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俺が思わずそいつに見入る中、ヘイデンは言う。
「ギルドで資金集め、か。
大した稼ぎにはならんだろうが、“一攫千金級の依頼を請ければ”一億ハーツも夢ではないかもしれんからな」
俺の心を正確に見透かして、ヘイデンが言う。
俺がムッとして「悪いかよ?」と問うと、ヘイデンから「いや、」と言葉が返ってきた。
そうしてから、ヘイデンが飛行船の方を見上げる。
「──少し中を覗いていくか?
せっかく来たのだ、外観を遠目から見て帰るだけでは虚しかろう」
言ってくる。
俺は思わず「いいのか?」と疑い混じりに問う。
今までに、ヘイデンがこんな申し出をしてくれるなんて事は一度だってなかった。
俺も勝手に中を覗いてく事はしなかったしな。
だから──この飛行船の中を見るのは、俺の記憶にほとんどねぇくらい久々だった。
俺の遠慮がちな言葉に、ヘイデンは簡単に「構わん」と口にする。
俺は、ちらっとダルを見る。
ダルも俺を見ていた。
俺は──再び飛行船を見つめる。
ごくりと一つ、息を飲んでから。
俺は「じゃあ、」と口を開く。
「ちっとだけ見てくよ」
言いながら、チクチクと心臓が痛む。
ヘイデンがそんな俺には全く気づいた様子もなく、飛行船の側面にある、タラップを降ろすスイッチを押す。
すーっと滑らかに、きれいに磨かれた銀色のタラップが地面まで降りてきた。
ヘイデンがその横についてこちらへ顔を向ける。
俺は── ごくりと再び息を飲んで、飛行船に一歩、足を踏み出した。
一歩踏み出すと、二歩目が自然についてくる。
ドクドクと心臓が鳴る。
半ばキンチョーしながらタラップの手すりに手をかけ、ゆっくりと段を上がる。
甲板まで上がると、俺はそこからの眺めに思わず我を忘れちまった。
洞窟内に取り付けられたライトが、全てこっちを照らしている。
見えるのは岩肌ばかりだが、飛行船の下にいた時よりかなり高さがあるから、全く違う景色だった。
そして甲板の前の方には、舵が付いている。
こいつは海を行く船と同じく、まあるい形にいくつかの取っ手をつけたデザインだった。
俺の目の前に──また現実にはいねぇ、幻が現れる。
そいつは、俺よりも背の高い男だった。
俺に背を向けて、舵に両手をかけている。
後ろになびく黒い短髪。
俺が見ている事に気づいたのか、そいつがひらひらっと後ろ手に俺に向けて左手を振ってくる。
俺は──思わずふっと笑っちまった。
幻がすっとその場で消え去る。
と──いつの間に上がってきたのか、ダルがすぐ横にいて、こっちを見上げて微笑んでいた。
「~なっ、なんだよ?」
驚き半分、恥ずかしさ半分にダルに問う。
ダルは小首を傾げて見せた。
「──いや、いい思い出があるんだなと思ってな」
言ってくる。
俺は何だか妙に恥ずかしくなって頭を掻いた。
と、こいつもいつの間に来たのか犬カバがパタパタパタと広い甲板を駆け巡っている。
「ありゃ、ヘイデンは?」
ふと気がついて問うと、
「下にいるそうだ。
今日は様子を見に来ただけだから、と」
ダルが答えてくる。
ふーん。
まぁ来ないなら来ないで構わねぇんだが、俺と(ヘイデンにとっては)よく知りもしねぇ女の子を見張りもなしに飛行船に入れるなんて、普段じゃ絶対ぇしなさそうな事だ。
……なんか今日のヘイデンは調子狂うんだよな。
飛行船の中を見ていくか?とか優しい言葉をかけてくるし、さっきもフツーに笑顔を見せるし。
普段じゃ絶対ねぇ。
この短い時間にダルを信用したって事なんだろうか。
考え、俺は まぁいいか、と肩をすくめて、飛行船の梶に向けて一歩踏み出し、 “あいつ”がさっきまでいた場所に立って、舵を握る。
ひんやりとした、けど艶やかな木の感触がたまらなく気持ちいい。
ここから見える景色はただの洞窟だが、こいつで空を飛んだらどんなにか気持ちいいか、考えずにはいられなかった。
──そういやあいつも、んな事をよく口にしていたよーな気がする。
『想像してみな。
頬や髪を叩く風、目の前は一面の空と雲だ。
その中を、どこまでも自由に飛んでいく──な?
最高だろ?』
へらっと口元が笑っている。
──なんだって今日は、んなにあいつの事を思い出すんだろうな。
思いつつ──俺は、ふとある事を一つ思い出していた。
擦りきれた赤い手帳に、何かを熱心に書き綴るあいつの姿だった。
俺は思わず自分の顎元に手をやり、考える。
「──リッシュ?」
横でダルが問いかける。
俺は、いつの間にか口にしていた。
「──赤い、手帳」
「──え?」
ダルが問い返す。
俺はパッと勢いよくダルの方を振り向いて言う。
「“あいつ”が持ってたんだよ。
あいつ、赤い手帳に色んな事を書き綴ってたんだ。
昔は んなに文字が 読めた訳じゃねぇから何とも言えねぇが、この飛行船の事とかアイデアとか、それにギルドの仕事の事も書いてたみてぇだった」
「ギルドの仕事?
ダルクさんも、ギルドで働いていたのか?」
俺は「ああ」と自信を持って頷いて、続ける。
「あいつがいなくなる前の日……仕事で厄介な案件を抱えそうだって言ってた。
日記がわりに、手帳に書いたはずだ。
そいつが分かれば何であいつがあんなことになったのか分かるかもしれねぇ!」
言う。
ダルがすみれ色の目を大きく見開いて俺を見る。
俺の中に、大きな確信が宿る。
ダルは──ダルク・カルトは、そのギルドの仕事のせいであんな所で一人寂しく死ぬハメになっちまったんだ。
そいつを突き止めて──と考えた俺の脳裏に。
『突き止めてどうする!』
誰かの怒号が響き渡る。
『あいつが死んだ事実に変わりはねぇ。
そいつを蒸し返して、今度はてめぇが殺される事になるかもしれねぇんだぞ!!』
『悪い事は言わねぇ。
この事は忘れろ。全部忘れちまう方が、幸せになれる』
何者かの声が、頭の中で甦る。
俺は思わず片手で頭を押さえた。
ダルが心配そうに口を開こうとするのを遮る様にして、俺は続ける。
「とにかく、手帳を探す。
後の事は、後から考えりゃいいんだ」
ズキズキする頭を押さえ、自分に言い聞かせる様に言い放って、俺は甲板の上を歩き出す──と。
その俺の目の前に(つーか真下、か?)犬カバが でーんと立ち塞いだ。
俺はムッとして犬カバへ向けて言う。
「~どけよ、犬カバ。
邪魔するなら──」
丸焼きにして食っちまうぞ、と言おうとした俺に。
「クッヒ!」
犬カバが勇ましげに俺を見上げ、一言放ってくる。
俺が思わず眉を寄せて犬カバを見ると、犬カバがパッと大きく飛び上がって後ろへ方向転換し、着地する。
俺に背を向ける体制だ。
「うおっ!?」
まさかの芸当にビビりながら見ていると、犬カバがそのまままっすぐ走って船の中に続く階段を下っていく。
「~お、おい、犬カバ?!」
呼びかける声は、犬カバには届かねぇ。
ダルが「行ってみよう」と俺に声をかけて、犬カバの後に続いた。
俺は……ほんの少しの間その場に立ち尽くし、そうしてゆっくりと犬カバとダルの後を歩き進めた。
ドクドクと心臓が鳴るのが分かる。
俺の中で何かが『やめておけ』と言ってくるのが 分かった。
ずっと昔に、今の犬カバと同じ様に走って船の階段を下ろうとした事が、あった様な気がする。
“真相を知りてぇ”っていう、今と全く同じ思いで。
俺はぎゅっと拳を握りしめ、犬カバとダルの後を追って階下へ降りる。
階段を下りるとすぐ、木製の壁と短い廊下が見えた。
船首の方向には左右二つずつ扉が、後ろ側には飛行船を飛ばす為の機械やらなんやらが詰まった機械室がある。
犬カバはフンカフンカと鼻を床に擦り付けながら、ある一つの扉の前に辿り着いた所だった。
階段から見て奥側、左手の扉だ。
ダルがそっと扉を開くと、我先にと犬カバがトトトッと中へ進んで行った。
ダルも俺を見てから、中に入る。
俺も続けて中に入った。
そこは──まるで、どっかの家の一室みてぇな落ち着いた空間だった。
あるのは単純明快に、机と椅子とベッド。
机の上にはインク壺やら羊皮紙やらなんやらが使った時のままごちゃごちゃと置きっぱなしになっている。