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たぶん好奇心に駆られて、だろう。
俺のズボンを掴むリュートの手がちょっとだけ緩まって、何となく離れそうな雰囲気だ。
普段なら戸の前まで行って自分で戸を開けてみてぇって思う様なトコじゃねぇのかな?
俺は思わずニヤリと笑いそうになるのをコホンと咳払い一つして抑える事にした。
そーして早速、聞いてみる。
「──ちょっと見てみるか?」
問うと──リュートの顔がパァッと明るくなった。
そーして「うん!」と大きく頷いたのだった──。
◆◆◆◆◆
初めに覗いた寝室は、俺の記憶通りの部屋だった。
狭っ苦しい小さな部屋に置いてあるのはベッドが二つ。
ただそれだけ。
あんまりにも何にもねぇ部屋だからリュートはこれっぽっちも興味を示さねぇだろうと思ったんだが。
中に入って部屋を見たリュートは目をいっぱいに輝かせて俺を見上げ、パッとベッド二つを指差した。
「〜俺の家と同じ!
俺の家にもベッド二つある!
ロイが俺の、買ってくれた!」
ロイが自分のベッドを買ってくれたってぇのがよっぽどうれしかったんだろう、テンションMAXでリュートがそう教えてくれる。
俺は──俺もそいつが何だかうれしくってよ、「へぇ」と思わず明るく声を上げた。
隣に並んだミーシャも微笑ましそうにリュートを見つめ、
「良かったな、リュート」
柔かな声でいう。
リュートが うん!と大きく頷いた。
そーして早くも次の部屋が気になったらしい。
俺のズボンを引いて「あっちは?」ともう一つの部屋へ行こうとする。
俺はつられるままに寝室を出て初めのテーブルと椅子のある部屋を通り、書斎の戸の前に立った。
戸の前に立つと──。
何だか空気がしん、と静まった様な、そんな気がした。
俺の記憶の限りじゃあ これまでにこの場所でこんな静けさを覚えた事なんかただの一度だってねぇ。
あのとっ散らかったダルクの書斎をこんな言葉で表現すんのは本当にどうかと思うんだが……。
まるでそこが、神聖な場所だったみてぇに──俺の心の中が すぅ、と静まる。
俺は──誰にも悟られねぇ様に静かに息をついてゆっくりとその部屋の戸を開けた。
一瞬──その隙間を縫って犬カバが先に入って行くんじゃねぇかと思って足元へ目をやったが、犬カバは今回に限ってはそうしなかった。
俺と目が合うと『見損なうなよ』と言わんばかりにちょっと鼻を上げてツンとしている。
どーやら……犬カバなりに遠慮してくれてるらしい。
そーいやこの家に入る時も寝室に入る時も犬カバは先んじて入る様な事はしてなかった。
俺はちょっと笑って──開けかけた戸をゆっくりとそのまま開いた。
部屋の中はカーテンが閉められてるからか薄暗い。
だが、中の様子が何も見えねぇ程の暗さじゃあなかった。
寝室よりはもう少し広い部屋だ。
机、椅子、本棚。
大きな家具はそんだけらしい。
床面積はわりとある。
わりとあるが……その代わりその床いっぱいにとにかく物が散乱していた。
パッと見た感じ、足の踏み場もない程だ。
本棚にしまわれず床の上に重ねられた本の山。
丸めて放り投げられた紙屑。
たぶん──恐らく重要なんだろう、紙の山。
さすがに昔みてぇに脱ぎ散らかしたままの服、なんて物はなさそうだが……。
それにしてもこれはさすがに酷すぎるだろ。
ヘイデンのやつ、せっかく管理してくれんならちゃんとここも片しといてくれよ。
まったくよぉ……。
さっきここが神聖な場所だったみてぇだと言ったが、そいつはどうやら一瞬の気の迷いだったみてぇだ。
どっちかってぇとここにゃあ混沌しかねぇよ。
思いつつ……それでも何故か、だからこその懐かしさが込み上げてくる。
不思議としか言いようがねぇが……俺にとっちゃこの場所が、この汚ねぇ空間が、どうやらすげぇ大事な場所、だったみてぇだ。
……まったく、ちゃんちゃらおかしいよな。
思いつつ ちら、と未だに俺の足にひっついたままのリュートや足元の犬カバ、さらにミーシャの反応を見てみると──。
当然の如く、三者が三者共この部屋のあまりの汚さに素直に驚いてぽかんとしている。
俺は思わず頭を掻いた。
ま、皆がこうなんのも無理はねぇよ。
俺にとっちゃあ見慣れた懐かしいこの光景も、他人から見りゃあただの汚部屋だしな。
この部屋の主は俺って訳じゃねぇんだが、どーも自分の汚ねぇ部屋を見られたみてぇな感じで決まりが悪ぃや。
思いつつ頭を掻いてる──と。
ふいに──ぷっ、と珍しく、ミーシャが吹き出し笑いをした。
そーして口元に手を当て 笑いを抑えよーとするが、収まらねぇ。
俺は──それこそさっきの皆みてぇに顔をぽかんとさせた。
ミーシャが思わずっていう感じで普段のミーシャみてぇな口調で「ごめんなさい」と謝る。
そうしながら笑いをどーにか止めようとしてんだが、どうにもうまく行かねぇらしい。
けど、嫌な感じの笑いじゃあ決してなかった。
上手く言えねぇが……どっか温かみのある優しい感じのする笑いだ。
きっと実際そんな気持ちの笑いなんだろう、ミーシャは同じく温かみのある優しい声で言う。
「──赤い手帳を見つけたあの机の上と、同じだと思ったんだ」
言ってくる。
俺は頭を掻く手を止めて、ちょっと目を大きくした。
リュートの手前だろう、飛行船の中の、とは言わなかったがそれでも十分にその場所だと分かる。
ダルクの手帳を見つけたあの机の上の事を言ってるんだ。
そーいや確かにあの上も使いっぱなしのインクツボやら書きかけの羊皮紙やら、とにかくごちゃごちゃに物が散乱しまくっていた。
あん時はヘイデンにしちゃあ汚ねぇ机だな、と思ったが……ありゃやっぱりダルクが使ってた机って訳だ。
そう思うと何だか俺まで笑えてきちまった。
フッと思わず息をついて笑うのに──……リュートが「?」でいっぱいの表情で俺とミーシャを見比べる。
けど、あえて問いかけては来なかった。
その代わり、どっか感心する様に周りを見渡して息をつく。
そうして くいくい、と俺のズボンを引いて、無垢そのものの表情で問いかけてきた。
「リッシュはここに住んでる時、しあわせだった?」
真っ直ぐに俺を見上げて、そんな事を問いかけてくる。
この部屋を見てどうしてそんな問いかけをしようと思ったのか俺には分からねぇが……。
俺は にっと笑ってみせた。
「──ああ。
幸せ、だったと思うぜ」
──きっと、そうだったろうと思う。
ダルクとここで過ごした時間は短かったが、それでもその時間はかけがえのないもんで──すごく大事な時間だった。
そいつはダルクがいなくなった今も、変わりはしねぇ。
リュートは俺の答えに、こっちもうれしそうに笑って返したん──だが。
その事に自身で気がついたんだろう、すぐにハッとした様に笑顔を引っ込めてきゅっと小さく口を引き結び下を向く。
すっかり緩みかけていた俺のズボンを掴む手が、またギュッと強く握られる。
俺は──そいつに片眉を上げて ちらっと犬カバ、ミーシャの方へ視線をやった。
犬カバが「きゅうん、」としょんぼり心配そうな声をあげ、リュートを下から覗き込むがそいつもダメだ。
ミーシャも困った様な心配そうな顔で俺を見返した。
俺は──何とはなしに部屋の中の惨状に視線を投げる。