002 招待
「……っ!!」
全身が粟立つ。
配信を聞いていたのがバレていた……!?
いや!!
七重が俺に気づいていたのなら、その時点でいったん配信を止めるなり音声をミュートにするなりしてから対処できたはずだ。
少なくとも、敢えて1時間も聞かせるはずがない。
なんせキャラを作っての萌え声ホラゲ実況だ。
というか、窓が開いてなければ声は漏れない。
俺に声が届いているという自覚があったのならば、それは窓が開いているのを知っていたということになる。
この時点でほぼありえなかった。
窓を開けっぱなしにしてエアコンをかけるなんてことはないのだから。
第一、俺ほどではないが七重も目を見開いて驚いた表情をしている。
であれば、七重は配信終了後に戸締まりをしようとして、窓が開いていることに気づき、なんとなく外に顔を出したら俺を見つけたという流れだろう。
つまり、俺が配信を聞いていたかどうかは分かっていない。
堂々としていればいいのだ。
ここまで考えるのにおよそ1秒。
俺にしては上出来だ。
危機感が脳をオーバークロックさせてくれたのかもしれない。
「佑人」
ベランダに出てきた七重。
「お……おぉ……久しぶり」
「聞いてた?」
配信時とは別人のような、底冷えするような声音。
俺の知っている普段の七重ともまた違う。
完全に疑われていた。
だが、質問してくるということは、やはり確信を持ってはいないということ。
俺よ、落ち着け。落ち着いて対処しろ……。
「聞いてたって、何をだ? それよりお前、その格好はどうしたんだよ」
そう。
俺が驚いた理由は、七重がベランダに顔を出していたことだけではない。
彼女が着ていた服もまた、同じぐらいに俺を戦慄させていた。
過剰なほどにフリルのついた真紅のロリータ服。
頭にもフリフリしたカチューシャのような髪飾りを装備していた。
ヘッドドレスっていうんだっけ。
似合っていないわけではない。
むしろ、かなりいい。
夜の闇に浮かび上がるような白タイツもまたよろしい。
ただ、ベランダ用の地味なサンダルだけはフォローのしようもなくアンマッチだ。
俺の知る限り、こいつがこんな衣装を着ている日は1日だってなかった。
ラフなTシャツにジーンズとか、そうでなければジャケットにタイトスカートといったカジュアルめの服装を好んでいたはずだ。
こちらの疑問には答えず、七重は右手を伸ばしてベランダ越しに俺のコップを奪う。
そして、僅かに残っていた麦茶を一息にあおると「ぬるい」と呟いた。
――なるほど。
「ずいぶん長時間ここにいたんだな」と言いたいわけだ。
「聞いてたんじゃなかったら、なんでベランダにいたわけ?」
「エアコンが壊れたからここで涼んでたんだよ。嘘だと思うなら、部屋に来てもらっても構わないぞ」
突き返されたコップを受け取りながら答えた。
これは本当のことだし、さほど不自然ではないはず。
しかし七重は追及の手を緩めるつもりがないようで、ベランダ越しに俺の両肩を強く掴んだ。
納得するまで逃がさないぞという意思を感じる。
「聞こうとしてなくても、聞こえてはいたよね? 窓、締め忘れてたし」
「いや全然? スマホに集中してたし。Tuitterでかわいい猫の写真なんか見てると時間なんてあっという間に」
「佑人」
じっと目を見つめられる。
顔が近い。
七重の瞳に映った俺の顔は、情けないぐらいに強張っていた。
「……なんだよ」
肩に置かれていた手が、俺の首を登り、左右から俺の顔を挟む。
そのままぐっと引き寄せられ、俺は再び手すりにもたれる形になった。
「怒らないから。嘘はやめて」
息のかかるほどの距離で、そう告げられた。
その諭すような言い方に、俺は数瞬だけ逡巡し。
「すまん。聞いた」
正直に答えた。
証拠は無いのだから、聞いていないと言い張り続けることはできた。
つい今さっきまでそうするつもりだった。
だが、かつてないほどに真剣な七重の表情に――
誤魔化しきって無事に部屋に戻るより、グーで1発殴られる方がいいと思えたのだ。
「最初に聞こえてきたのはマジで偶然だよ。けど、そのあと聞き続けたのは俺の意思だ」
「そう」
拳は飛んでこなかった。
それは喜ばしいのだが、俺の顔を鷲掴みにしている指が目に入ってこない保証はどこにもない。
幼稚園児の頃から、こいつは怒ると怖い。
予断を許さない状況なのは変わりなかった。
「そっか」
ぱっと手を離された。
結構な力で掴まれていたが、顔に痕がついていないだろうか。
まだ指の感触が残っている。
「許す」
「ありがとうございます」
思わず敬語。
とりあえず生還ルートに入れたか?
心なしか七重の表情が穏やかになっている気がする。
「許してあげるから、こっち来て。話すことあるから」
そう言って手招きする七重。
ベランダから入ってこいってことか?
「……ここでよくね? そんなに長くなるのか?」
「いいから」
「どうしても?」
「どうしても」
どうしてもって言うならどうしてもなんだろう。
こいつがこうなってしまったら、どうせ俺が折れることになるのだ。
思い返せば昔からそうだった。
「分かったよ。でも、玄関からでいいだろ」
「こんな時間に?」
「あっ」
確かに。
こんな時間に面木家を訪れたら、向こうの両親にさぞかし驚かれることだろう。
うちの親だって、これから面木家に行くと言えば同様だ。
かといって、行き先を告げずに出かけるのも不審だよな。
「じゃあ……行くわ」
「ん」
まずは自宅側の手すりを跨ぐ。
わざと落ちようとしないと落ちられない程度の隙間とはいえ、わりと怖いな。
2階だし、最悪落ちても死にはしないだろうけど。
俺も七重も、子どもの頃はよく恐れもせずに乗り越えていたものだ……。
互いの親には見つかるたびに怒られていたっけか。
「よっと」
面木家側の手すりも越え、無事に着地。
開きっぱなしの窓から冷気が漂ってくる。涼しい。
「部屋ちょっと散らかってるけど、気にしないでね」
「あぁ」
サンダルを脱ぎ、七重に続いてカーテンを抜ける。
こいつが俺を部屋に招いた理由が、口封じでないことを祈りながら。
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