007 触れ合い
『日本語は難しい』とよく評される。
その理由は、同音異義語の多さとか、平仮名・片仮名・漢字の使い分けとか。
ニュアンスの読み取りが面倒であることも挙げられるか。
その点においては『日本語』というより『日本人的なコミュニケーション』が難しいのではないかと思う。
さて。読解力の問題だ。
この場合の七重の『もう少し、いてもよくない?』という台詞には、どういった意図が込められているのか。
立ち途中の不自然なポーズのまま、七重と見つめあう。
数秒の沈黙。
「……なんちゃって」
七重は掴んだままだった俺のTシャツの裾を離す。
相変わらず誤魔化すのが下手過ぎだった。
ただ、今回は俺が深読みし過ぎて無言になっていたのもよくない。
濃霧とみなもの泊まりの話を聞いていたせいで、変に意識してしまった。
「もうちょい話すか。3日は会えないんだし」
「向こうでもRINEするわね」
部屋の隅には、合宿の荷物の入った大きなトランクが存在を主張していた。
女子の2泊3日ともなれば、ある程度のサイズがないと入りきらないのだろう。
「そっち座ってよ」
突っ立ったままだった俺は、勧められるがままに座布団に腰を下ろした。
七重も、その横に座布団を置いて座る。
当たり前のように、肩が触れ合うような距離だった。
「あの2人、配信中でもあんなに仲いいんだな。あれなら俺が濃霧とタイマンで会っても燃えないわ」
「まぁ、そうね」
曖昧な返事だった。
俺、おかしいこと言ったか?
右を向くと、七重がこちらを見ている。
納得していない表情だった。
「ファンは気にしないかなって思うけど」
「濃霧だって気にしないだろ」
「みなもちゃんはどうかなぁ」
デジャヴ。
濃霧も同じようなことを言っていた。
しかし、そんな心配いるか?
みなもはむしろ放任主義のように見えた。
俺の睾丸をどうこうなんて冗談を飛ばす余裕もあったわけだし。
不安そうなそぶりなんて特に……いや。
待てよ。
「水下さん、自分が出ないコラボの告知配信にわざわざ来たのか?」
「それよ」
しかも、急な話だ。
先ほどの配信は、本当に俺達のコラボの宣伝だけやって終わった。
それに出るためだけに、濃霧の家に?
もともと今夜は泊まりにくる予定だったのかもしれないが。
「私の勝手な受け取り方だけど。『ノームは私のだぞ』って言ってるように見えたわよ」
「……そっか」
気のせいだろ、と笑い飛ばすことはできなかった。
同じような立場の七重が言っているのだから。
配信上では軽くネタにしていたが、みなもも、彼女が得体の知れない男とコラボするのが不安だったのかもしれない。
「お前は?」
「えっ?」
「やっぱ本当は嫌とかさ」
数日前に済んだ話を蒸し返すようだが、訊いてしまった。
「ううん。ゼロじゃなかったけど、誠意見せてもらったしね」
誠意。誠意ね。
確かに見せた。
秋葉原で杏仁豆腐を奢ったあと、俺はだいぶサービスさせられていたのだった。
荷物を持つなんていう普通の彼氏っぽいことだけではなく、『私のお願いが聞けないわけ?』といくつもの無茶ぶりを受けた。
怪しげな店に並んでいた、おでん味のラムネなんてものを飲まされたり。
形容しがたい味だった。
って言うか、おでん味ってなんだよ。どの具の味を再現したつもりだったんだよ。
カラオケにて女声で歌うなんて実験もやらされた。
意外とできてしまった。
「すげぇたくさん見せたわ」
「ん。だから、あと1つで勘弁してあげる」
「強欲の擬人化じゃん」
いいよいいよ。
真面目な話、後ろめたさがなかったではないのだ。
ラス1、何でもやってやるよ。
「はい」
七重は、女の子座りのままこちらに体ごと向き直った。
そして両手を大きく広げる。
――なるほど。承知した。
流石の俺も、これで察しない程に鈍感ではなかった。
あぐらを解いて、正座で座りなおす。
「今度は佑人からやってよ」
「お……おぉ」
初ハグは、俺と七重の初コラボ直前だった。
あのときは『緊張を解すため』という建前があったが、今回は違う。
彼氏として、彼女を抱きしめる。
そういうことが求められていた。
ここで躊躇しては男がすたる。
「いきます」
「なんで敬語なのよ」
笑われてしまったが、それで少しだけリラックスできた。
七重の腕の下から自分の腕を通し、そっと抱く。
温かい。そして、柔らかい。
……やばい。
自分がハグする側だと、力加減が分からん。
どうしても腰が引けてしまう。
逡巡していると、首の後ろに何かが触れる。
首に七重の手が回されたのだと分かったときには、強く引き寄せられていた。
七重にもたれかかるような形になり、体がより密着する。
あっ。駄目駄目駄目。
いけませんよこれは。
めちゃくちゃ柔らかいもん。
アルファベットで表現するといくつなんだ?
知識も経験も無いから分からない。ただ、でかいのだけは確かだ。
反射的に身を引きそうになったが、七重の両手によってそれは阻止された。
「あと30秒」
「はい」
どくんどくんと鼓動が伝わってくる。
こんなにはっきりと分かるものなのか。
俺のも、同様に七重の体にまで響いているのだろう。
どちらの脈動も、全力疾走後のように速くなっていた。
前のハグのときと同じ匂いがする。
やっぱりシャンプーか。
扇風機の音と、パソコンの小さな駆動音。
それと虫の鳴き声だけが聴こえる。
タンスの上の、熊のぬいぐるみと目が合った。見てんじゃねぇぞ。
「離れてよし」
「はい」
実際に30秒経っていたのかは分からなかった。
許可が出たので、ゆっくりと体を離していく。
いざ離れてしまうと名残惜しい。
違うよ? どこかの感触がとか、そういう話じゃないよ?
俺は紳士だから。
触れ合うことによって、精神的な繋がりがね、こう……ね?
「ちゃんと力入れなさいよね」
「いやほら、痛かったらアレじゃん」
「はぁ……甘めに採点して60点ってことで」
早速ダメ出しされた。
だが、大学の講義ならギリギリの及第点。
一応は単位の出る『可』のハンコが押された形だ。
「これで、金曜まで私のこと忘れないでしょ」
――こっわ。
かわいげのあるおねだりかと思いきや、わりと現実的なマーキングだった。
視覚だけでなく、触覚と嗅覚にまで七重がインプットされている。
金曜日までどころか、当分忘れることはできなそうだ。
「お前も、意外と独占欲強いのな」
「悪い?」
「悪かないよ。それじゃ、帰ろうかね」
明言するのは憚られる事情により立てなかったのだが、もう大丈夫だ。
念のため、静かに立ち上がる。
よし。問題無い。
「寝るときは雨戸も閉めろよ」
「分かってるわよ」
窓を開け、外に出た。
時刻は22時50分。
七重のことだから、今すぐ寝るってことはないだろう。
網戸だけ閉めて、ベランダを乗り越えた。
部屋に戻った俺は、即、デスうさを起動した。
今夜はVtuberの配信をハシゴするのはなしだ。
ゲームに集中しよう。
さっきの抱擁によって、気力は充実している。
「っし。やるぞ」
多々良まひるとして活動を始めてから、なんやかんやで順調に伸びてきた。
今回もなんとかなるんじゃないだろうか。
今回のコラボはゲームがメイン。
配信者としてはともかく、俺にもゲーマーとしての矜持はある。
濃霧にも、100点――は難しくとも、せめて80点を。
『優』を出させてみせようじゃないか。
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活動報告もこまめにしていくつもりです。




