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ドゴンッと大きな音を立て、俺は大空から──いや、正確にはベッドの上から落ちた。
「〜っつ〜……」
思わず呻きながら、顔を床に伏す。
起き上がろうかとも思ったがそんな気力も湧かねぇ。
仕方なくそのままぼーっとしてると、
「クヒ?クヒヒ?」
ポンポンと俺の頭を──まるで生きてるかどうか確かめる様に軽く叩いて、犬カバが問いかけてくる。
俺はそいつに「おー……」と弱々しく返事した。
俺の頭の中に、ついさっき夢で見たダルクの口パク声が再生される。
『あいつを、助けてやってくんねぇか』
〜何でダルクがあんなヤツの事を助けてやれなんて言うんだよ。
あんなのは単なる夢だって分かってても、その言葉が妙に頭に残って引っかかる。
……このままもー少し眠っちまおうかな。
そうすりゃもっと違う、マシな夢が見れるかも……。
そう、目を瞑りながら考えた──ところで。
コンコン、と部屋の戸がノックされる。
こいつは──執事のじーさんだ。
「朝食のご用意が出来ていますが、お目覚めでしょうか?」
俺の完璧な予想通り、じーさんが声をかけてくる。
それに俺より先に反応したのは犬カバだ。
パタパタッと大喜びで尻尾を振って「クッヒ!」と一言返事する。
『もちろん起きてるぜ!すぐ行くぜ!』って言わんばかりだ。
それに加えて、俺の正直な腹がぐぐぅと音を立てて空腹を訴えてくる。
……まぁ、とりあえず腹ごしらえでもするかぁ。
◆◆◆◆◆
朝食が用意されたダイニングルームに行くと、もうすでにヘイデンとミーシャが先に席について食事を始めていた。
俺と犬カバと目が合ったミーシャが「おはよう」とにこっと笑って声をかけてくる。
「昨日はよく眠れた?」
飛行船で空を飛んで、興奮して寝れなかったんじゃねぇかって意味でだろう、ミーシャが言ってくる。
俺はそいつにヘヘッと笑って「おう」と答える。
まぁ、実際寝起きはアレだったが、昨日の夜はベッドに入ってすぐにスコーンと眠っちまったし、かなり熟睡はしたと思う。
最後は飛行船から落ちて目が覚めた、なんて別に言わなくたっていいだろ?
気分も爽快に空いた席に掛けて、目の前に用意された料理を見る。
朝食のメニューはこんがりといい感じに焼けたトーストとスクランブルエッグ、それからカリッと焼いたベーコンとホクホクのハッシュドポテトっつーなんとも洒落たもんだった。
じーさんがいかにもお高そうな白磁のティーカップに熱々の紅茶を注いでくれる。
ふんわりと豊かな茶葉の香りが辺りに広がった。
俺の席のすぐ横の床には犬カバ用にこいつも高そうな白い器が置かれていて、そこにはミルクがたっぷり入ったオートミール(?)が盛られていた。
その上に洒落た感じでかけられてんのは、ありゃハチミツか?
脇にはフルーツまで盛られている。
犬カバの食べるモンにしちゃあちょっと上等すぎるような気もするが……。
どうやらそう思ってんのは、この俺だけらしい。
ヘイデンもミーシャもまったくもって気にした様子もねぇし、犬カバの食事をごくフツーに受け入れてるみてぇだ。
もちろん、こいつを用意してくれてた執事のじーさんは言うまでもねぇ。
まぁ、別にいいんだけどよ。
犬カバのやつ、んないい食事ばっかもらってたらそのうちこの屋敷を出た時、平凡な食事じゃ物足りなくなるんじゃねぇか?
犬カバが心底うれしそうに尻尾を振りながらオートミールにがっつくのを端で眺め、んな事を考えながら──俺は自分のトーストを大きく一口かじる。
と──サクッと何とも言えねぇいい音と共に、トーストのほのかな甘みが口ん中いっぱいに広がった。
……う、うめぇ。
カフェでロイが出すパンも相当うまいけど、こいつもそれに負けてねぇんじゃねぇか?
あまりのうまさに隣の犬カバの事も忘れて一気に二口、三口とパンを頬張り、ついでにハッシュドポテトにも手を伸ばすと、それまで何も言わずに紅茶を飲んでいたヘイデンが「それで、」とふいに俺に向かって口を開いた。
「今日も飛行船のところへ行くのか?」
聞かれて、俺は今朝の夢の事も忘れて半ばうきうきしながら「おう!」と返す。
「何しろあいつを空に飛ばしたのは十数年ぶりだろ?
整備や点検もしてやりてぇし、そいつが済んだらまた試験飛行かな。
操縦ももっと慣れておきてぇしさ。
ヘイデンはどうすんだ?
今日も整備とかしに来るか?」
気楽な感じで聞くと、ヘイデンが「──いや、」と一言で返してくる。
「やめておこう。
あの飛行船はもうお前のものだ。
お前から頼まれれば整備くらいはするが、色々と自分で好きな様にやる方がよかろう」
言ってくるのに──俺は何だか急にちゃんとした大人扱いをされたみてぇで、むず痒い様な照れ臭い様な気分で頭を掻いた。
俺のすぐ横の床の上から犬カバがニマ〜ンとして俺を見上げてくるし、ミーシャも微笑ましいもんを見る様な目で俺を見てる。
俺はとりあえずムカつくニヤニヤ顔の犬カバの脇腹を足で軽く小突いてから、気を紛らわす為にまた食事に集中したのだった──。
◆◆◆◆◆
朝食を終え、軽く支度を整えてから、俺は早速飛行船を置いてある洞窟へ向けて一人出発した。
ミーシャはいつもと変わらねぇ笑顔で「気をつけて行ってきてね」と言ってくれ、犬カバは一緒に行けねぇもんだから残念そうにしていたが……まぁしばらくは仕方ねぇよな。
元々人通りの少ない街道の、更にその脇──ほとんど野山っていってもいい様な道を、人に見られねぇ様慎重に進みながら、俺は思う。
『もし万が一本当にその犬がノワール王に狙われていると言うのなら、世界中、どこへ逃げ隠れしようとも安全な場所はないかもしれん。
問題の『元』を正さん限りはな』
ヘイデンの言葉が、脳裏に蘇る。
……悔しいが、確かにヘイデンの言う事はもっともなんだよな。
人目を気にして、姿を隠して、いつ見つかるかと不安に思いながら過ごす毎日が一体どんなもんかを俺は十分すぎる程よく知ってる。
ミーシャや犬カバに、一生涯そんな生活を送らせてぇ訳じゃあねぇ。
……けどよ、それじゃあこの俺に、一体何が出来るってんだ?
んな事を、たぶん考えながら歩いてたのがいけなかった。
ザクッとすぐ後ろで誰かが土を踏みしめる音がした。
後ろを振り返ろうと、首を回す間もねぇ。
ガッと後ろから首を掴まれ、そのままものすごい力と勢いで地面へ向かってぶっ倒される。
顔をしたたか地面に打った。
火花が散ったみてぇに目の前が赤くチカチカする。
ぐい、と顔を地面に押しつけられ、しかも動けねぇ様に背にガンッと思い切り膝を乗せられる。
そいつはそのまま大きく声を張った。
「〜リッシュ・カルト!!
ミーシャ様をどこへやった!?
言え!!」
鋭い声が響く。
声の主は──……
「ジュー……ド……」
顔を地面に押しつけられたまま、俺はどうにか首をよじろうとしながら言う。
口ん中に地面の砂が入る。
押さえつけられ首と背中の骨がミシミシと嫌な音を立てる。
このまま行くと、骨が折れちまう。
だが俺はそいつに構やしなかった。
「な……んで、んなトコに……」
言いかけるも、ものすごい力をかけられ、それ以上に言葉が出ねぇ。