Dream
薄暗い闇に包まれた夜、ワインレッド色に妖しく光る満月。
ビルの様な建物の屋上で、ゆらりとその月明かりに照らされる2つの人影。
それは、黒くて大きくて、まるで全てを喰らい尽くす、魔物の様にも感じられて、思わず僕は恐怖心を抱く。
不思議と目を開けた瞬間から、僕は既にこの場所に居た。
全く身に覚えのない見知らぬ景色に、ずらりと幾つも並ぶ巨大なビルに狼狽する。
その建物からは、何とも言えない威圧を感じさせられる。
そんな風に感じてしまうのも、不気味に光る赤黒い月のせいかもしれない…。
暗闇の中、微かに風が吹き始める。
ビルの最上に立つ妖しい2つの人影は一体、誰のものなのだろう。
変わらず、ずっと其処にある長身の人影が赤黒い月の所為で、不気味さに余計に拍車をかけている。
(一体…、此処はどこなんだ?)
多分、夢の中かもしれない。いや夢だ。
夢に違いない。そうであると確信している。
何故なら、こんな景色を今までに、僕は一度も見た事がないのだ。
(こんな場所は知らない…怖い。帰りたい。)
今までに、一度も来た事のない場所にいる。
記憶にも無いのも当然だ。
(夢だよね…)
これが、夢なのだとしたら、いつかは必ず覚めるものに違いない。
(きっと覚めてくれる。)
そう考えれば少し安心した。
だが、夢の中なのにこうもはっきり思考できる夢なのか。
本当に変わった夢だなと思う。
然も、かなり現実に近いリアルな夢である。
手足の感覚まではっきりと感じるのだ。
それから、指先の感覚も。
だが、あまりにも非現実的な世界観の中で、僕はその光景をじっと見ている事しか出来ない。
然し、夢にしろ、何故いきなりこの様な不可思議な夢を見るのだろう?
(ああ…
きっと、僕が割と読書好きで、今日も眠る前に一冊の本を読んだからかもしれない。
確かあの本は、哲学的な世界を書いた物語だった。
そうだ、きっとそのせい…)
僕は、本が好きで文章が好き。
兎に角、時間を忘れて文字の羅列を目で追って、小説を淡々と読むのが趣味だった。
読書以外の趣味だって他にも色々とある。
沢山ある趣味の中、その一つとして好きな事が読書である。
子供の頃からずっと変わらない趣味が読書でもあった。
理由として、静かな時間を過ごす事が好きだからである。
静かな自分だけの世界に身を委ね、黙々と読書をすると、雑に扱われた毛糸玉の様になって、絡まっていた思考の糸も解れて綺麗にまとまるのだ。
時々、読書をした後に本の世界に入ってみたいだとか、異世界に飛んでみたらどうなるだろうかと妄想や想像を膨らませたりもする。
本の世界の主人公に変わってみたいと思ったり、冒険したいと思う事も稀にある。
何故なら、本の世界では自分ではない自分、現実では絶対に体験できない事も可能だ。
空を飛ぶ事や巨大な蜘蛛になる事、ドラゴンになって火を吹いたり、魔法使いになって手間をかけずに一瞬で料理を作ったり、誰かを笑顔にしたりも出来る。癒してあげる事だって。
どんな魔法を使うのだって自由自在だ。
何をする事も許されて、限りなく自由だと思う。
縛られる事なく、僕ではない、知らない別の誰かの人生をひたすら歩んでいる。
現実世界とは全く異なる世界観、見たくないものは見なくてもいい。
本の世界に身を委ねている間は、聞きたくない事も聞かずにすむのだ。
唯一、安心できる場所。
なりたい自分になれる場所。
それが僕にとって、本を通して夢を見れる時間。
そして、童心に帰ったりしながら、ひとり楽しむ事の出来る安らかな読書の時間。
そんな穏やかで有意義な世界に身を置く事の出来る場所、それが僕にとっての本の世界であり、束の間の夢の世界だ。
そんな僕の趣味が知らずに夢に反映したのかもしれない。
その可能性が最も高いと言えるだろう。
そうでないならば、突如、こんな夢を見たりもしない筈だ。
常に異世界的な夢を見たいと、心の底から願望を抱いていた訳でもない。
普段僕はあまり夢を見る事は無く、見る数も人より多分少ない。
だが、時として、何故か未来で起こる事を予知夢の様に断片的に見たり、お告げなのかと感じる夢を重ねて見る事は幾度かあった。
子供の頃からそういった夢はよく見ている。
それの方が変わっている事なのかもしれないが、幼い頃からずっとなので既に慣れてしまった。
少し現実とは異なる内容で、その様な夢を見る事があったとしても、感覚まで持った夢を見たのは初めての事だ。
戸惑いもするだろう。
然も、こんな風に自由に、思考を働かせられる夢ならば尚の事。
非常に妙である。
(変な夢だな…)
眠りの中で、時々、そういった夢を見るにしても、今見てる様な夢を見るのは初めてだ。
やけにリアルで、全身の感覚を実感する奇妙な夢など見た事は今までに一切ないのだ。
けれど、この夢は、物語好きな僕が無意識の内に自分の頭の中で、創り出した空想や妄想に過ぎないのだろうなとも思う。
だから、僕はもうこの夢の世界を気にするのをやめる事にする。
夢は、どんなに楽しいものであろうといつかは終わるものだから。
この悪い夢でさえ、いつかは必ず終わりを迎える。いつか読んだ本の物語の様に。
本も夢も必ずいつかは終わりを迎えてくれるものだから。
終わりがあるからこそ、何事も面白い。
本で言えば、いつかの最終話を求めて、ラストはどうなるのだろうと期待を大いに馳せながら、最終巻までワクワクしながら読むのと同じ。
人生で喩えれば、何れは命に終焉の幕が降ろされると皆、漠然と知っているから、人はその日を迎えるまで苦しみや悲しみを乗り越えて努力したり、様々な経験を積んだり、目標を立てて頑張る
と思うのだ。
けれど、それは終わりがあるからだ。
いつになっても、終止符が打たれず、変わらない時間が繰り返され続けていくとしたら、人は目的を持つ事すらやめてしまうだろう。
そのうち、希望を忘れ、生きる理由を見失い、心を塞ぎ、ロボットの様に機械的に生き、限りなく、永久的に与えられ続ける時間を過ごすのだろう。
努力する理由すらいつか失うのだろう。
最早、それはトラウマ確定の闇であり悪夢だ。
何も楽しくないし、人間らしさのかけらもない。
楽しい事にも苦しい事にも、必ず終点が見えるからいいのだ。
だから、物語や人生や夢は類似し、何処か共通しているのではないかと僕は考えている。
夢だって永遠に続くならば地獄だ。怖い事だ。
これは夢で、いつかは終わるのだから絶対に大丈夫だと、実は未だに内心少し不安な自分に言い聞かせて、冷静さを保とうとする。
(この夢がどうして現実的なのかはわからない。
でも、ちゃんと終わるのは知っている。)
きっと、目を覚ませば普段通りの日常が待っているに違いない。
僕は、朝になって目が覚めるのを今はこの夢の中で待つ事にし、2つの揺らめく人影と圧倒的なビルの並列、殺風景とも言えるだろう奇っ怪な景色を虚ろにボンヤリと眺めていた。
特にする事もない為、その光景を目にしながら、延々と思考を巡らせ続けた。
一種異様な夢の中に一人ぼっちで、恐怖心を抱かない様にする為でもあった。
やがて気づけば、先程まで感じていた恐怖心は、思考の彼方へと消え去っているのだった。
だが、それは束の間のものでしかなかった…。