8
そーしてダルクなら、とふと考えた。
ダルクなら、こんな時どうしただろう?
そう考えて──思わず一人、笑っちまった。
あいつならきっと、ノー天気に笑ってこう言うんじゃねぇかな?
『おいおい、元気ねぇじゃねーか。
まったく、んなんじゃ幸運に逃げられちまうぜ』
『しょーがねぇ。
俺がとっておきの場所に案内してやるよ。
何があったかしんねぇが、そこに来てのーんびり休んで一眠りすりゃあ嫌な事なんか全部忘れちまうよ』
ニッと笑って、ボフッと俺の頭に手を置いて、そのまま頭をわしゃわしゃっとする。
そんな事が──昔、実際にあったんだろうか。
何となく今も頭をわしゃわしゃされたよーな気がして、俺は我知らず自分の頭に片手をやった。
そーしてちょっと息をつく。
その溜息にだろう、リュートがぎゅっと口を曲げたまま俺を見上げてきた。
俺は──ついた溜息に他意がねぇ事を示す為にリュートに向かってニッといい笑顔を向けて言う。
「リュート。
お前だけに、俺のとっておきの場所を教えてやるよ。
どうだ?
行ってみる気、あるか?」
問いかけた先で──リュートがこてん、と首を横に傾けた──。
◆◆◆◆◆
どこまでも続く草っ原と、緩やかに下る小道。
その小道の先を目線で辿ると、そこには遠くに旧市街の街並みが、そしてその奥に市街の一部が見渡せる。
そっから反対側へ目線をやると、そっちにはもっとずっと遠くに海の青が覗き見えた。
草原の緑。
空と、ちょっとだけ覗く海の青。
そして馴染み深い街並み。
ここは、この辺りのいいとこの大体を見渡せる、かなりスペシャルな場所だった。
位置的にもさっきのダルクの家からそう遠くねぇ。
ひっつき虫のリュートをそのままに、家の裏手をのんびり歩いて行く事数分、ってとこだ。
ここ十二年間、俺はこんな場所があるって事すらすっかり忘れちまってたんだが……どっか頭の奥底には記憶が残っていたらしい。
いっぺんも迷わずこの場所に辿り着く事が出来た。
昔は──ダルクと二人、ここで寝っ転がってのんびり昼寝したり、何かを語り合ったり、何も語り合わず静かに過ごしたり……そんな事をしたもんだった。
夜には満天の星が見渡せてよ、遠くに見える海の上に月の光が映る光景も……何となく思い出せる様な気がした。
この、何とも懐かしい思い出の場所に、俺はリュートと二人だけでやって来ていた。
犬カバとミーシャにゃあ悪いがダルクの家で留守番してもらう事にしてな。
もちろん犬カバは初め、俺の『とっておきの場所』にフツーについて来る気でいたみてぇだが、今回ばかりは仕方ねぇ。
リュートのこのひっつき虫はたぶん、犬カバと何か関係している。
思い当たる節も、全くない訳でもねぇ。
こないだノワール貴族に人質として囚われた時。
ノワール貴族の旦那が犬カバの血を求めてあんなに取り乱し、声を上げた事と関係があるに違いねぇ。
それなら犬カバを見て悲しそうな顔をする訳にも理由がつく。
けど、当の犬カバがいたんじゃ俺が何を聞いたって結局アイスん時の二の舞になるだけだからな。
犬カバ(と、念の為ミーシャも)には席を外してもらう事にしたって訳だ。
あの家にゃあ茶も菓子もねぇが、少なくともテーブルや椅子はある。
窓を開ければそれなりに風通しも良くって気持ちのいい休憩所くらいにはなるだろう。
まぁ、ダルクの書斎、あの一室に関してだけは“気持ちのいい“とは言えねぇかもしんねぇが。
考えつつも……俺は わぁっといい顔で辺りの光景に見入っているリュートへ向けてにっと笑って見せた。
「どーだ?
中々いい眺めだろ?」
言ってやる。
リュートは素直に俺を見上げてこくこくとしっかり頷いた。
俺はその反応に満足して目の上に片手をかざして遠く街の方を見る。
天気は快晴。
風も心地よく吹いていて、中々のお昼寝日和だ。
俺は目線をリュートに戻して風がいい感じに生茂る地面を指差した。
「せっかく来たんだ、ちょっと寝っ転んでゆっくりしてこーぜ」
へらっとして言うとリュートも「うん!」と大きく頷いた。
俺は──俺のズボンを掴むリュートに気をつけながらなるべくゆっくりした動きでその場にごろんと転がった。
リュートも俺に倣って俺のすぐ横にごろんと横になる。
俺のズボンから、手は離さねぇまんまだ。
けど、安心感はあんのか、ちょっとだけ掴んでる手が緩んでいるのに俺は気がついていた。
まあ、あえて んな事をリュートに言ったりはしねぇが。
草っ原に横になると、さわさわっと耳の辺りで草が風に揺れる音がする。
爽やかな草の匂いに、草の水分を含んで少しひんやりとした風。
こーしてると本当に悪い事なんか全部忘れて寝入っちまいそーだ。
それからしばらく、風に吹かれるままのんびり二人、寝っ転がって空を見てたんだが──。
俺は──ふいに静かに、リュートに声をかけてみた。
「──なぁ、リュート。
別に、話したくねぇんならそれはそれで構わねぇんだけどさ」
そう前置きして話しかけると、すっかりリラックスして気持ち良さそーに空を見上げてたリュートがちょっと俺を見る。
俺はそんなリュートを見返して、先を続けた。
「今日街でさ、俺になんか言いかけてくれてただろ?
ダルがアイスを買って来てくれんのをベンチに座って二人で待ってた時。
あれ、何を言おうとしたのかなーと思ってさ。
何かあったんなら……俺に話してみねーか?」
そう、問いかけてみる。
『……どーしちまったんだよ?リュート。
お前、こないだまでこんなんじゃなかったじゃねーか』
そう聞いたあの時のリュートの答えを、俺はまだちゃんと聞けちゃいなかった。
リュートがなんだか泣きそうな、辛そうな表情で俺を見る。
リュートのこんな顔を見るのは、初めてだ。
リュートと初めて会った時……食料ドロボーだっつって首根っこ引っ掴んで捕まえた時にだって、こんな表情はしちゃいなかった。
何が んなにリュートの心を痛めつけてんのか……。
俺はただ静かにリュートの答えを待つ。
もしリュートが答えたくねぇってんなら、それはそれで構わねぇ。
そんな気持ちで待ってる──と……。
リュートが……喉に空気が詰まってでもいる様な感じで「俺……」と小さく声を上げる。
「俺……」
言いながら……そこでまた、萎む様に言葉が止まっちまう。
俺は──静かにそっと息をついた。
「──分かった。
言いにくいってぇんなら別に無視して言う必要は──……」
ねぇよ……と言いかけた、ところで。
「〜あのおじさん、」
リュートが勇気を振り絞る様にして、声を上げる。
そーして真っ直ぐ俺を見上げた。
「あのおじさん、死んじゃったのか……?」
そう、問われる。
リュートの言う“あのおじさん”ってぇのは十中八九、あのノワール貴族の旦那の事だろう。
俺は軽く目を瞬いてリュートを見返した。
そーして……言う。
「……あの、お前を誘拐したおっさんの事なら……。
ああ、俺も死んだって聞いてるよ。
元々病気だったんだってよ。
あんな事件を起こす程の体力は、本当はもう、初めっから残っちゃいなかったんだ」
きっと──……ノワール貴族の旦那本人も、そいつを自覚してたに違いねぇ。
もう先は長くねぇ……ってな。
だからこそあんなに必死に犬カバの血を追い求めた。
自分が死んじまったら何もかも終わる、娘が生き返る事もねぇと、知っていたからだ。
俺の答えに……リュートがしょんぼりと頭を垂れる。
俺のズボンを握る手にも、ぎゅっと力が入っている。
俺は思わず眉尻を下げた。
と──リュートは言う。
「〜……俺……おじさんが、かわいそうだ」
ぽつり、そう言ってから……リュートがきゅっと押し黙る。
まるで そう言う事が、そう思う事が、すげぇ悪い事だって思ってるみてぇに。
俺は、ほんの少し困惑した。
「かわいそう?
……怖ぇ、とかじゃなくて?」
聞くとリュートが躊躇いながらも小さく一つ頷く。