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だから余計に、なのだろう、きゅぅぅ、とリュートの前に来た犬カバがいかにも残念そうにつまらなそうに鳴いてしょげる。
リュートはそんな犬カバをじっと見つめて(リッシュを掴む手は離さずに)軽くしゃがんで空いた右手で犬カバの頭をなでてやった。
「今度は犬カバもダルも一緒に行こー」
そう、犬カバを慰める様にしながらミーシャのことも誘ってくれる。
どうやら犬カバはそのたった一言ですぐに立ち直ったらしい。
きゅんっ!と一つ尻尾を振って納得した。
ミーシャももちろん「ああ」と温かい気持ちでリュートの誘いを受ける。
「今度はみんなで行こう」
言うとリュートが嬉しそうに笑った。
と──リッシュが「さあてと、」といつもの明るい口調で言う。
「そろそろ日も落ちてきたし、街に戻ろーぜ。
まぁロイはまだ仕事中だろーが、カフェで夕食でも食いながらのんびり待ってりゃいいしさ」
いかにも気楽な調子で言ったリッシュの言葉に──リュートが「うん!」と元気に頷いた。
けれどこのままカフェに戻ったら、またリュートはロイにピタッとくっついてしまって仕事にならなくなってしまうのじゃないかしら……?
そう思ったミーシャだったが──リッシュはそれに軽く一つウインクして寄越す。
そこはまぁ、問題ないと思うぜ、とその目が楽観的に語っている。
ミーシャがそれに思わず軽く目を瞬く中──リッシュはいかにも気楽な笑みで返してきたのだった──。
◆◆◆◆◆
市街地に戻った頃には、時刻はすっかり夕暮れ時になっていた。
鮮やかな夕陽の赤と建物に落ち始めた影。
そこにぽつりぽつりと灯り始めた街灯の明かりが街に陰影をつけて中々にキレイだ。
俺は未だにズボンを掴んで離さねぇリュートと犬カバ、そしてミーシャの三人(……いや、二人と一匹、か?)と共にカフェの通りの辺りまでのんびり歩いて戻ってきていた。
さっきはミーシャに『大丈夫だ』ってばかりにウインク一つして見せたが、正直に言ってリュートのひっつき虫はいまだに治っちゃいねぇ。
そいつはここまでの道のり、リュートが俺のズボンをずっと掴んで離さなかった事が証明している。
今頃カフェじゃ、夕食メニューなんかの注文が来始めて忙しくなってくる頃合いだろう。
ロイももちろんキリキリ働いてるハズだ。
まぁさすがにリュートも今日のロイの仕事中くらいは俺にひっつくので我慢してくれるだろーが、問題はその先なんだよな……。
ロイがリュートを嫌いになる訳ねぇと説得はしたが、実際にちゃあんと問題解決するまでにゃあどれだけの時間がかかるか……。
ま、後でロイとも話してみるかぁ。
……なあんて考えながらのんびり歩き始めていた俺だったが。
ふとその目線の先に──カフェの真ん前に一人立って腕組みをし、大きな影を地面に落とす男の姿を発見する。
あの緑のエプロン姿に、がっしりした偉丈夫──ありゃあ、
「~ロイ!!」
リュートがパッと顔と声を思いっきり明るくして、予想外に簡単に俺のズボンから手を離し、先へ駆けてゆく。
カフェの真ん前で腕を組み、何やら深刻そうな表情を浮かべていたロイは、そんなリュートを見てホッとした様子を見せた。
「~リュート!!」
こっちもリュートの方へ駆けて──リュートはぼふんっと思いっきりロイの足に抱きついた。
ロイもそんなリュートの小さな背に大きな手を置いて、
「おかえり」
と温かな声で言う。
まるで本物の父子がようやく長い時を越えて出会えたみてぇな、どことなく感動的ですらある光景だ。
ロイもリュートも幸せそうだし、ミーシャもいつもの優しい微笑みでそんな二人を見つめてるし、犬カバだって満足そうだし、もちろん俺だってそこに何の不満もねぇんだけどさ。
けど……。
なんだかなぁ、あんなに必死で俺にくっついて一日中離れようとしなかったリュートがこんなにあっさり離れてっちまうとさ。
それはそれで何だかちょっと寂しいよーな気もするんだよな。
まぁ、リュートの一番はロイって事だし、それはそれでいい事なんだけどな。
思いつつ、ちょっと軽くなった足を動かし、二人の方へのんびり歩いていく。
──と、リュートがロイを見上げて目をキラキラさせてテンション高くロイに報告する。
「今日楽しかった!
ダルがアイス買ってくれて、みんなで食べた!」
「そうか」
「リッシュのとっておきの場所も連れてってもらった!
街もうみも、全部見えるんだ!
うみはおっきくて、水がいーっぱいあるんだって!
草もふかふかで気持ちよかった!」
ロイからすりゃあ、いまいち要領を得ねぇのに違いねぇ。
それでもロイはリュートの話を遮る事なく、適当に受け流すでもなく、きちんと話を聞いて「そうか」と相槌を打つ。
その表情は相変わらずの仏頂面だが……不思議と温かさとか優しさが見える様だった。
──やっぱりロイにリュートを引き取ってもらったのは、本当に正解だったんだな。
そう、心から思い、和みかけて──俺は「~って、」とようやくひとつ、思い至った。
「~ロイ、お前、カフェの仕事はどーなってんだよ?
俺らはお前が心置きなく仕事に取りかかれるよーにってリュートを預かったんだぜ?
なのに……」
いくらリュートが心配だからって んなトコで油売ってちゃ意味ねぇじゃねーか。
んなトコもしゴルドーのヤローなんかに見られでもしたらソッコー クビになっちまう。
な~んて焦りながら考えた……ところで。
チリリン、と軽やかにカフェの戸が開く音がする。
客が丁度店から出てきたところらしいが、今はそんなのに気を取られてる場合じゃ……と、再びロイへ目を向けかけたんだが……。
「おう、チビガキ、戻ったか」
耳慣れた、声がする。
俺は思わず口を開きかけたまま──そのままピキリと固っちまった。
このドスの効いた、ヤクザみてぇな低い声。
嫌な予感に苛まれながらも、俺はぎこちなくその人物の方へ目を向ける。
そこにいたのは悪趣味な柄のアロハシャツを着た、中年男だった。
見慣れすぎた、その悪どい顔──
「ゴルドー……」
よりにもよって一番いて欲しくねぇ時に、一番この場にいて欲しくねぇ男がここにいる。
俺の声に、ゴルドーがいつもの睨みつけるよーな目でジロリと俺を見る。
俺のすぐ横に並んだミーシャも(もちろん犬カバはこの隙に俺の裏手に素早く隠れた)戸惑った様に「ゴルドーさん……」と呟く。
終わった、と俺は思った。
だが、俺自身の事ならともかく、ロイとリュートのことに関しちゃあこのまま終わらせる訳にはいかねぇ。
ロイが職を失ったら一緒に暮らすリュートまで路頭に迷う事になるんだぞ?
んなの黙って見過ごす訳に行くかよ。
ゴルドーが何か口を開きかけるより早く、俺は先回りして声を上げる。
「~まっ、待った!
こっ、これはちょっとした勘違いで……。
別にロイはサボって外に出てた訳じゃねぇんだよ。
ちょ~っと休憩取ってただけで……。
コックにだって休憩は必要だろ?
こっから先の時間、忙しくなってくるしさ。
休憩すんならもう今の時間にしとかねーと……」
言いながら……俺はとにかく焦っていた。
こっから先の時間忙しくなってくるって?
もう時間的に十分忙しいのに決まってんだろ。