七 怪決屋
実家から自転車で一時間ほど、小高い丘の上に群馬大学はある。背には山、他三方は下り坂になっている。なんでも戦国時代にはとある武将の城だったらしい。
群馬大学は県内で唯一ほぼすべての学部があると言われる、いわゆるマンモス大学である。流石に東京の大学に比べると規模は小さいがその分研究も多岐にわたり、東京の下手な大学より入学希望者も偏差値も高い。僕がこの大学を選ばなかったのは、知り合いと顔を合わす可能性が高いからだ。
駐輪場に自転車を置き、坂を上ると小さな門があった。どうやらここは正門ではないらしい。ふと視線を右に流す、小さな池と立て札、そして鹿威しがある。
地面はレンガが敷き詰められて、もう50メートル先にはラウンジ的な建物もある。お洒落な感じのするキャンパスにミスマッチな風景。設計した人にはどういう意図があったのだろうか。
近づいてみてみた。長さ3メートル奥行2メートルほどのこじんまりとした池だ。鮒や鯉が何匹か泳いでいる。深さは太腿くらいだろうか。水面が揺らぎ、底の砂に波紋が出来た。違和感がした束の間、底の波紋は鮟鱇の口みたいに大きく開き、下の方を泳ぐ鯉を丸のみにした。
面食らい一歩下がった。立て札を見ると、
『池の魚を持って行かないで下さい。学生課』
とあった。何事もなかった様に振り返り電話で伝えられた柳沢教授の部屋のある7号館に向かった。
7号館はコの字の形をしており、その7階北側(山側)の小さな一番端の部屋。それが柳沢教授の研究室である。
表札には『史学部 柳沢』とある。深呼吸して呼び鈴を押す。すぐにドアが開いた。
「どなたかな… ん、君はもしかして」
「初めまして。午前に電話した。成瀬です」
「おおっ、よく来てくれた。ささっ、中に入ってくれたまえ」
「お邪魔します」腕時計は十四時をさしていた。
角部屋なので窓が北と東にある。手前に足の低いテーブルにソファー、奥に机があり大量の書類と電気ケトル、本棚にはびっしりと本が詰められていた。壁の余ったスペースには見慣れない木彫りのお面や掛け軸が心狭しと並べてあった。
北側の窓は山肌が見える。丁度目の高さに白い花が咲いている。
「どうぞ、腰かけて、腰かけて」促されてソファーに座る。「それにしても大きくなったものだね」
「お会いした事ありましたっけ」
「覚えていないのも無理はないよ。前に源次郎さんの葬式の時に見かけただけだからね、そもそも君と話したわけではないし」
「そうですか、あの何て言うか… 」
「まま、気にしないでくれよ」声のトーンはやや高く、快活な口調。少し短髪で前髪の一部を白髪のままにして他は黒い髪、眼鏡をかけた痩せ型のおじさん。年齢は六十後半のはずだが、若々しく見える。
「それで、だ。お爺さんの遺品から見つけたのだね、手帳を」
「はい、一応持ってきました」そういい『対怪用手記』を出す。すると柳沢教授は手のひらを向け
「それの中は見ないよ。源次郎さんとの約束でね」口ではそう言うが目は手記を離さなかった。「本当の事を言うとすごぉく、見たいのだが見ない事を約束に色々教えてもらったから、ね」口惜しそうに語尾をきりぎりにして喋っている。僕は訊いた。
「祖父とはどういう関係なのですか」
「私は君のお爺さん、源次郎さんの仕事仲間で協力者さ。怪決屋の、ね」
「解決屋?」
「そもそもその手記を読んだのなら、君のお爺さんが怪奇を見ることが出来たのは知っているよね」
「はい」
「源次郎さんは物の怪だとか幽霊や妖怪なんて呼ばれる怪奇現象、いわゆる怪奇の問題解決を生業にしていたのさ」柳沢教授はたんたんと続ける
「その怪奇と問題解決から取って、怪決屋という」
正直本当にそういう存在があるとは思っていなかったが、逆にいないと言い切ることもできないと思った。テレビでインチキな霊能力が出ていたりするが、本物がいても何らおかしくはないのだ。
「じゃあ柳沢教授も見えるんですか? 」
「うーん。そうだ、そこの窓を見てごらん。花が咲いているはずだ」
「は、はい」先ほど見たままの光景、白い花が咲いている。「白い花がありますけど、それが何か」
「そうか白い花か、実はそこには花は無いのだよ」思わず教授の顔を二度見する。
「そう、僕は見えない人間さ、なにもね。昔源次郎さんもあそこに花があると言っていたよ。君は本物らしい」
「私はゲゲゲの鬼太郎が好きで、それで妖怪なんかを調べ研究していた。調べれば実在しないことが確実な妖怪がほとんどだが、証明できないだけで存在はしていると考えていたのだ。出来る事ならこの目で見てみたいと思っていた」声が少し落ち着いた
「たまたま論文作成のため岐阜に行ったときに知り合ってね。そこで初めて彼の怪決屋としての仕事に立ち会ったのだ」
「それから祖父の仕事を手伝うように」
「そう、私は伊達に研究をし続けただけあって知識はかなりのものと自負している。源次郎さんの発想と私の知識で数々の怪決をしてきたのだよ! 」語尾に力が入る。
「だが君が生まれてからは引退して余生を過ごされていたよ」
「そうなのですか」
「この仕事はなんだかんだ大変だからね、頃合いだったのだろうね。ただ亡くなる少し前に、もし孫が訪れたらよくしてやってくれと言われたよ」祖父は根回しをしっかりとしていたのだ。
「で、君はやるのかね怪決屋を」
「えっ、それは… 」
「ここに来ている時点で少なからずその気はあるのではないのかね」教授はケトルをとりカップに湯を注いだ。中にはティーバッグが入っていた。
「私としては若い怪決屋が増えると色々助かるのだけど」そう言いながらティーバッグを上下に揺さぶった。
「ちょっと待って下さい。怪決屋ってお祖父ちゃんの他にいるんですか」教授のセリフに思わず前のめりになる。
「そうか、源次郎さんから何も聞いていないのか」教授はハッとしたような顔をした。
「私の知る限り十人ちょっとかな」多いのか少ないのかはわからないが、自分と同じように見える人が他にもいるのはなんだか心強く感じる。
「その人たちを紹介してもらえますか」僕も語尾が強くなった。
「私は構わないけど… そうだ」教授は机の書類の山をかき分けて、大きめの手帳を出して頁をめくった。どこかを指さして
「成瀬君、君は今夏休み中だよね」
「はい」
「栄丘にある人形神社って分かるかい、そこは人形供養をする神社で、そこの禰宜さん、ようは神主が怪決屋をやっている。連絡しておくから会いに行くといいよ」
「本当ですか」
「少し待ちたまえ」教授は机の電話から受話器を取り番号を打った。
数秒の沈黙、のち
「久しぶり、柳沢だよ。うん、うん」教授は相槌を打ちながら電話の向こう側に事のあらましを伝えた。
「タイミングは上々だね、うん、ではお願いするよ」教授は意味深な発言をしたが、僕にとってはそれどころではなかった。あのカキガミが行けと言ったのがその人形神社だ。まるで全て仕組まれている様な嫌な感じ。
「さて、今からでも行けるかい」時計は十五時半をさしている。




