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ミーシャは一人、自室に篭り筆を取っていた。
傍らでは犬カバがミーシャの足元付近でくるんと丸まってズピーズピーと穏やかな寝息を立てている。
リッシュがいないので暇を持て余しているのだろう。
外からの温かな陽の光と、白いレースのカーテンをふわりと揺らす風。
気持ちのいい午後だった。
ミーシャはふと窓辺へ視線を向けて──
──リッシュ、上手くやれているかしら。
そんな事を思う。
ガイアスから聞いた所ではメイドとしての仕事ぶりも申し分なく、周りに女装がバレる心配もなさそうだという話だったが。
……何だか少し心配だわ。
どこかでうっかり調子に乗って大変な目に遭うかも……という事もそうだが、先日は少し体調が悪そうだったと聞くし。
……無理をしていないといいのだけれど。
そのリッシュは今もまたメイドとしてサランディール城に行き、その内情を探ってくれている。
ジュードも出掛け、ガイアスは……一見のんきそうにはしているが、それでもサランディール奪還の手筈を整える為あちらへ出掛けこちらへ出向きと何だか忙しそうではある。
屋敷の人々もクライン夫人も皆それぞれにやる事があって──。
詰まる所、この屋敷の中で特にすべき事もなくのんびり過ごしているのはここにいるミーシャと犬カバだけなのだった。
これではここに来た意味が何もない、何か自分に出来る事を──と考え、始めたのがこうして筆を取る事だった。
ガイアスから聞いていた、今回協力してくれるという人々へ。
ミーシャやレイジスが本当に生きているのかと疑念を持ち、ガイアスの側につくべきか未だ悩んでいる人々へ。
それぞれにお礼と、協力してもらえる様に嘆願の書を認める事にしたのだった。
これくらいの事しか、今は出来ないのだけれど。
リッシュやガイアス、そしてジュードのしてくれている事に比べたら、こちらはとても些細な事だ。
それでもほんのばかりでも何かの役に立つと信じて──。
ミーシは再び白い便箋に筆を下ろしたのだった──。
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丁度その頃──
ジュードはある人物の元を訪れていた。
「おお、ジュード。
来たか」
喉が潰れた様な嗄れた声。
以前と変わらず鋭い赤褐色の左目が、ジュードの姿をしっかりと捕らえてる。
だが、以前は同じく健在であった右目は今は縦一文字の刀傷が走り、恐らくはその怪我を負った為に視力を失ったのだろう、固く閉じられていた。
壮年の、がっしりした体格の男だった。
ジュードはその人物に頭を下げ、
「フォルスター騎士団長、お久しぶりです」
言う。
そう──ジュードの直属の上司であり、内乱時には『王とアルフォンソを助けよ』とジュードの背を押した、あのフォルスター騎士団長その人だった。
先の内乱で酷い怪我を負い、一時は命さえ危ぶまれる状態だったと聞いていたが、持ち前の生命力で今は僅かな時間ではあるが立って歩く事も出来る様になったらしい。
英雄ガイアス・クラインとも旧知の仲で、無論今回のレイジスのサランディール奪還にも全面的に協力するという返事をもらっている。
全てはガイアスから つて聞いた事だったが。
──思ったよりも、お元気そうだ。
そう、心の中で安堵する。
内乱の時、最後に見た団長の姿は顔も服も血まみれで、息もかなり荒かった。
形勢もかなり不利であった為に、サランディールにこうして戻ってくるまで、正直団長がどうしているか──その生死すら心配していたのだが、それは要らぬ心配であったらしい。
フォルスターは、こうして自分の屋敷を訪ねて来たジュードをわざわざ玄関口まで立って歩いてやって来て、出迎えてくれたのだった。
ただしそのすぐ近くには使用人らしい初老の男がどこか心配そうな面持ちで主を見つめ、控えている。
生死がどうかという状態ではもちろんなさそうだが、実際は見た目程『以前通り』ではないのだろう。
「話はガイアスからいくらか聞いているが、お前の口から直接聞きたい事もあったのでな。
ガイアスを通じてこうして来てもらった。
まあ上がりなさい、奥でゆっくり話を聞こう」
「はい」
ジュードがそう、短く返事をするとフォルスターが僅かながらに親しみのある目をジュードに向けて、口の端をキュッと引き上げる。
そうして身を翻し、一歩を踏み出しかけて──……。
その一歩目が、一瞬少しふらついた、様に見えた。
「~っ!」
思わずフォルスターを支えようと一歩そちらに踏み出しかけたジュードだったが。
フォルスターは次の瞬間には体勢を立て直し、後はものの見事に何の問題もない様に歩き出した。
変わらず側で控えている初老の使用人が心配そうにしている所を見ると、やはりジュードの手前、無理をして何でもない様に歩いているのだろう。
ジュードはけれどあえて何も言わず、団長の後に付いて歩く。
フォルスター家の屋敷の中は、以前訪れた時と全く何も変わっていない様に見えた。
こざっぱりした廊下。
必要最小限の家具。
「ガイアスから殿下と姫の話を聞かされた時は流石に驚いた。
お前がお二人のお側にいると聞いた時にもな。
どうだ、お二人のご様子は。
お元気でおられるのか」
こちらに背を向けたまま、歩きながらに聞いてくる。
「はい。
お二人共変わりなく」
「うむ、そうか」
短い言葉の中にも、フォルスターの声にどこか明るい物が混じる。
フォルスターは自らの執務室にジュードを案内すると、そのまま机の前に置かれた椅子の上に腰を降ろした。




