居振る舞いだって紳士然としてるが……。
何だか喉元に剣先でも突きつけられてる様な、ビィンと張り詰めた気配っつぅか空気を感じる。
ふと気づいたら頭と胴体が真っ二つに斬られちまってるかもしんねぇ……そういう空気だ。
つーか……。
さらっと言って退けたが、このさも当たり前の様な挨拶──……。
レイジスとミーシャが生きてたって事に、全く驚いてねぇみてぇじゃねぇか。
俺はレイジスの後ろに庇われてるミーシャの方を見るが……。
この位置からじゃあミーシャの様子も顔も、一切見る事が出来なかった。
レイジスは、もちろんこの違和感に気づいているんだろう、表面上は平静を装いつつ慎重に「ありがとう」と礼を言う。
「だが、些かタイミングが良すぎる様に思われるのだが。
それにその口振り……。
私やミーシャが今日まで生きていた事、近日中にこの城に戻ってくる事を知っておられたのかな?」
言うと、「まさか」と緋の王が笑う。
「本当に偶然ここに居合わせただけですよ。
私は感情を表に出すのがあまり得意ではないのでそう見えるのでしょうが、今もお二人が生きておられた事実にとても驚いています」
さらっと言ってのける言葉の全てがウソの様に思える。
レイジスの兄貴がそいつをどう解釈したかは実際にゃあ分からねぇが……。
恐らくこれ以上何か探っても無駄だと判断したんだろう。
緋の王から、セルジオを捕らえた二人の部下の方へと視線をやって、その目線だけでセルジオをそのまま連れて行く様指示を出す。
部下の二人はそいつを汲んで再び歩を進めかけたんだが……。
「──クロクスナー殿を反逆の刑に処するのですか?
国王不在の中、国を守ろうと尽力なされた方を?」
緋の王が、そんな言葉を投げかけて、再びその歩を止めさせる。
レイジスがそいつに──大きく片眉を上げて見せた。
珍しくも威圧的とも取れる態度だったが、緋の王にはこれっぽっちも利いた感じがしねぇ。
どころかうっすら笑って見せた。
「いや、失礼。
国の問題に私が首を突っ込むべきでない事は分かっているのですが、これではクロクスナー殿があまりに不憫ですから」
「……不憫、とは?
先の内乱を引き起こし、王と王妃を殺し、サランディール国を乗っ取った男が不憫、ですか」
レイジスの言葉端に、ピリリとした物が混じる。
俺は内心レイジスの『王と王妃を殺し……』の部分にゃあちょっとだけギクッとしちまったんだが……。
緋の王は──こいつは明らかにウソの同情と分かる顔で一つ息をついた。
「──やはりご存じないのですね。
内乱を引き起こし、サランディール王と王妃を弑したのは、クロクスナー殿ではありませんよ。
二人を殺めたのは──」
言いかける、緋の王に。
レイジスの二人の部下に床に組み伏せられたままだったジュードがガッと大きく動きを見せて抵抗する。
だがもちろん立ち上がる事すら出来ず、逆に強く押さえつけられて終わっちまう。
緋の王はちらとわずかばかりにジュードの方へ目線をくれたが、すぐにその視線も元に戻した。
口が再び開きかける。
俺は──俺は思わず足元の犬カバをちょいと足で小突く。
犬カバが俺の顔を見上げた。
俺も犬カバの顔を見て、そーして一つ頷いて見せる。
たぶんその間コンマ一秒とかそんなもんだったろう。
犬カバが『任せろ!』と目顔で合図したその瞬間、俺は緋の王の発しようとする第一声を打ち消す様に、
「~皆、この場から離れろ!」
声を上げ、片腕で自分の鼻を覆う。




