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◆◆◆◆◆



風呂場の桶に入った犬カバに、ザバーッと湯をかけてやる。


「あ~あ。

ったく、朝食ビミョーに残してきちまったぜ。

お前のせいだぞ、犬カバ」


言いながら、犬カバの黒とピンクのまだらな毛並みに石鹸をつけてこすってやる。


と、みるみるうちに泡に黒いインキが混ざって、犬カバの毛先から色が取れていく。


俺が はーあ、と再び息をつくと、犬カバも「クヒ」と一つ声をあげた。


「今日は朝からヘンな夢は見るわ、ダルやラビーンから顔色悪ぃとか言われるわ、どーもよくねぇ感じがするぜ。

ま、今日は家で大人しく過ごすのが一番かもな」


ゴシゴシと犬カバの毛を洗ってやりながら言うと、犬カバが「クヒ?」と顔をこっちに向けてくる。


どーやら俺は犬カバ相手に話しかけちまってるらしい。


そーとーおかしいのは自分でも分かっちゃいたが、どうやら犬カバも人の話を聞く気があるらしい。


俺はもう一度息をついてその犬カバの問いかけ(?)に乗っちまった。


「~ああ?

まー、ヘンな夢だったよ。

どっかの暗い、地下道みてぇなトコで、俺は人を探してんだ。それで……………」


言いさして、俺はぼんやりと犬カバを洗っていた手を止める。


脳裏に、ある光景が甦ってきたからだ。


そいつはまるで白昼夢みてぇに俺の視覚を支配した。


暗い通路。


どこかから聞こえる水音。


けぶるような燭台の明かり。


そして、その通路の壁に、背を持たせかけて座り込んでいる男。


力なく閉じられた目に、床にだらりと落ちた手。


そして──そいつの衣服から、大量の血が───。


「──…シュ!リッシュ!!」


くいっと肩を掴まれて、俺はハッとして後ろを振り返る。


よっぽど急に振り返ったんだろう、そこにいたダルが、びっくりしたように俺を見る。


ぽたん、と俺の顎先から冷や汗が流れた。


手元をみれば、犬カバが──こいつすらも心配そうに俺を見上げている。


まだ、泡もつけたままだった。


俺は、乾ききった口の中を潤すように唾を呑み込み、犬カバからそっと手を離す。


ダルは、そんな俺の様子を立ったまま見つめ、口を開いた。


「──私が代わろう。

着替えて少しリビングで休め」


言ってくる。


有無を言わせぬ口調に、俺は自分でも情けねぇくらい弱々しく「ああ……」と呟いて、泡のついた手を湯で洗い流して、その場をダルに任せる。


見れば俺の着ているワンピースにも、黒いインキの混じった泡がついていた。


◆◆◆◆◆



俺はぼんやりしたまま、ダルに言われるままにリビングの席について休んでいた。


元々の自分の服に着替え、顔の化粧を落として、普段の『リッシュ』時のクセで、髪も一つにまとめちまった。


俺はぼんやりとリビングの中空を見つめ続ける。


と、いつの間にいたのか、犬カバの世話を終えたダルが俺の正面の席に座っていた。


犬カバに至っては、毛並みも元のピンクに戻ってきちんと乾かされた状態でテーブルの上に座っている。


俺が気づく少し前から二人ともそこにいたんだろう。


ダルが俺を真剣に見据えて口を開く。


「──リッシュ、一体どうしたんだ?

以前にも何度かこういう事はあったが……今日は、なんだか………」


言いながら、不安そうに俺を見つめて言葉を無くしている。


どーやらよほど心配させてるらしい。


俺は………喉に言葉を詰まらせながら、「夢を、」とようやく口にする。


「………夢を、見たんだ。

どっかの地下道で………ガキの頃の俺は、“誰か”を探してる。

水の音が、遠くに聞こえた。

それで……そいつを探しながらどんどん進むと……そいつがいるんだよ。

壁に背を持たせかけて……座り込んで……血をたくさん流して、死んでた」


言いながら、自分でも顔が青ざめるのが分かる。


喉に熱くて重い固まりみてぇのが鎮座する。


段々にはっきりと、今朝の夢が思い出される。


烟る明かりに照らされた、細かく宙を舞う埃。


“あいつ”の手を取った時の、冷たくだらりとした感触。


『起きろよ!!死んじゃやだ!!嫌だ!!』


ガキの頃の俺の声が甦る。


………いや。


“夢”では んな光景、見てねぇ。


夢で見たのは、あいつを見つけた所までで──そう、あいつを───


「───『ダルク・カルト』」


ダルが、こちらも息を詰めた様に口を開く。


俺は急に現実に引き戻されて、ダルを見た。


ダルが言う。


その顔も、どこか青ざめていた。


「───その人、ダルク・カルトというのじゃないか?」


「…………えっ………?」


言った声が、掠れる。


ダルは静かに息をついて一度目を伏せ、そうして何かを決意したように再び俺を見た。


「──私の名前は、その人の持ち物に書いてあった名から、勝手に借りたものだ。

私が見たのは一年前だから、お前が見た時期とは異なるが──」


言って、ダルがそっと一息つく。


俺は頭が追いつかず、その様子をただただじっと見つめていた。


「ずっと、頭にこびりついていたんだ。

最初にお前が『カルト』と名乗った時、珍しい名だから親類ではないかと思った。

お前は親類はいないと言ったが……もしかして彼がそうだったんじゃないのか──?

お父上、とか……」


親父──?


この俺の、親父?


“違う!”


と、心の中で“誰か”が言う。


ガキの頃の俺の様な声で、“そいつ”は否定する。


俺は……思わず頭を片手で抱えて、テーブルに目を伏せた。


………頭痛がする。


目の前が見えねぇ。


遠くから、ダルの声が聞こえた。


「──…あれは、お城の地下道だった。

私……私はあの時…………」


ダルが、こちらも青い顔で言う。


その唇が、わずかに震えているのが見えた。


俺は……頭痛を忘れて、ゆっくりとそいつを見上げた。


青ざめた、白くて小さい顔。


小さな桜色の唇。


伏せた長いまつげ。


華奢な肩。


ひやり、と心臓の淵に冷たいもんが流れる。


まるで、女の子みたいだと思った為だ。



俺はふるふると頭を振る。


そうしてやっとのことでつぶやいた。


「──……飛行船……」


「──えっ?」


今度はダルが問い返す。


俺はもう一度、口を開いた。


「──飛行船を、見に行く。

俺の、飛行船を」


“あいつの、飛行船だろ!”


頭の中でまたガキの頃の俺の声が訴える。


だが俺はそいつを無視して立ち上がると、そのままフラフラと家の出口に向かって歩き出した。


「まっ──待って!リッシュ!

そのままの格好で外は歩けないだろう!?

リッシュ!!」


「クッヒ!!」


ダルと犬カバが後ろから何か言ってるのが感覚で分かるが。


俺はほとんどそいつに耳を傾けないまま玄関口のドアノブに手を伸ばした。


──ところで。


「~リッシュ・カルト!!

今すぐに止まりなさい!!

そのまま外に出れば、すぐにあなたを追ってる人達に捕まるわ!

そうしたら飛行船を取り戻す事も出来ないでしょう!?」


パッと俺の前に先回りして、両手を広げてドアを塞ぎ、ダルが言う。


キッとしたすみれ色の目が俺をまっすぐ見上げている。


白い顔は、紅潮していた。


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