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「~クッヒ!」
犬カバまで俺のズボンの裾を引っ張る様に、噛んで食い留めようとする。
俺は……そいつよりも何よりも、思わず面食らってダルを見つめた。
ダルが、必死の表情で俺を見る。
そうして──俺のあんまりにもぽかんとした様子に気がついたんだろう。
一瞬眉を寄せてから、今ようやく自分が発した言葉遣いに気がついた様に、ハッと息を飲んで口元に手をやる。
俺は……思わずそいつに見入っちまって、何の言葉も発せられずにいた。
そっとひとまず目を閉じる。
そーして落ち着いてから───
プッと一つ、吹き出すことにした。
「~なっ……」
ダルが思わず声を上げるのに構わず、俺は自分の顔を片手で抱えて、くっくっくっと思わず笑う。
ダルが かぁっと赤くなりながら口を開ける中、俺は腹を抱えて笑いながら後ろを向いた。
そうだったんだ。
この家で、変装すんのは俺と犬カバだけの特権(?)だと思っていた。
だけど蓋を開けてみりゃ何て事ない。
この家にいる三人が三人とも、どーやら変装の達人だったらしい。
俺は女の子に、犬カバは黒い犬に、そしてダルは男に。
なんとも奇妙な三人組だった訳だ。
さてどーするかと考えるまでもなかった。
俺はこいつを笑い飛ばして言う。
「~お前……俺の真似じゃねぇんだから。
わざわざ俺を正気にさせる為にムリな女言葉使わなくってもいいってーの!
一瞬お前まで女装してる姿が浮かんだぜ!」
くっくっくっと笑いながら言う。
もちろん本心じゃねぇ。
ダルの女言葉は“ムリな”どころか“やけに”キマッていた。
まるでどっかの令嬢だか姫君だかが、怒って激を飛ばしたみてぇな感じだ。
実際、ダルの普段の品行方正さを見てっと、そいつもあながち間違いじゃねぇんじゃねぇかとも思う。
けど、だ。
俺が“リア”として変装して街に繰り出す事に理由がある様に、ダルにだって、男装して“いなければならない理由”があるんじゃねぇか?
『世間から身を隠して生きていかねばならない者どうし、助け合う事を覚えなければ。
どうやらここは、そういう者ばかりが集まる場所らしいのだから』
ダルが以前言った言葉が頭に浮かぶ。
どーいう理由かは分からないが、ダルも何かに追われる身なんだろう。
そしてそいつを、今までダルは俺に言わなかった。
俺がバカな事をしそーだったから、慌てて止めた時につい使い慣れた言葉が出ちまっただけだ。
だったら、“うっかりバレちまったから理由を言わざるを得なくなった”みてぇな事にはしたくねぇ。
ダルがちゃんと話したいと思った時に、その相手に話すのが筋だろう。
俺の演技に見事に疑いなくかかったらしいダルが、また「なっ……!」と言葉にもならねぇ声を上げる。
そーして思い直した様にぷりぷりとして、どーやらそっぽを向いた様だった。
「~もういい!」
腕を組んで怒ってる姿が目に浮かぶ。
俺はくっくっと笑いながら、しゃがみこんで犬カバをひょいと持ち上げる。
そーしてダルに背を向けたまま声をかけた。
「でもよ、ありがとな。
おかげでちょっと頭が冷えたぜ」
犬カバの顔を見ながら、ダルに声をかける。
自分でもヘンな気はしたが、今まともにダルの顔を見ると、それこそ じっと見ちまいそーな気がした。
俺は頭の中で“あいつ”の顔を思い出しながら、言う。
「──けどよ、やっぱり飛行船は見に行く。
ま、ダルの言う様に、このナリで出歩いたらすぐ捕まっちまってアウトだろーが、“リア”の姿なら安心だろ?」
言うと、目の前の犬カバが不安そーな、不満そーな目で俺を見る。
くるっと振り返ってダルを見ると、こちらも不安と、ちょっとの不満を抱えた顔をしている。
そうしてまっすぐ俺を見上げて、口を開いた。
「──夢に出てきた人の所には、行かなくていいのか?」
夢に出てきた男───今でははっきりと、男だと分かる──座り込んで、血まみれで死んでいた。
確かに──普通なら真っ先に、そいつのところに行くんだろう。
夢の事も、俺の記憶の、ちょっと抜けた所も、そこに行けば分かるかもしれねぇ。
けど、だ。
どーいうわけか、今行くべきなのはそこじゃなく、飛行船の方なんだって気がしていた。
そしてそいつは、思えば思うほど確信を持ってそうだと思えてくる。
「──あいつの所には、行かねぇ。
ダルが見たっていう、そいつ──多分、そいつが俺の夢に出てきた奴なんだろう。
けど、そいつより先に、どーしても飛行船の方に行かなきゃならねぇんだ。
あれは、“あいつ”の、飛行船だったんだから」
確信を持って、言う。
ダルが驚いた様に目を大きくする中、俺はさっとまたそいつに背を向ける形で家の二階に続く階段の方を見る。
犬カバを下に下ろしてやると、犬カバが「クヒッ」と小さく声を上げた。
「ま、とにもかくにもまずはまた“リア”に戻らなきゃな。
言っとくけど、俺がいくら美人だからって覗き見すんなよ?」
へらっと冗談で言って振り返ると、ダルが「なっ…!誰が……!」と顔を赤くして怒ってくる。
俺はひらひらと手を振ってそいつを受け流して二階への階段を上り始める。
そーして、途中でふと思い返してダルに言う。
「『ダルク』って名前、お前が嫌じゃなきゃ今までどーり使ってていいぜ。
ダルって呼ぶの、慣れちまったしよ」
言うと、ダルが目をぱちくりさせて俺を見る。
気にしてたのを言い当てられて驚いた様な顔だ。
俺はへらっと笑って階段を上がりきったのだった──。




