八 人形神社と人形たち
栄丘にある人形神社は人形供養をする神社として知る人ぞ知る神社だ。栄丘という地名の通り周りから見て丘のように小高い地域で林を進む道路の途中に急に鳥居があり、そこから階段を五十段ほど登ると更に鳥居、そして神社がある。
中学時代クラスメイト達が肝試しをする事になり、日没直前で階段を登り上の方の鳥居をくぐる直前ずらりと並ぶ人形を見て何もせずに帰ってきた事があった。もちろん僕は不参加で行くのは今日が初めてだ。
鳥居の前についた。風が林を少しざわつかせる。夏の湿った生暖かい風。現時刻は十七時だ。
自転車に鍵をかけ、階段を登り始めた。少し日が傾いているおかげで涼しく感じる。少し耳に違和感。風のささやきや葉っぱの擦れる音以外にも何か音が聞こえるような。
いや聞こえる、ささやきが。クスクスと笑い声が。その刹那顔の前を影が横切った。蛾だろうか。それにしては大きい。また横切った。今度はシルエットが違った。笑い声が大きくなった。正確には増えている。
風は無くなったが林からはざわめきが聞こえ続ける。右肩に何か当たった。手で払いながら肩を見る。
「こっちだよ」左耳から
反射的に左を向いた。そこにはオレンジの髪をした12センチほどの人形がいた。
「っ… 」僕は声にならない声を出した。人形は空中に静止したままゆっくりと下がっていく。右からガサガサと大きめの音。振り向くとボロボロの犬のぬいぐるみが出て、同時に後頭部に何かぶつかった。
「こっち、こっち」ぶつかったであろう人形は特撮の怪獣だった。空中で八の字を描いて挑発している。
「遊ぼうよ」真下から声、右足にリカちゃん人形の男の子が抱き着いている。
気が付くと周りには無数の声が聞こえる。
「お兄ちゃんだぁ」「遊んでもらおうよ」「何しようかな」たくさんの視線や気配も感じる。
まさかこれほどとは。無視して階段を早足で進む。なるべく人形たちを刺激しないように。「無視したー 」「逃げるなー」人形たちは浮き漂い体当りをしてくる。痛いというよりくすぐったい。
「見えてるでしょ」耳を引っ張られる。「遊んでよっ」ほっぺたを蹴られた。何体来ても大丈夫だ。人形だから軽い。無視して更に足を速める。登りきるまでもう十段ほどだ。
「こいつ、やるぞ」「みんな一緒にいくぞ」
「おおっー 」
登りきる直前に周りの人形たちが一気に頭と背中にのしかかる。バランスを崩して前に倒れたが、両手をつき事なきを得た。しかし人形達は以前とのしかかっているので起き上りにくい。
「みんなっ、やめなさいっ」女性の声がした。するとのしかかっていた重さは少しずつ取れていった。
「ちぇ、いいとこだったのに」最後の一体が離れていった。体を起こし、顔を上げると綺麗な女性が立っていた。
「ごめんなさいね。あの子達も悪い子じゃないのよ」そう言い手を差し伸べる
「ありがとうございます」その手を掴むとひんやりしていた。
女性は金髪にロングヘア、碧い瞳に白い肌で鼻が高く、背丈は165センチ位で見るからに白人である。服装は神社には似つかわしくないフリルのたくさんついた長袖のワンピースに白のカチューシャ、いわゆるロリータファッションである。
この人が神社の怪決屋さんだろうか。人形たちも見えるみたいだ。しかし神社にロリータ外国人はあまりにも違和感がある。
「ありがとうございます。えーと、神社の方ですか」
「私はユリィよ。ここに住んでいるわ。でも神社の人間ではなくて… 」
「ユリィ、そこにいるのですか」ユリィと名乗る日本語堪能なロリータ外国人の後ろから青い袴を履いた男性が声を掛けてきた。
「君はもしかして柳沢教授の紹介の」
「はい、成瀬と申します」ユリィさんを避けるように首と上半身を少し左に倒した。その人は眼鏡をかけた短髪だった。
「初めまして、私はこの神社の禰宜、首藤鹿住です」男性はユリイさんを越しに話し、右手を伸ばし握手を求めてきた。その手はユリィさんのお腹を貫通して出てきた。
「えっ」思わず声を上げた。
「あらあら」とユリィさん。
「どうかしましたか」
「鹿住の手が私のおへそから出ているわよ」
「うわっ、ユリィ、そんなに近くにいたなら声かけてくれよ」首藤さんという男性は手を引っ込めた。そして横に二歩スライドしてからまた手を出した。それに答えるように僕は握手をした。
「さっきの反応からして君はユリィが見えるみたいだね」
「首藤さんは見えないのですか」
「ああ、その代わり私は聞こえるよ」首藤さんは口角を少し上げてはにかんだ。僕はハッとした。
「もしかしてユリィさんって… 」そうは言ったがもう確信している。
「そう、人間じゃないわよ」ユリィさんが寂しげに言った。
「彼女は人形さ。ユリィ、良ければ見せてあげなさい」
「あんまり見せたくないのだけど」そう言いながら右袖を肘までめくり、右手を左手で掴み引っ張った。すると右腕は肘から外れ、右肘と左手で持った右腕をこっちに向けた。
「どう、違うでしょう」肘と右腕は空洞になっていて奥は真っ暗だった。
自己紹介を済ませ、辺りを見回すとそこまで広くない境内にいくつかの社に神社の本殿と離れがある。よく見るとどこもかしこも人形が心狭しと置いてある。そして先ほど僕を襲った人形の幽霊? 達が飛び回っている。
「なかなか雰囲気があるでしょう」首藤さんが声を掛けてきた。「私が小さい頃はこんなに多くなかったのだけど、十五年前くらいからどんどん増えて今ではこの有様さ」右手を前から外転させて辺りを促した。
こういう所は危険が高そうで嫌厭していたが実際来てみると意外とそう感じない。実物の人形たちはいかにも呪ってきそうな古臭さがあるのだが。
「ここは人形供養をしているのですよね。それが首藤さんの怪決屋の仕事ですか」
「そうだよ、でもそれだけだと説明がたりないかな」そう言う首をくいっと斜めに二回倒し歩き出した。
「あれは鹿住が、ついてこいっていうジェスチャーよ」ユリィという人形もすたすたと歩き出し僕もそれに続いた。
賽銭箱の横を素通りし神社の中へ入った。ここに来るまで外の至る所に人形があったが中にはいない。
「室内には人形は置いてないんですね」
「神殿は神様の所だから穢れがあるものはもちこまないのさ」神殿の横にある廊下を進むと扉に当たった。開くと下への階段
「こっちさ」首藤さんは階段を下り、その後を追った。
階段の一歩目を踏んだ時に下から冷気が流れてきた。正直嫌な予感がするが
「あれ、怖いの」ユリィが少し嘲ったような声をだした。「大丈夫よ、取って食う訳じゃないから」
「別に怖くなんかない」そう強がって階段を下った。
真っ暗な闇と無数の気配に近づいていく
「今電気をつけます」
一瞬目がくらみ瞬きをする。目はすぐに地下室の光景を捉えた。
一面に人形の群れ。その部屋は有名ディスカウントショップの圧縮陳列のように天井まである棚に人形、人形また人形。その棚は狭い図書館のように並べられている。部屋の天井四隅にはそれぞれを繋ぐように注連縄が貼られている。
「ここ一般人は立ち入り禁止なのよ」ユリィは棚から棚を貫通するように通り抜けて移動している。それに比べ僕や首藤さんは棚にぶつからないように慎重に動く。
首藤さんの後を追いながら人形たちを見ていくと様々な種類があることに気づく。真新しい五月人形に髪が伸びそうなおかっぱの日本人形、怪獣のソフビ人形、アニメキャラのフィギュア、デフォルメされた野球選手の人形など様々だ。
「ここにおいてある人形は曰く(いわく)憑き(つき)で、次の御焚き上げで供養するものたちです。この部屋で対話をして穏やかに最後を迎えさせる事、それが私の怪決の方法です」首藤さんは振り返り近くの棚から青いヒヨコのぬいぐるみを持った。そしてそれを顔に寄せ
「あおちゃん、おきてください」と。すると魂が抜けるようにぬいぐるみと同じ形をした物体が出てきた。すこし透けているので霊体的なものだろうか。それは小さな羽で部屋を飛び首藤さんの頭に留まった。
「鹿住か、何の用だ」すこしドスの効いた低い声だ。
「いえ特には、ただそこの子に紹介をと」
「ん」鼻から空気が抜けるような声をだし、あおちゃんと呼ばれたもふもふの青いヒヨコは小さい羽を上下に動かし、羽ばたくというよりも空中を浮遊しながらこちらの目と鼻の先に来た。
あまりにも近くに来たのでつい目を逸らした。
「おい俺が怖いのか」声と見た目の差異に思わず鼻から僅かに吹いてしまった。
「おい何が可笑しい」目を逸らした先にヒヨコは来た。何も言わずに逆に顔を向ける。ヒヨコはそれについてくる。
何度か繰り返すとヒヨコはまた首藤さんの頭に留まり
「鹿住、こいつ俺が見えているぞ」
「本当かい。ねえ成瀬君、今あおちゃんはどこにいるか分かるかい」見たまま
「頭の上に留まっています」それを聞き首藤さんは僕の両手を掴み
「すごいじゃないか、聞こえるだけじゃなくて見えるなんて」その目はとても嬉しそうだった。
「仲間に会えて嬉しそうね」急に真横からユリィが出てきて思わず身を引く
「おや、ユリィも来たのかい」
「鳥居のところからずっと一緒よ、まあ地下に来るまではこの子の後ろだったけど」
「なんだか恥ずかしい所を見られてしまったようだ」そういいユリィの方を見るがやはり少し位置がずれている。
「やっぱり首藤さんは聞こえるだけで見えないのですか」
「そう、さっきも言ったけど聞こえるだけさ。反応を見ていると君は触れたりもできるみたいだね」
「人型だと普通の人見分けがつかないくらいはっきりと見えます、最初はユリィさんも人だと思いましたよ」
「確かにユリィはそう見えるだろうね。こっちに来てくれないか」首藤さんはぬいぐるみを棚に戻し奥に向かった。棚の間を抜けると壁を背に棚。しかしそこの下半分だけが大きい人形用にスペースが広い。
「あそこさ」指をさす先にそれはあった。
人間の五分の一くらいの大きさ。フランス人形だろうか。一目でわかる精巧さ、髪は本物の様な質量。等身から少し大人びて見えるが少しあどけない表情。サイズ感さえあえば実物の人間と見紛う出来。だがこれは紛れもなくユリィ人形そのものであった。
「ちょっと、勝手に紹介しないでよ」ユリィが自分の人形の前に立ちはだかった。
「いいだろう。減るものじゃないさ」
「恥ずかしいのっ」ユリィはすごむが首藤さんは焦点があってない方を向いているため少し面白い。
「仲がいいな、用がないなら俺は寝させてもらう」ヒヨコが自分のぬいぐるみの方へ飛んで行った。
「もういいでしょう、外に出ましょうよ」ユリィは首藤さんをすり抜け僕の袖を引いた。咄嗟に手を引いて振りほどいてしまった。
「あっ」ユリィの表情が少し暗む
「ごめんユリィさん、つい」僕はちょっとバツの悪い気がした。
「いいよ、気にしない。それより私にさん付けしないで。それ嫌いなの」
「分かったよ。ユリィ」同い年位の女性を呼び捨てにするは小学生以来でなんだか気恥ずかしい、ただ相手は人形だが。
「確かにそろそろ出ようか」首藤さんが階段の方へ向かう足音が棚の向こう側から聞こえた。
階段を登り、外を見ると少し暗い。
「多分まだ色々聞きたいだろうけど、続きは明日にでも」確かにもうすぐ19時になる。
「明日も来てくれるの」ユリィは目を輝かした。正確には表情は変わってないがそう感じる目力だ。
「お邪魔でなければ」そういい鳥居をくぐり階段を下りた。ひぐらしの鳴き声がしたが、どこから聞こえたかわからない。
午前11時神社の階段を登る。ひそひそ声がしたと思い右を向くと、小さな人形が神社の方へ飛んで行った。
階段を登り切り鳥居をくぐると夏の日差しの中暑そうなロリータ外国人人形がいた。ユリィである。
「こんにちは、成瀬」
「こんにちは、ユリィ」話してみると感情豊かそうではあるが表情の変化は乏しい。これはあくまで本体が人形だからだろうか。
「そんなに見つめると恥ずかしいわ」頬に手を当て、横を向く。
「わかりやすいね」表情は乏しい事と声色で揶揄っているのがわかる「リアクションがわざとらしくて人形みたい」
「やっぱりそうよね」少し間をおいて返してきた。「私は人形だもの」少しうつむいたように見えた。そして声色はなんだか悲しく聞こえた。
「おはよう、成瀬君」神社の方から首藤さんが出てきた。「早速だがちょっと手伝ってくれないか」昨日のように首をくいっとした
「わかりました」後を追う。ふと振り返るとユリィはいなくなっていた。
境内の真ん中に墨で印が付いている。そこをコの字に囲うように木を重ねていく。
「今度はこれを下に敷き詰めてくれ」両腕にあふれるほど大量のお札を渡された。
「これは… 」
「お札。中に詩が書いてある。彼らが逝くときに迷わないようにするためさ」
「もしかして」
「そう、地下の人形全員分あるからそれで4分の1」眼鏡を指で直す「端から綺麗に埋めれば丁度いいサイズになっているから」さも得意げに、計算しましたという顔だ。
「了解です」
全てのお札を運んで端から並べていく。隙間なく並べると30枚ほどで重ねた木の枠にぴったしはまった。炎天下の中で地味な作業を続けるうちに汗が少しづつ垂れてきた。丘の上で少し涼しいと思ったが、夏の強い日差しには勝てない。
蝉の鳴き声が聞こえるたびどうしてあの声はこんなに暑さを掻き立てるのか不思議に思う。声は蝉以外にも聞こえるが人形たちは邪魔してこない。
四畳ほどの広さの枠に全てのお札を敷き詰めた。やり終えて立ち上がり腰を反って大きく伸びをする。神社から首藤さんが出て来てこっちを手招きしたので小走りで向かった。
「すこし休憩しよう」ペットボトルを投げ渡された。
乾いた喉を水分が駆け巡る。勢いよく飲み続けタイミングよく口を離し、声を出して呼吸をする。身体から出た水分が全て補給されたような万能感が脳を刺激する。ペットボトルの中身はまだ3分の1も残っているが先ほどの嬉しさはもう体感できないだろう。
それにしてもああいう神事の準備を神社と関係ない自分がしてもいいのか。でも大きな櫓を組む様な祭りとかで全部神社の人が出来るわけではないだろう。そう考えると案外そこらは緩いのかも知れない。
「手伝ってくれてありがとうございます。今日も暑いですね」首藤さんが隣に座り袴の裾をはためかせている。僕はそうですねと言う感じの音をだし返事をした。
「いつも一人で準備するのは大変で、本当に助かります」
「でもいいんですか、僕は神職でも何でもないのに」
「大丈夫、この御焚き上げは元々この神社の神事ではないのから」
「そうなんですか」驚き尋ねると首藤さんはペットボトルを少し飲み
「この神社は『人形』と書くが読み方は『きよなり』さ」
曰く『人形』と書いて『きよなり』と読むこの神社は元々羚羊を使いとする神様を祀っている。ところが書きが人形だから昔から人形を持ち込む人がいて、ちょくちょくお祓いや他の御焚き上げのついでに焼いていた。
首藤鹿住は小さいころから耳が良く、色々な音や声が聞こえたが、その中には他の人が聞こえないものも混じっていた。周りからは嘘つきと呼ばれた。しかし両親はそれを人にない才能と言い、家である神社に帰れば人形たちが話してくれる。
ただその友達は増えれば御焚き上げのたびに消えていく。悲しいけど人間の様に長く一緒にはいられない。中には魂とか全く反応の無い普通の人形も多くあるが、話す人形たちは時には友人として、教師として、兄弟や姉妹として、別れていった。そうやって成長してきた。
両親が亡くなってから後を継いだが、小さな田舎神社は貧乏だった。火の車に乗って峠を走るが消火も駐車もできない。
ある日懇意にしている宮大工の棟梁から相談があった。都会に住む孫夫婦が出産祝いに桃太郎の日本人形を貰ったが、それから家には自分達以外の気配を毎日感じる様になった、と。
夜に庭で歩く音が聞こえ、階段を上ると視線を感じる。寝るため電気を消すとベビーベットに横に一瞬影が見える。赤ちゃんを検診に連れていく時に乗っていたタクシーが急ブレーキをかけ、運転手は時代劇の格好をした人が飛び出したという始末。
そういう事があったため、この神社が障りを解決するような所ではないのは重々承知だが人形を扱う事もあるのでどうにかならないかと。
押しの強い棟梁に連れられて孫夫婦の家に行き、件の人形とご対面。その桃太郎人形は綺麗にアクリルのケースに入っていた。お祓いや、状態を見るためこの人形と二人きりにしてほしいと言った。
部屋に人形と二人きり。正座して相対し初めましてと話しかけると直ぐに耳元で
「なにようであるか」と声がした。事のあらましを説明すると
「小生は赤子を守る為、家に疫病よれば庭で切り伏せ、階段で踏む外せば支え得る位置に陣取り、外出では向う一町に危うき車あればやり過ごすため歩を緩ませたのだが」
明らかに落胆する声を聴き、意図がうまく伝わらないのは彼らが感じやすく、子供生まれて間もない故、恐怖にかられ神経質なっているからだと説明をした。
何も常に見守る事をしないでここぞという場面だけ守ればいい。守られてばかりでは、子供は強くならない。と説得し
「ならばひと月わが体である人形から出ずにいようか」その声はゆっくりと耳から離れていった。
部屋を出て孫夫婦に、これで大丈夫。そもそも人形は赤ちゃんを守ろうとしていたようで害はない。一応一か月後にまた来るのでそれまで粗末に扱わないように。
そして一か月後また孫夫婦の家を訪れた。あれから気になる事は何も起きなくなってとても助かっている。孫娘さんの顔をだいぶ明るくなり、顔色も良い。
ただ部屋にある人形がどうしても怖いのでこれで神社に持って行ってくれないか。そう言いながら握った手に諭吉を入れられた。困りますと言うが、そこをどうにかと手を放してくれない。
すると耳元で
「構わない。貰っておけ」ハッとし「私を引き取れば銭が貰える。何を迷う」桃太郎人形の声だ。
孫娘のいる手前返事は出来なかったが
「ここは引け。それを彼女もそれを望んでおる」声を聴き、止む無くそれに従う。人形を助手席に乗せケースを紐で固定した。バックミラーには深々とお辞儀をする孫娘が見えた。
車は人目を気にせず話せるため昔から好きだった。
「あれでよかったのですか」
「なんのことか」助手席に耳だけ傾け、思いを告げる。
「貴方は子供を守っていて、彼らが気にしていた事案も無くなったのに厄介払いみたいに追い出すなんて」
「それのどこが悪い」声は淡々と告げる
「人は心の状態に大きく左右される。理由はどうあれ恐慌の原因は小生である。不安要素を排除し精神の均衡を保つことは重要であろう」
「貴方はそれでいいのですか」
「貴公は何か思い違いをしておらぬか」声の主は子供に諭すように「小生は子供の健康を願い込めた人形。傍にいるならば守り続ける事こそ使命。だが小生が家に残り不安を抱いたまま一朝事あらばどうする」
「子供を守るはずの小生が原因で子供が傷つくなど本末転倒もいいところ。故にあの家を出るはむしろ僥倖」その声に迷いは感じられない。
「それでは貴方があまりにも報われないじゃないですか」
「なぜ報われる必要がある」車は高速道路に入った。
「小生がいる間赤子を守れた。そしてあの家を去ることでさらに役割を果たせたのだ。たとえ何度気味悪がられようとも、元気な泣き声を聞けたのなら何度でも泥を喰おうぞ。それが我が矜持よ」
きっとこの人形は今とてもいい笑顔なのだろう。見えないがそれがわかる気がする。なぜこんなにも優しい人形があのような扱いを受けなければならないのか。
「お前は優しいのう。ただが人形の為にそんな顔をするのは」はっと片手を目尻におく。
「お前は小生を気遣ってくれた。それだけで十分救われた」
声に確信めいたものを感じ取り、感情があふれる前にすぐ近くに迫っていた小さなパーキングエリアに停めた。
額をハンドルにあてながらうつむき呼吸を整えた。
「お前は人だろう、小生達よりも人の方に片寄るべきだ」一泊、
「神社の者ならわかるだろう。宗教は報われないが救われる。それを人にしてやることがお前の使命ではないのか」
顔を上げ人形にむかって
「なら私は人の為に生業をし、人形の為に仕事をします」
「いい顔だ」声は力強い。
エンジンキーを回し走り出す。
「さて、これからどうするのだ」
「まずは神社のブログを書こうと思います。多くの人にうちの神社の事を知ってもらう為に」
「それで」
「そこからはまたその時考えます」
「それでいいだろう。道は自分で歩くしかないからな」左前に日が沈み始め空は紫と白い雲が混じり美しい。
「そうだ、それと『ぶろぐ』とはなんだ」
確かに『きよなり』とは読めないので持ち込む人がいてもおかしくはない。ふと首筋の汗を拭った。
「それからブログやSNSで人形のお祓いや引き取りを宣伝したら、口コミが広がって忙しい毎日だよ」鹿住さんは少し嬉しそうだ。「休憩終了、今度は人形たちを運び出すのを手伝ってくれ」
「もしかして、地下の人形全部ですか… 」
「ああ、なんだかんだであれが一番大変なのだよ」鹿住さんはにんまりと口を三日月に変えた。
地下の人形運びは人形を2体、多くて3体づつ運ぶのがルールらしい。御焚き上げ直前だからこそ丁寧に扱うのだそうだ。
何十回目に階段を下り、次に自分が手に取ったのはあのあおちゃんだ。寝ているのか手にとっても反応ない
「おい」少し上から低い声がした。見上げるとソーダの様に透き通る青のぬいぐるみがいた。
「やあ、あおちゃん」
「今日なのか」顔の高さまで降りてきた。
「明日みたいです。今日は準備で皆移動させるみたいです」
「なるほどな。しかし見えて話せる奴がいるとはな、鹿住の奴も見えると便利だろうに」
「見えてもあんまりいいものじゃないよ。むしろ見えない方がよかった」
「そうなのか、それは大変だったな」青いぬいぐるみが小さな羽で額を撫でる。不思議といい気持ちになる。「もっと早く出会えていれば話を聞くぐらいできたが、まあしかたない」ぬいぐるみは自分の本体に戻って「頑張れ」と一言。
「あおちゃんはやさしいのよ」後ろからユリィが話しかけてきた「あおちゃんはずっと子供の相手をしていたから母性が強いのよ」ユリィは微笑んでいるようだ。「大切な友人よ、大事に扱ってね」そう言うとユリィは階段を上っていった。
「これでおおまか完了です」鹿住さんは大きく伸びをした。しかしよく見るとユリィの人形がいない。
「鹿住さんユリィは? 」
「ああそうだった。済まないが運ぶ事頼んでもいいかい、私は神社から他の物を出さないといけなくて」
「わかりました」地下室へ向かう。最初は面食らった場所も流石に20往復もすると慣れる。人形が全然いなければ普通の地下室だ。
奥の本体の方へ。そこにユリィが立っていた。こちらに気づき「ねぇ、少し聞いてもいい? 」
「いいけど、何」
「人間って何? 」
「私の一番古い記憶は港町の玩具店。ショウウィンドウから色んな人が通るのを見ていたわ。そこでいつも私をじっと見つめる女の子が最初の持ち主のキヨちゃん。キヨちゃんはどこに行くにも一緒。嫁入り道具に混じって私も行ったわ。
キヨちゃんの子供の礼子ちゃんは優しかった。おままごとでは必ず撫でてくれた。お嫁に行くと私は置いて行かれた、でも子供が出来ると迎えに来てくれた。嬉しかった」ユリィは思い出話を始めた。地下室は彼女の声だけが聞こえる。
「礼子ちゃんの子供の加里奈ちゃんは可愛い子よ、寝る前に今日一日の出来事を教えてくれるの。
ある日、部屋に帰ってきたらずっと泣いていたわ。私は何も出来ずに見ているだけ。何もしてあげられない。もしも私が人だったらキヨちゃんみたいいつも一緒にいてあげられる。礼子ちゃんみたいに頭を撫でてあげられる。私はその時初めて人間になりたいと思ったわ」ユリィは寂しそうに続ける
「人の真似をして自分で歩こうとしてみたり、しゃべろうとしたわ。ある日今みたいに身体から出て動いたり、喋ったりできるようになったわ。ただ誰も気づいてくれなかった。
私は他の人と同じ、自分で考えて自分で行動できる。ただ気づいてもらえないだけ、それなのに君は私を人形と言ったわ。だから聞きたいの、君にとって人間って何? 」
彼女の語彙が段々強くなっている。自分の何気ない一言が彼女の地雷を踏んで傷つけたのだ。申し訳ない気持ちだが取り繕ってもあの真っ直ぐな硝子の様な目から逃げられないだろう。
「ごめん、動くがわざとらしくてつい、そんなつもりはなかったんだ」うつむき頭を下げる。
「答えになってない」彼女は僕の額を指ではじいた
「痛っ」顔を戻すとユリィは悪戯っぽくはにかみ
「これで許してあげる、でも女の子と話すときは思ったことをすぐに口にしない事」人差し指を立てて諭す辺りがいかにもワザとらしい仕草だが彼女が人形である事を知らないなら人間となんら変わらない。
「気を付けます」
「よろしい」彼女は得意げだ
「でもユリィの言う通り自分で考えて自分で行動するから君はもう人と同じだよ」
「ううん、違うよ、君の言う通り私は人形だよ。君に言われて分かったよ。しょせん真似事なのよね」彼女は自分の本体に手を伸ばして「この身体はきちんと手入れをすればきっといつまでもこのまま。涙も出ない。そういう風に作られていないから。人みたいに終わりが無いの、だから私は人じゃない」
「でも、それは… 」ユリィは指を僕の唇に押し当て遮った
「いいの、こんなに綺麗なままでいられたのは皆が愛してくれた証。それを持って幸せな気持ちのまま私は消える。それでいいの」僕は押し黙った。ユリィの言葉は、嘘はないと思える程自信。彼女は表情が乏しいが声だけで感情を表現できる。人と何ら変わらない。
「成瀬君、大丈夫かい」鹿住さんが上から声をかけてきた。
「すみません。ちょっとユリィと話してました。すぐに行きます」声を張って返事した。
「じゃあ運ぶね」ユリィの本体の両脇に手を入れ持ち上げる。想像以上に軽かった。本体をお姫様抱っこに変位させて歩く
「変な所触らないでよ」
「触らないよ」お互いクスクスと笑う。女友達ってこんな感じだろうか。ただ明日には別れてしまう事を思うと寂しさを感じずにはいられない。
「大丈夫よ」ユリィは僕の不安を感じとったかのように話す「君なら大丈夫」その声は優しかった。
翌日17時頃に人形神社についた。昨日全ての準備を終えて、帰るときに鹿住さんに御焚き上げは18時からだからそのくらいに来ればいいと言われたがついつい早く来てしまった。辺りを見ると3人ほど境内にいる。
ユリィがこちらに気づいて近づいてきた。
「こんばんは、来てくれてうれしいわ」
「こんばんは、ユリィ」ユリィは微笑み
「鹿住は着替えていて、多分終わるまで会えないから、始まるまでお話しましょう」手を引かれて鳥居と御焚き上げをする所を挟んで丁度反対側へ来た。
「私はいつもここで御焚き上げみているの。綺麗だから好き」
「僕は御焚き上げみるのは初めてだよ」
それからユリィはこの鹿住さんの事や自分の思い出をたくさん喋った。楽しそうに話すので僕は時に相槌を打ち、時に質問をして彼女の話を聞いた。少し日が落ち始めた頃神社から正装に身を包んだ鹿住さんが出てきた。
神職の正装は平安時代を思わせる雅さがあるがそれでいて静謐な境内の空気にマッチする落ち着いた色合いが見るものの気持ちを整えさせる。
「鹿住もこの時はカッコいいのに… あっ」ユリィは何かを見つけた様だ
「どうしたの」
「あそこの親子、礼子ちゃんと加里奈ちゃんだわ」視線を鳥居の方に向けると身なりのいい60代のお婆さんとその娘さんがいる。ユリィの声は嬉しそうだが動かない
「会いに行かなくていいのか」
「いいの、私の声は届かないもの。でも来てくれただけで私は嬉しいわ」彼女の声は澄んでいた。
話していると鹿住さんが大きく声を出し大麻を左右に振りながら祝詞を唱えた。唱え終わると、御焚き上げの為に作った櫓に火を放った。
「はじまったな」急に低い声が聞こえ驚き、声のした右下方をみるとあおちゃんがいた。
「いつからいたんだよ」
「なにただ挨拶にきただけだ」青い体は少しづつ霧散していく「ユリィ、お前との会話は楽しかったぞ」
「あおちゃんもありがとう」
「わしが見える少年も達者にせい」言い終わると余韻も無くぬいぐるみは散って気配も消えた。
「私もああやって消えるのね、体は大きいから少し時間がかかるのかしら」
「なんだか悟った人みたいだね」
「自分の終わりが来る時が分かっていると怖さも無いわ。人形として誇りを持って消えるのだから。それに向うで加里奈ちゃん達が泣いている。悲しんでくれる… あれ? 」
ユリィの顔を見ると涙が出ている。
「ユリィ、それって… 」
「私わかった。私が消えても加里奈ちゃんはずっと覚えていてくれる。けど加里奈ちゃんが死んだら、鹿住が死んだら、君が死んだら私の事は誰も覚えていない。その時本当に私はこの世から消える。それって人と何の違いも無いわ。私は今、人になれたわ」
声に一本筋が通っている。でもそれじゃあ
「消える事で人と同じになれるなんて… そんなの悲しいよ」
「悲しくないよ。私は今すごく嬉しい。最後の最後で人になれたよ、私はずっと思う側だったけど、今思ってもらえている。すごいね人は悲しい時だけじゃなくて嬉しくても涙が出るのよ」
彼女の頬に流れる綺麗な雫が僕の心を締め付ける。僕は下唇を噛み、下を向いた。考えがまとまらない。そんな僕の肩をユリイはそっと抱きしめた。
「優しいね君は、私の為に泣いてくれる。ねぇ、顔を上げて私の最後を看取ってよ」僕は顔上げた。ユリィはもう腰から下が消えている。
「もう時間も少ないみたい。お願いがあるのだけどいい? 」ユリィは右手を出した。「私達友達だよね、握手してみたいな」僕はゆっくりと手を差し出しユリィは軽くひったくる。
「君の手は暖かいね、私の手も暖かい? 」
「うん、暖かいよ」
「ふふふ、本当に優しいね」ふと握っていた手が空を切る。終わりが近づく。
僕は言葉が出てこない。こういう時に気の利いたセリフが思いつかない。短い間にどんどん彼女の体の端の節々が粒子の様に空へ上がっていく。
「もう時間だね。最後に友達ができてよかった。ありがとうね」
「さよなら、ユリィ」
「さようなら、成瀬君」その言葉を最後にユリィの体はすべて灰と一緒に霧となって空に流れていった。
御焚き上げの炎は尽きて辺りは灯篭や提灯の明かりだけになった。見物人達は一人また一人鳥居へ去っていく。去り人にあの親子がいた。
彼女達はなぜユリィをここに持ち込んだのだろう。なぜ泣いたのだろう。考えても仕方ないことだ。どんな境遇であってもユリィは人形として生きて人として旅立った。あの幸せそうな涙の笑顔が答えだ。それでいい。
「やあ、今大丈夫かい」着替えた鹿住さんが声を掛けてくれた。「儀式の時ユリィといたのを見たけど、彼女は何か言っていたかい? 」
「ええ、満足そうでしたよ」僕は事のあらましを伝えた。話し終わると鹿住さんは頷き
「彼女はずっと人間になりたがっていましたが、人形である事も誇りを感じていました。めずらしいのですよ、人間になりたがる人形なんて」
「そうなんですか」意外だった
「成瀬君は知性についてどう考えています」
「知性ですか… 」
「多くの人は自分達の知性が他の種族の知性にも当てはまると考えています。知性を持つものは必ずこう考えるだろうと。でも人の知性は人のみが持つもの、人形には人形の知性、神様には神様の、AIが知性を持ったのならAIにはAIの知性が」
「それはそれぞれの考え方の根底が違うという事ですか」
「それに近いです。人形の多くは用途の違いはあれど人間に尽くすために生まれました。だから自分が人間と同じなりたいのでなく自分がどんなに辛くても人の為にあろうとするのですよ。
持ち主の辛さを癒せるなら何度でも辛さを受け入れる、それが人形たちなのです」
「彼らはそれでいいと… 」なんだかやるせない
「ここに来る子達はそれに気づいてから逝きますよ。たまにユリィの様に強い力を持ち、かつ強い恨みを抱く子もいます。私はそんな彼らに穏やかに旅立ってもらう為に怪決屋をしています」
「あくまで人形の為ですか」
「それが巡って人の助けにもなります。まだ君は若い、生きていく意味なんてものは無理に探さなくてもいい、きっと見つけられますよ」鹿住さんは落ち着いた言い回しになんだか自分も大丈夫な気がしてきた。
「ありがとうございます。きっと見つけてみせます」
「いい顔です。御焚き上げも無事に終わったのでご飯にしましょう。氏子さん方がお寿司をとってくれていますよ」鹿住さんは社務所の方へ向った。
僕もきっと何かになれるのかな、ねえ、ユリィ。




