Black&Red
暫くすれば、目が覚めるものだと思っていた。
だが、いつまで待っていても、一向に目は覚めなかった。
黒闇の夢の中、僕は1人佇みながらビルの屋上で、妖しく揺れる2人の人影に注目する。
(あれは一体、誰なのだろう?)
僕の知っている人物が夢に登場しているのだろうか?
それとも、全く知らない人物なのだろうか?
確かめてみない事には分からない。
だが、身体の感覚が明確にはあるものの、足を動かそうにもその場から一歩も動き出せなかった。
まるで、地面に足を糸か何かで縫い付けられて、縛り付けられているかのようだった。
影を縛られて、自由に動けない様に最初から縫い付けられているみたいにも思えた。
(…動けない。
確かに足には感覚があるのに何で?
鉛のようにどしりと重たい。)
足が石像にでも変えられたかのように、自分でどんなに頑張って歩こうとしても歩き出せないのである。
(なんて気持ちの悪い感覚なんだ…)
この場所から移動する為にも、何とか一歩を踏み出す為にグッと力を入れて、無理矢理にも動かそうとした。
(せめて一歩…!)
然し、敵わず、全く前進出来なかった。
(ダメだ。動けない)
それでも、もう少しだけ頑張ってみるかと、ジリジリと足を動かそうとしてみた。
そうして一応、努力はしてみた。
けれども、完全に不可能らしい。
(金縛り…。
みたいだけど、何だか金縛りとも違う。)
こんなに不自由さを感じたのは初めてだ。
まるで、こんなの誰かに呪術でもかけられてるみたいで。
初めて感じる、不自然な気持ちの悪い感覚…。
(呪詛なんて、かけられた覚えはないけれど…)
知らずにかられていたのだろうか?
目を開いた瞬間から、僕は既に此処にいた。
目を開けるその間だと言うならば、納得もいく。
この夢もこの足も、誰かが操っているのだろうか?
(何で覚めてくれない…)
違和感を覚えながら、僕は自分の両手の平を何となく見つめる。
自由に動くのは、足から上の半身と手から指先だけだった。
そんな状況に、身を置いているからなのだろう。
呼吸が浅くなってくる…。
(息が少し苦しい…怖い。早く覚めてくれ)
「悪夢だ。」
微かに孤独を感じ始めてぼそりと呟く。
(声が出た…)
声が出るとは思わず、自分の声に自分で驚く。
この夢は、声まで出る夢なのか。
ただ、変にリアルで怖い夢なんだとばかりに思っていたけど、ひょっとして現実なのだろうか。
(現実なら…どうやって覚めたらいい?)
夢か現かが、正直全く分からなくなる。
それまでに混乱していた。
それでも、夢であればいいと思う。
でも、現実でもありそうだと思えてきて、そんな不安から疑念を抱きたくなる…。
漫画やアニメ等の主人公等が、よく体験している物語の中にも似ている状況に置かれた僕。
嘘みたいな現実の世界に、1人閉じ込められているのではないかとも思えてくる。
(現実なのか?
いや、夢だと信じたい。)
先程から、全く変わらない景色の中で、中々、覚める気配のない夢に対して少しずつ焦りが出てくる。
(…どうしよう)
ぎゅっとかたく瞼を閉じて、両手で耳を塞ごうとした刹那…
世界がぐにゃりと変形して、気持ち悪く歪むのを確かに感じ取る。
明瞭に異変を感じて、はっとして目を開けたその後、”どぅがん!”と大音の鈍く重たい銃声が鳴り響いた。
(…っ‼︎)
「な…っ⁉︎」
何が起きたというのだろう?
思いがけない瞬時の出来事だった。
一瞬の事で、何が起きたのかさっぱりと理解出来ない。
束の間で、瞬きをする間もなかった。
その為、その時は驚きから声も出せなかった。
一体、何が起きたというのか。
ただならない様子に眉を顰めた。
(何が起きたの…?)
頬を伝う冷や汗。
暫く呆然としていたが、はっと我に返って何が起きたのかと辺りを見回す。
どう考えてもあのビルの上からだ。
それに気づいた僕は恐怖心が更に増した。
冷静さを保とうとしていたがもう無理だ。
(心細いし、この世界は何なんだろう。)
僕は動けないながらにビルを見つめる。
目を凝らして見つめた。
(やっぱり2人いる…
ゆらゆら揺れているのは何だ?)
ビルの屋上に立つ怪しい人物が、肩から羽織っている長いコートらしき衣服。
目視で、膝丈まではあるだろうと思われた。
(あくまでも勘だけど。)
それは、微かな風によって、ひらひらとその長めの裾を揺らしている。
けれど、風も少しずつ勢いを増して強くなって来ていた。
段々と吹き過ぎる風が、びゅうびゅうと音を立てて乱暴になってくる。
唸り声を上げて激しく横切る風が、強く当たる。
僕の髪を左右に揺らしながら吹き過ぎる。
針の様に、ピリリと肌を突き刺す感じで、少し痛いくらいだ。
(痛いな。夢の中でも痛感があるのか。)
ビルの屋上に立つ人影の1人。
僕から見た時に、そいつは左端。
かなり髪が長めで、吹き荒ぶ風が、その長い髪を大きく波の様に揺らしていた。
身長も高く、細目の体型。
その横に並び立つ右端の人物。
もう一人の人影。
そいつは髪が短髪だ。
左端の人物より、やや身長は低め。
そして、細目の体型。
左端にいる奴がやたらでかいだけかもしれないけど。
(それにしても左端の人は細身で、身長が高いな)
それを見分ける事が出来たのは、視界が先程よりもはっきりと鮮明である為だ。
さっきは、ボンヤリとしていて、確りとは見る事が出来なかった。
だが、今は月明かりの影響もあるのか、先刻よりもずっと良く見える。
月明かりが赤い事に変わりはないが、その輝きは、より強く増していた。
赤黒く血みたいな色。
ワインレッドの満月。
その不気味さにも変わりはないが、輝きだけは強さを一段と増していってる。
人には、計り知れない力を持っている様にも思える。
その力を発揮する前触れの様にも思えた。
そんな赤々とした満月の不気味な真紅の光によって、僕がずっと、気になっていた人影の性別まで予測がついたのだ。
(体型や身長からすると、多分男性だ)
多分、男性だろうなと予測を立てた。
そうして、それは2人並んで僕を上空から見下ろしている様にも見えた。
あの2人から、僕が見えているのかは僕には分からない。
また、絶対にそうであると言った確信もない。
ただ、鋭い人の視線の様なものを感じ取った。
それと、微かに殺気の様なものを。
(あの建物は、それなりの高さもあるし、距離もある。
見える訳がないと思っていたけど…
見えている?)
普通の人物ならば、僕の事は見えないだろうし、 気付く事もない筈だ。
然も、こんな闇の深い夜に…
より深く、目を凝らしてその影を見ようとする。
僕は、その手元に注目した。
すると、ある事に僕は気づいた。
影の特徴で、もう一つ気づいた事…
(あれって!)
銃弾を放った人物を特定する事が、出来たのだ。
人影は左右に対照的に並んでいる。
予測通り、左側に佇むのは、腰丈くらいはあるだろうと思われる髪の長い長身の男らしき人物。
その左側に並ぶ様にして右側にいるのが、髪の短い男性であろうと思われる。
それらが、見下ろす様にその影は並んでいた。
髪の色や顔までは特定出来ないが、それが男性であるだろうという事は何となくわかる。
それらに加えて気づいた事が、左端の男は手に”なにか”を持っていたという事だ。
海外映画では必ずと言うほど目にした事のある”玩具”を手に握っていた事に気付いた。
それに気づいた僕は軽く動揺する。
(…あれは、銃?)
ギラリと光って見える銃らしき玩具は、どうやら本物らしい。
右端の男は何も持ってなさそうだ。
目線だけで、周囲を見回しても他に銃声が鳴り響く要因となりそうな物は見つからない。
何より、殺風景とも呼べるだろうこの場所。
ビルや塔の様な無機質な建物ばかりに囲まれたこの場所には、特別何も無いのだから。
(ならば、あの人があんな遠い場所から此処に向けて銃弾を放った!?)
ひょっとして、彼方からは僕の存在が見えているのかな。
まさかとは思うけど、本気で殺そうとしたのだろうか。
(此処にいたら…殺される?
向こうから此方が見えている?
つまり夢ではない?現実?
やたら無駄に長い夢?
一体なんだ…分からない。
あんなに遠く離れた場所にいるのに?
どうして…)
色々な疑問を一度に抱く。
(もし、僕を殺すつもりなら)
その為の銃弾を僕に向けて放った…?
何故、殺そうとしたのかは知れない。
でも、その為の銃弾を僕に向けて放ったのだとしたら…。
どう考えても此処に留まっているのは、かなり危険な状況である。
(やばい!かなりまずい。
此処にいたら、僕はあいつらに消されてしまうかも…‼︎
そうだ。早く、早く此処から逃げなくちゃ‼︎)
色々、予測を立てている場合でもない。
逃げると言っても足は動かない。
焦りだけが増していく。
「…だけど、あの人そんなに目がいいの?
人じゃない、とか?」
(人とは少し異なる佇まいだった。
雰囲気が違うというか…
異様な感じで。)
「然も、こんな離れた場所の僕を見つけるなんて‼︎
いや、今はそんな事を言ってる場合じゃないか」
そうだ。
今、しっかりとしている事は、此処にいると命が危険であるという事だ。
僕は多分彼奴らに狙われている。
最初から向こうにも僕も影として、見えていたのか…。
足元を見れば、確かに影が薄くあった。
夢の中で、自分にも影があるとは思わなかった。
そもそも、見えているのは僕だけだと思っていた。
夢の中で、相手から見えてる可能性があるとは考えにも及ばなかった。
本当に夢ならばいいけど。
(兎に角、今は全力で逃げなくちゃ!
殺されちゃうよ!)
夢の中とは言え、殺されるのは嫌だ。
殺されたら、もしかしたら2度と目が覚めなくなる可能性もあるだろう。
この世界で終わる可能性がある。
現実に戻れなくなるかもしれない…。
そもそも、これが現実なのか夢なのかも、最早不明だけど今は何としても自分の身を守る為に足を動かして逃げなければならない。
それなのに…!
(何で!何で、何で動かないんだよ‼︎)
感覚事態は足にもあるのに、動かそうにも動かない。動けない。動いてくれない。
(逃げなきゃならないのに)
誰かが操って、僕が動けない様にこうして、縛り付けてるみたいだ。
(動いて。お願いだから)
焦りながら、逃げる為に抗う様に足を動かそうとする。
次にあの銃弾を放れた時、僕はそれをまず、避けられない。
嫌でも動けない。
足は動かないんだから。
唯一、動かせるのはこの両手のみ。
全身の感覚だけはきちんと働いている。
(本当不明瞭で理解に苦しむ夢だよ)
然も、あの人影は僕を目掛けて銃弾を撃った様にしか思えない。
的確にヒットさせようと引き金を引いた様にしか考えられない。
顔はやっぱりよく見えない。
これだけ距離があれば当然だけど。
でも、今の僕には彼奴がにやりと笑っている様に思えた。
僕を殺そうとして、不敵な笑みを浮かべている様にしか思えない。
ジリジリと追い詰めて、楽しんでる様にも感じられる。
仕留められるわけにはいかない。
殺される訳にはいかない。
(夢か現かも分からない世界で、ひとり死ぬ訳にはいかないんだよ!)
絶対、目覚めて現実の世界に帰るんだ!
そして、今日もまた普段通りに学校に登校するんだから。
いつもの生活に戻って勉強するんだから。
此処から銃弾を放たれれば終わりだ。
(その時はそれこそ…)
死を覚悟するよりないのだろう。
身を守る術がない。
あんなに遠い場所なのに。
(こんな離れた場所にいる僕を簡単に見つけるなんて)
相手はかなりの凄腕なのだろう。
そんな相手に遠くから銃弾を放たれて、それを手で防げる訳がない。無理だ。
寧ろ、手で防いだら銃弾により穴が空くだろうし、確実に貫通するに違いない。
(そうしたら、僕自身もそのまま貫かれて死ぬ事になるんだろうな…。)
結局、死んでしまう。
どうにも防ぎようがない。
殺されてしまう…恐い。
逃げ場が無い。
(このままでは逃げられない…)
この足も、この世界では全く役立たない。
此処で死ぬより他にないのか?
何か助かる方法はないのか?
(良い案を考えなければ…どうやって?)
どうしたらいい。
正直、完全にパニックだ。
頭の中なんか思考停止状態にある。
それでも、冷静に考えようとする。
生きる為に。
生き延びる方法は如何にかないのかと。
(待ってよ。待って…。頼むから殺さないで。)
口には出さずともそう強く思う。
こんな違和感だらけの知らない世界で、一人早死になどしたくはなかった。
まだやりたい事もあるんだ。
やり残した事もまだまだ沢山。
大切な家族だっている。
友達だって、数少ないながらにもかけがえのない大事な友人達がいる。
その人達を残して先行く訳にはいかない。
生きて生きて生きて…、生き抜いた先にやるべき事が僕には数多くあるのだ。
まだまだ読みたい本もあるんだから。
大好きな趣味である料理もしたい。
本をこれからも好きなだけ読みたい。
勉強して卒業して…。
友人と笑いあって、何気ない会話を楽しんで、遊んで。
恋人をいつか作ったり。
そうだ。色々な美味しい物だって食べたいよ。
海外に遊びに行ったりもしてみたい。
写真を撮って、それを宝物にしてさ…
素敵な思い出を写真に収めて、それをアルバムに貼り付けていっぱいにして。
「楽しかったね」って誰かと笑って…、思い出話をする。
人生の中でやりたい事ややり残している事なんてあげればキリがない。
当たり前にある日常。
当たり前に与えられて、誰もが特に普段は気に留めることなく過ごしている日常。
そんな実は、かなり恵まれた日常を僕もこの先も過ごしたいんだ。
こんな場所で、見ず知らずのスナイパーに撃ち殺されては堪らない。
だから夢から覚めて欲しいのだ。
この先、生きてやりたい事の願望を幾つも並べ立ててみるけれど、僕の置かれている現実はそんなに甘くはなくて…。
(死ぬかもしれないんだ)
ならば、どうか、死ぬにしても死ぬ前に遺書くらいは残させて欲しい。
大事な家族や友人に伝えたい言葉や思いがあるんだ。
ありがとうとか、出会えて良かったとか。色々な言葉や感謝の気持ちを伝えたい。
中々日常では言わない言葉を含めて、伝えたいことが山の様にあるんだ。
(大切な人達に、きちんと感謝の心を伝えたいんだ。)
辛い時や苦しい時に、支えになってくれた大切な人達に向けて。
悲しみや苦しみの中、それを乗り越えなければならない時に、そっとそばに居てくれた友人に向けて。
言わずに死んだらきっと後悔するんだ。
(まだ、死にたくないな…)
命の終わりを悟ったからか、粉雪の様に様々な思いやその感情が、心の中に、そっと積もりに積もっていく…。
後悔して悲しむのは僕だけじゃなくて、周りにだって少なからず影響を与えて、同じ様に悲しみを 感じさせてしまうのなら。
(やっぱり死ねない。死ぬ訳にはいかない)
命をそんなあっさり捨てられる訳ない。
簡単には死ねない。
今の僕には出来ないよ。
諦めるなんて、そんな事はしたくない…。
誰かに、「お前は何の為に生まれてきたか」と問われても、きっと直ぐには答えられない。
自分が産まれてきた理由なんて、誰も知らないから。
何で生きてるのか、生かされているのかなんて分からないから。
自分の事でも、自分の知らない事もあるはずだから。
その為、理由など直ぐには答えられないが、命を宿して生まれたからには何かしらの意味があるはず…。
(だから今を生きたいと思う)
人間って、きっとそういう生き物だ。
生きる事の時間が自由に無限に与えられている様に感じられる時には、いつかの終わりを望む。
でも、終わりを迎える時にはきっと、もっと生きたいと強く望んで後悔したり、涙を流して心の底から悲しむんだ。
人間って、多分、欲深くて貪欲な生き物だから。
でも、それでいいのだ。
願望が多いからこそ、生きる希望を持ち、生きる為の活力となるのだ。
それでいい。人間らしくていいじゃないか。
だから僕も今、こうして死の淵に立たされて、明日を強く生きたいと望んでいる。
死ぬ事に対して強く怯えてる。
「生きていたい…」
(死ねないよ。
遺したくないよ。
遺して死にたくない、大切な人達…)
何があっても、あの男に狙い撃ちにされる訳にはいかない。
背後を振り返れば撃たれるかもしれない。
少し動いただけで、頭に銃弾を撃たれるかもしれない。
どうにも逃げ場がない。
逃げようにも逃げられない。
(明日を生きたいのに)
こんなにも足掻きたいとは思うのに、どうやら死ぬ覚悟を決めなければならないようだった。
(僕はもうダメなのか?)
諦めるしかないにしても、死ぬ瞬間まで絶対に諦めたくもない。
頑なだった。
今は死ねない。
「今は死にたくない…!」
いつか、人は必ず死ぬ運命にある。
寿命があって、一人ひとりが持っている、かけがえのない命や魂がある。
でも、それはみんな平等に1人に一つだけ。
悲しくても、悔やんでもそれを回収される日は誰にも必ず来る。
だけど、今はまだその時じゃない。
(殺されて死ぬのは嫌だ)
それが、誰かに殺されて死に至るなんて、僕は嫌だった。
絶対絶命。人生最大のピンチ…。
どうか、撃たないで欲しい。
けれども、さっき一発撃ったのは、警告?
または牽制?
相手は、わざと外した様にしか思えないし。
何処に撃ったのかは分からないけど、一発既に此方に向けて、銃弾を撃ち放っているのは確かだ。
どちらにせよ、危険に晒されているのは分かる。
時間もなければ、猶予もない。
(夢ならばさっさと覚めて、今まで通りの現実に帰りたい。)
望めば帰れるものなのか…
いや、違うな。
望んでも帰れなかった。
僕は、この世界で死ぬ運命を受け入れる他にないのか?
もう、分かりきっていた。道は一つしかなさそうだ。
(諦める…?)
「死ぬ選択しかないのか…」
選択する自由すら与えてもらえず、死ぬ事になるのか…?
ヒットマンなら仕方ないのかもしれない。
殺す相手に生きる自由の選択権を与えてくれる筈もない。
死ぬ瞬間まで待つしかないのだろうか。
それをただ受け入れるしかないのか。
今はその瞬間まで、死を恐れ、死ぬかもしれないという恐怖心に蝕まれるより他に方法はないのか。
こんな場所で、たった一人で孤独に死にゆく瞬間を待てというのだろうか。
何とも耐え難い残酷な時間だ。
”神”はそんな試練を何故与える?
神がいるかどうかは不明だけど、何者かから、試練が与えられ、課せられた様にしか言えない状況。
どう思考しようと何と言おうと、変えられないものはどうしようもない。
生きようと足掻く事も出来ないのだから。
生きたくても選び取る自由もない。
(もう、今は死を待つしかなさそうだ。)
その残虐で非道な瞬間を。
あの男は、きっと笑っているのだろう。
ニヒルな笑みを浮かべて…
死に怯える僕を見て、きっとにやりと薄ら笑いを浮かべて僕を撃ち殺そうとしているに違いない。
この瞬間を待ち侘びていた?
ずっとあの場所から待ち構えていた…?
当初から、既に死を用意されていたダンジョンの中みたいだと思う。
そういう荒手のゲームなんだろうか?
月明かりに照らされてギラリと光る銃口。
その手に握った大きめな銃を僕に向けて…、その引き金を引く瞬間をさぞ、愉しげに待ち構えているのだろう。
(何て残酷な奴なのか…)
意味もなく人を死に追いやろうとして、苦しみを与えるなんてまるで悪魔。最低だ。
その時を今か今かと待っているのであろう。
(覚悟を決めるよりなさそうだな。)
僕は一度瞼を閉じようとする。
だがやめた。
僕は瞼を閉じないで、その瞬間まで目を開けている事にする。
その僕の視線の先にあるスナイパーであろう人影を見据える事にした。
これが本当に最後だと言うならば、その”最期”を自分の目で見届けて死んでやる。
( 自分の人生が終わるその時を、自分の目でちゃんと見届けて死んでやる…!)
結局は、何も出来ない。
僅かな抵抗のつもりだった。
悔しかった。
本当に心底、悔しくて唇を噛み締めた。
唇が切れたのか、血の味が微かにした。
夢だというならリアル過ぎる…
(それに、酷い夢だ)
身体を少し動かす事は出来ても、一向に足だけは動かせない。
歩き出す事は最後まで出来なかった…。
無駄に感覚だけが残っていた。
(死んでも後味悪いだろうな…
感覚は不思議とあるくせに足だけ動かず、死んだとなれば…)
夢か現か…最早何が何だかさっぱりだ。
そんな意味の分からない世界で、今は殺されそうになっている。
自分の身を消される危機に立たされるというのは、こういう事なのか。
かつて、読んだ事のある小説の主人公も、こんな気持ちで死んだのだろうか?
忠誠心を持って働く、真面目で勇敢で、優しく謙虚な騎士の話だった。
彼は、どんなに傷つこうとも、人生の最後まで足掻き、終いには敵に拘束されて集中攻撃を受けて死に至る。
それでも尚、大切な人を守り抜こうと必死で抗う戦士だった…。
(きっと、悔しくて痛かっただろうな)
その時、僕は悲しい気持ちでそれを読んでいた。
その彼の心境を推測して、今の僕もその彼と同じ心境なのだろうかと考える。
足が動かせないのはきっと彼奴らに呪術でもかけられたからなのだろう。
(正確には知らない。
けど、そんな時がする。)
僕の運命は、この歪な世界の闇夜の中で決まる…。
死後に行き場はあるのだろうか。
死後に世界があるのだろうか。
死後など知らない。
体験した事もないのだから。
転生するのか。消滅するのか…
痛いのか。痛くないのか。
沁みるのか。沁みないのか。
暑いのか。寒いのか。
怖いか、怖くないか。
それとも、なにも感じられなくなるのか…
魂はどこに向かうのだろう?
何が迎えに来るのだろう。
悪魔か、死神か。
または何も無い世界だけが、どんよりと広がり、待っているのか。
僕はどうなるのか。
生きているようで死んでいるのか。
ゾンビか、幽霊か…ただの残骸か。
( ああ…考えるまでもないか。)
きっと僕は僕でなくなり、”僕”という人物は居なくなる。
どの小説を読んでも、”死んだ者”が出てきた事はなかった。
きっと死んだ者は喋らない。
生き還る事はあり得ない。
そして、存在すらないのかもしれない。
(つまり、彼らの行き場は…。)
何処にも存在して居なかった。
死んだ時点で、人生という物語にピリオドを打たれてしまったんだろう。
だから、2度と登場する事のない人物となり、使い物にならない駒となって朽ち果てた。
その駒に、これから僕がなるのか。
まだ猶予を与えてくれている。
面白がって反応を楽しんでいるだけかもしれないけど…
(まぁ、いいか。)
何にせよ此れから僕は死ぬのだから。
死後に世界があるのか無いのか僕は知らない。
(ひょっとすれば、運良く元の世界に戻れるのかもしれないし)
きっと、死ねばどの道知る事になる。
戻れなかった場合の死後は、もう感情も何もかもが失われて、そこには残骸すら残っていないのかもしれないが…。
だが、どうせ最後だと言うならば、自分の人生の終わらせ方を決めるのは僕自身でありたい。
ただ、殺されて堪るかと小さな抵抗を見せてやる。
目を開けて、最期を見届ける事…
それ以外に何も出来やしないのだから。
異常なまでに悔しくて、更に噛んだ唇から血が滲み、口元を伝うのを感じた。
涙は不思議と流れずに、ぎっとその闇に佇む人影等を睨み付けた。
最初からこうなる運命なのだとしたら、何て残酷な僕の人生の物語…
僕の人生の終章はここで幕を降ろすのか。
何て、つまらない。
何て寂しい。
酷くて救いようのない物語だ。
「はは…っ。
我ながら、駄作な人生の終章を今は待つしか他にない。」
ピリオドを打つなら早く打てばいいのに。
その銃は単なる飾りや玩具じゃないんだろう?
ならばさっさと終わらせて。
こんな不快な気分、もう味わいたくないんだからさ。
その銃弾で瞬殺。いや、撃ち貫けばいい…
未練がないとは言えないが、諦めが肝心な時にも人生にはある。
覚悟を決めなければならない時もある。
潔く散らねばならない時も。
(それが今…っ。)
思いがけない終止符を打たれる。
僕の遺した大切な人達が、多分悲しむのは目に見えている。
「”あいつ”に最後に僕の得意な手料理を作ってやりたかったな…。
きっと美味しいって言って、何時ものように笑うんだ。
そして、あの向日葵の様に咲く穏やかな笑顔を僕に再び見せてくれる…っ。」
生きていればその筈だった。
目が覚めてくれたならいつも通りだった。
さっさと目を覚まして、通常どおりの日常に戻る筈だった。
絶対に夢で直ぐに目覚めると確信していた…。
でも…、
「もう手遅れみたいだけど」
僕は人生の終章を迎えるまで、視線の先にある者を見据え続けるつもりだ。
物語のピリオドと銃声は、きっと比例する。
それが人生の結末を赤く、黒く染めて彩るなら…。
『へぇ?
ただ、ビビって逃げ出すのかと思えば、そうして自分の最後を迎える瞬間まで、決して諦めないつもりか。
コッチを見据える瞳にすげ〜力がある。
まぁ、逃げる足もないんだろうが…。
くくっ…いい。いいぜ‼︎
最高におもしれーじゃないか。
中々骨がある奴だったのか。
試してみたが、案外、それなりの奴って事か。
データは取れたか?』
『取れたよ。
確かに中々根性のある子みたいだ。
この先が楽しみかな。』
『だが、今はさようなら…
次に会う時はよろしくな?
楽しいおアソビの時間をくれてサンキュー。
お前が目を覚まして、次に会う時まで……
別れを惜しんで!!』
そんな風に、スナイパーであろう両者の男らに笑う様にして、そんな言葉を意識を失う前に言われたような気がする。
防ぎ様のない死を受け入れる。
だが、それでも心の何処かでまだ死にたくないと僕は望んでいた。
(浅ましいな僕は…
こんな状況に置かれながらまだ生きたいと望むなんて。)
その後、鈍く重たい銃声が闇夜で唸る様に、静かに鳴り響くのを確かに僕は耳にした。