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◆◆◆◆◆
薄明かりの中、俺はその場所に再び辿り着いた。
昼間来たばかりの、ある一軒のボロ家。
──ダルクの家だ。
俺は、数時間前にゴルドーからもらい受けたダルクの家の鍵をポケットから取り出し、戸にかけられた錠と、昔からある戸の鍵の二つを開ける。
そーして戸を内側へ開くと、暗い室内がそこにあった。
中へ入り、戸を後ろ手に閉める。
と──昼間はこれっぽっちも感じなかった静けさが、辺りを包み込んだ。
今度はダルクの幻も見えねぇ。
いつもいたはずの場所に、いつもいた人物がいねぇ。
その事実が、俺の心をやたらに痛めつけた。
俺は明かりもつけずに、右側のダルクの書斎へ向かう。
そうしてその戸を開けた。
ドロボーにでも入られたんじゃねぇかってくらい雑然としたその部屋は、昼にリュートやみんなと見た時と何ら変わりねぇ。
違うのはこの場にいるのが俺だけだって事と、耳に痛い程の静寂。
そして、部屋に射し込む明かりがほとんどない事だけだった。
俺はその場に小さくしゃがみ込んで、雑然と散らかったダルクの書斎を見つめる。
そうすると、ガキの頃に見ていた視線にちょっと近づいた様な気がした。
「ダル……」
呟いた、声が虚しい。
今になって、考えてみりゃあ。
俺はあいつの事を、何一つ知っちゃあいなかった。
どこで生まれ育ったのか、どういう生活をしてきたのか。
この家に住む様になったきっかけは?
どうして飛行船作りなんて大層なモンに興味を持つ様になったんだ?
お前を殺したあの男は──……一体何者だったんだ……?
そっと息をついて……俺はぼんやりしたまま手近にあったクシャクシャに丸めて放られたままの紙屑を手に取る。
丁寧に開いて床に押し当て、拳の腹部分でシワを伸ばす。
ダルクの見慣れた文字や、飛行船のエンジン部分らしい図面がそこに載っていた。
たぶん、書きかけて違うと思ったんだろう、図面に書かれた文字が中途半端に途切れている。
俺はほとんど無意識のまま、その辺に散らばった紙を集めて、きれいにまとめる。
丸めて放られた紙屑は、全部開いてシワを伸ばし、そいつはそいつで別にまとめた。
山と積まれた本、そいつが崩れて床に落ちた本も、丁寧に持ち上げて、床の隙間を縫って本棚の前へ行き、きれいに収めた。
そうしている間に──……俺の頭に、あるシーンが思い浮かび上がってきた。
本棚の奥にあった、青い石のついたペンダント。
そいつを手に取って、陽にかざして、青い石の透かしを見る俺。
そして──そのペンダントをバッと俺から奪い取った、真っ青で、怖い顔をしたダルクの姿──。
ずきり、と頭の奥が痛んで──……俺は思わず片目をつぶって頭を押さえた。
『まさかこんなものを持っていたとは』
夢の中の、男の声が蘇る。
返した手の平から滑り落ちるペンダント。
青い石が地面に当たって砕け、光を反射する。
そして、男が『ダルクの』ペンダントを踏みにじる。
そうして剣をダルクへ振り上げて──。
と、そこまでを思い出しかけて──……俺はふい、と頭を弱く振った。
思い、出したくねぇ。
ここから先の光景を、思い出したくねぇ。
だけど──それで、いいのか……?
これまで俺は、ずっと過去の出来事から目を逸らし続けてきた。
ダルクの事、ゴルドーやシエナ、ヘイデンの事、地下通路での出来事。
全て忘れて──……都合が悪い事を思い出しそうになると、いつもぶっ倒れたり、記憶から逃げたり。
だけど、それで一体何が変わった?
過去とちゃんと向き合わなけりゃ、前へ進めねぇ。
いつまでも夢にうなされて、いつまでも中途半端なまま。
何一つ『見ねぇ』代わりに、過去に怯えて暮らし続けるのか?
ゴルドーが『忘れちまうほうがいい』と言ってくれた言葉を盾にして──。
俺は──ゆっくりと震える手を頭から離して息をつき、そうして作業を再開する。
紙をまとめて、本を集めて、本棚に収めて。
ダルクが最後に散らかした部屋を、俺が責任を持ってきちんと片付ける。
俺が過去から逃げたりしなけりゃあ、本当ならもっとずっと昔にしていたはずで──……してやらなきゃいけなかったはずの事だ。
何一つ無駄な事を考えず、ただ無心に床の上に散らばったものを全て以前の定位置に戻す。
しばらく作業に没頭して──そうするといつの間にか、それまで大量の物で隠れちまってた床板が、おそらくは十二年ぶりに姿を現した。
スカスカだった本棚にも、本がぎっしりと詰め込まれる。
部屋の中全てを“ダルクが散らかす前“の状態に戻し終えてから──俺は両手を腰にやって、ふーっと深く、息をついた。
拭き掃除や掃き掃除はしてねぇから“ピカピカにキレイに“とまではいかねぇが、ちゃんと人の過ごす部屋らしくはなった。
俺はようやっと窓にかかっていた薄いカーテンを開け、そっと窓を開ける。
窓は多少ガタついちゃいたが、ちょっと力を入れて動かすと、きちんと開いた。
爽やかな朝の風と、明るんだ日差しが入ってくる。
俺はそいつに満足して机の椅子の座面の埃を軽く手で払って、そこに腰を下ろした。
そーしてぼんやりと窓の外の景色を眺める。
こっから見えんのはもっぱら草っ原だけだが……。
ダルも、十二年前まではこーして外の景色を眺めてたりしていた……気もする。
俺はそっと目をつぶって、そのままぼんやりと一人、席にかけたまま流れる風に頬を打たせていた。
──やっと、自分の家に帰ってきた。
そんな心地がした。
そうしてゆっくりしていると、俺の頭に様々な事が流れてくる。
ダルクの事。
ダルクを殺したあの男の事。
サランディールの事。
ミーシャやレイジスの事。
そして──……飛行船の事。
「──俺……やっぱり、レイジスに協力しようと思うんだ。
ミーシャやレイジスの為にってぇのももちろんあるけど……俺は、俺の為に。
どうしてお前があんな殺され方をしなくちゃならなかったのか──俺はまだ、納得出来ねぇんだよ。
レイジスに協力して、サランディール奪還に加担して……それでどうなるかは分からねぇ。
けど……ここを逃したら、俺は自分が“納得出来る答え“に一生辿り着けねぇ様な気がするんだ。
だから……ごめんな、ダル」
語りかける様に言った声に、当然ながら答えはない。
俺は目を閉じたまま──……そのまま静かに息をついた──……。
◆◆◆◆◆
それからしばらく。
俺は、十分気が済むまで一人ダルクの家で過ごして──ようやく家を出た。
来た時はまだ夜が明けるか明けないかってくらいの頃合いだったはずだが、今じゃあすっかり陽も上がり、空も明るい。
昼時、とまではいかねぇが、それに近い時間にはなっちまってるんだろう。
ダルクの家の戸にしっかりと元通り二つ鍵をかけて施錠をし、一息ついてから戸に背を向けて歩き始める。
もちろん向かう先はヘイデンの屋敷だ。
きっともう今頃は皆とっくに起きて、朝食だって終えてるだろう。
そーいや俺も何だか急に腹が減ってきた。
空は快晴。
風もなく、穏やかないい気候だ。
飛行船を飛ばすのに、これ以上ねぇ程いい条件だぜ。
目の上に手でひさしを作って空を仰ぎながらそんな事を考えて──……。
そーして俺はピィンとある事を閃いて、思わず一人ニヤリと笑った。
──いい事を、思いついた。