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暗闇の中──俺はパタパタと前へ、駆けていた。
遠く前方には、見慣れた背中がある。
さらっとなびく黒い短髪。
高い背丈──。
「ダルー!」
めいいっぱい、伸ばした手は小さい。
どーやらまた、ガキの頃の夢みてぇだった。
どんなに頑張って走っても、夢ん中のダルクにはちっとも追いつかねぇ。
「待ってくれよ!!
ダル!!」
必死で上げた声にも、ダルクは反応しない。
俺の声に気づかねぇ。
俺が追っている事にも、気がついちゃいねぇ。
いや……気づいてねぇフリをしてるだけなのか?
「俺がダルの飛行船、サランディールの為に使おうとしてるの、怒ってんのか!?」
大きく大きく、声を上げる。
それでも、ダルクからの応答はねぇ。
俺は──ダルクを追う事をやめられずに、ひたすらダルの背を追って走る。
その、途中に──……
ぽたん、
どこからか、雫が地に垂れる様な、嫌な音がした。
ぽたん……ぽたん……
音は、段々に俺の方へ向けて迫ってくる。
俺は恐怖に怯えて、ひたすらに駆けていた歩を止めた。
死ぬほど息を潜めて、目だけをあちこちの暗闇に向ける。
と──ここから少し離れた所に、いつの間にかダルが壁に背をもたれて、座り込んでいた。
大量の血が、暗闇の中でもはっきりと見える。
手は、動かねぇ。
いや──……手だけじゃねぇ。
頭は垂れたまま。
投げ出された足も、胴体も、どこも……動かねぇ。
──死んじまってる。
そいつを悟ると、ザッと全身から血の毛が引いた気がした。
──ぽたん……ぽたん……。
雫の垂れる、音がする。
そして俺の目に──ある一つのものが、ハッキリと映った。
そいつは、剣を下げた男だった。
暗闇の中の微かな光が、その白刃に絡み付く様に流れている血の赤黒い色を俺に見せつける。
……ぽたん……。
剣先から、血の雫がまた滴り落ちた。
『まさかこんなものを持っていたとは』
青い石のついたペンダントが、男の手から滑り落ちる。
地面に落ちて割れたペンダントを踏みつけ、踏みにじる。
男はそうして──ダルクの亡骸に、剣を両手で振り上げた。
その剣が振り下ろされて──
『リッシュ!!』
大きな──大きな声がする。
俺はぼんやりする頭で、その声の主を振り返った。
俺の腕を、痛い程しっかりと取った、大きなゴツい手。
悪人みてぇな面が、なんでか必死に見えた。
『この事は忘れろ。
いいな──リッシュ』
だが──その声を、存在を、まるで上から塗り替えていく様に、俺の頭にある一つの声が響き渡る。
『──今の私は大変気分が良い。
どこのコソ泥共かは知らぬが、このまま大人しく去るのなら──この場は見逃してやってもいいぞ──』
優越感に、浸った声だった。
ゴルドーが、俺を掴む腕に力を込める。
その手が、腕が、震えている。
恐怖にじゃねぇ。
怒りにだ。
俺はギュッと小さな手でゴルドーの服の裾を握った。
ゴルドー……とか細く読んだ声は、声になっていたのかどうか──。
ふわっと俺の体が宙に浮く。
暗闇の中、ゴルドーに抱え上げられたのだと分かった。
〜嫌だ。
ダルをこんな所に、置き去りにしたくねぇ。
あんな得体の知れない男と、一緒にさせて置きたくねぇ。
そう、心の底から思っているのに、叶わねぇ。
ゴルドーが俺を抱えたまま、暗い地下通路の中を走る。
──来た道を戻って。
ダルクを置き去りに──……。
ゴルドーの背に、俺に、嘲笑が降りかかる。
あの男の笑いだ。
ハーハッハッハッハ!
ハッハッハッハッハッハ!!
泥の様な悪夢だ。
もがけばもがく程沈んでいく……まるで、底無し沼に落ちてでも行く様な──……。
◆◆◆◆◆
〜バッと俺は、無理やりその目を開ける。
両手はベッドのシーツをギュッと握ったまま。
起き上がる事すら出来ねぇ。
まるで、底無し沼に背から突っ込んじまって、じわじわと沈んででもいくみてぇだ。
薄暗い室内に目だけを彷徨わせ、耳でベッド下のクッションで眠る犬カバの「ズピー、ズピー」といういびきを拾う。
──ヘイデン家、だ。
ミーシャや犬カバと共にゴルドー商会から帰ってきて、いつもの俺の寝室で犬カバと一緒に眠っていた。
そんな分かりきった事を、ようやっと思い出す。
俺は片腕を目の上に乗せて、細く苦しい息を吐く。
──また、あの夢だった。
ダルクを追って、地下通路を行く夢。
壁に背をもたせかけたまま、座り込んだまま死んじまったダルクの姿。
ぽたん、ぽたんと地面に垂れる、血の雫。
俺を押さえつけるゴルドーの腕。
ダルクの前に立った男が手の平から滑り落とす、青い石のついたペンダント。
そいつが地に落ちて砕け、踏みにじられる所。
そして──ダルクの遺骸に振り上げられた、剣──……。
『リッシュ!!』
と夢の中でゴルドーが上げた声が蘇った。
『この事は忘れろ。
いいな──リッシュ』
夢ん中ではダルクに剣が振り上げられた所でその声がしていたが、たぶんあれは、この瞬間にかけられた声じゃあなく、あの地下通路を去って後に言われた言葉だったろう。
そう──こいつは単なる夢じゃねぇ。
確実に俺の記憶の断片だった。
断片が、変な所で繋ぎ合わさってる。
そんな風だ。
きつく目を閉じると、目蓋の裏にまたあの光景が蘇ってくる。
ペンダントの石が砕ける所が。
ダルクの遺骸に振り上げられる、剣が。
『──この事は忘れろ』
ゴルドーが俺にそう言ったのは── 一体、何の為だった……?
ぼんやりと考えるが、頭に綿でも詰まっちまったみてぇに何にも考える事が出来ねぇ。
俺はよろよろと起き上がり……額に手をついて、ようやく深く、一つ息をつく。
『私はお前にはサランディールには極力関わって欲しくないと思っている』
『お前にはダルクの様な事には、なってもらいたくはない』
ヘイデンが以前言った言葉を思い出す。
……だけどよぉ。
だけど。
俺は──ダルクが何であんな事になっちまったのかを、知りてぇ。
どうしてあんな殺され方をしなくちゃならなかったのか──死んだダルクにさらに剣を振り上げた、あの男は何者だったのか──。
あの様子じゃあ、単に“飛行船を大人しく引き渡さなかったから殺された“ってだけじゃ、ねぇだろう。
例えダルクがその昔、反逆罪の刑を逃れて行方を眩まし、その為に殺されたんだとしても。
それでもあの殺され方は、おかしくなかったか──?
そんな風に思うのは……俺がただ単にダルクの死に、なにがしかの理由をつけたがってるだけだからなのか──。
俺は──……そっと静かにベッドから足を下ろす。
ふかふかのクッションの上で、犬カバが変わらず気持ち良さそうに眠っている。
その横をすり抜けて──誰にも気づかれねぇ様部屋を出、ヘイデンの屋敷を出た。
空に輝く星が、夜明けの光に照らされて空に薄く消え始めている。
俺はそのままある場所へ向けて足を踏み出したのだった──。




