90 紫炎の儀式
「そろそろいいかな?」
『風車の国』を脱出してから30分後。
俺とワイバーンは雲の上ーー天空を移動している。
眼下には灰色の雲海がどこまでも広がっていた。
俺はワイバーンの飛行速度を落とさせると、『魔物図鑑』からドリアとブランカを召喚した。
ワイバーンの背中に現れた2人は防寒着を身につけている。
もちろん俺が図鑑の機能で着させたものだった。
「うー。相変わらず寒いし、呼吸しづらいわね。ドリア、私にも植物ちょうだい」
「ほいほい。それにしてもお空は寒いなぁ」
ドリアから呼吸確保の植物を受け取ったブランカは俺へと話しかけてきた。
「うー。何とか脱出できたね。これからどうするの?」
「このまま大山脈に行く。魔法陣使いはもう無視していいだろ。腕を切られちゃ宝具は使えないだろうし、あの様子だと東岸地方で裁かれるんじゃないかな。いずれにせよ、俺たちにとっての脅威は『七色の風』だ。今回の件で、完全に俺は脅威として認識されたと思う」
「大山脈に行くってことは、マルちゃんを不死鳥にするんだな?」
ドリアが目を輝かせながら問いかけてきた。
「不死鳥なら戦力として申し分ないからな。さっき戦ってみた感じだけど、あの金髪女レベルのがあと3人もいるんだ。そんな連中と場合によっては正面から戦わないといけないかもしれない。戦力は充実させておくべきだ」
答えながら俺は前方へと視線を広げる。
雲海のその先に巨大な雲の壁があった。
積乱雲のようにみえるが、その規模はあまりにも巨大。
山脈のように雲の壁は南北へ延々と連なっている。
「多分、あれって大山脈だよな?」
山の上部を分厚い積乱雲が包み込んでいるらしい。
風で流れる様子もなく、あまりにも不自然な雲の出来方だ。
何かしら魔法によって山脈上部を雲が包むように細工されているとしか思えない。
これだけの規模となると魔法使いの仕業とは考えにくい。
十中八九ドラゴンの仕業だろう。
近付いてみると積乱雲からは絶えず雷が轟いているのが分かる。
昼間であっても雲の表面に雷光がはっきり見えるほどだ。
ホーンホエール(角鯨)の雷撃以上に強力なはず。
そんなものが縦横無尽に何の意思もなく落ちているとは地獄のような環境だ。
「この中を突き抜けるのは自殺行為だな。雲の下から入山するしかない」
ワイバーンが降下し始める。
分厚い雲を抜け、地上の景色がみえてきた。
荒れ果てた山肌が延々と続く光景。
俺たちは大山脈の上空へとやってきた。
山脈から少し距離を開け、俺はワイバーンを北に向けて飛び続けさせた。
「うー。ドラゴンに会いませんように」
ブランカがぼそりと呟くが幸いなことにドラゴンの姿はない。
「油断すぜ行こう。もしドラゴンの気配を感じたら2人とも教えてくれよ。全力で逃げるからな」
「わかった。でも『鬼火』ってのはどこにあるの?」
ドリアがちらちらと山肌を見渡すが、それらしい炎は見当たらない。
山肌は岩だらけで、炎はもちろん植物すら生えていないのだった。
「比較的よく見られる現象なんだよな。学校にいるときも月に1回くらいは見えてたし」
ワイバーンに山脈から離れるように指示を出した。
鬼火は特徴的な紫色ゆえに遠方からでも観測しやすい。
ドラゴンに気づかれないようにする意味でも、ちょっと離れた場所から調べてみることにしたのだ。
探すこと4時間。
防寒着とワイバーンの火球があるとはいえ体は冷えてきた。
いい加減上空にいるのも苦しくなってきたころーー
「あっ! あれじゃない⁉︎」
ブランカが指差す場所へ目を向けると、岩の一部から紫色の光が見える場所を見つけたのだ。
急いでワイバーンを近くへ着地させ、俺たちは岩へと向かった。
紫の光は岩の裂け目から吹き出していた。
ちょうど花火のようにポロポロと岩の裂け目から紫の火の粉が吹き出している。
「間違いない。『大山脈の鬼火』だ。魔力も感じる」
「うー、なんか思ってたより地味な現象ね。こんな火力でいいの?」
「あたいが前見たのはもっと派手に光ってたと思うけどなぁ」
岩をよく観察してみると、裂け目は次第に大きくなっているように思えた。
「『鬼火』の前兆段階なのかもな。ここから炎の勢いが増すんだろう。もうちょっと待ってようぜ」
俺はワイバーンをしまうと近くにあった大岩の影へと移動した。
『鬼火』を待つ間にドラゴンに見つかる可能性を少しでも減らそうとしての行動だった。
マルフェザー(極彩鳥)を召喚してみる。
相変わらず地味な鳥にしかみえないマルフェザーだが、今はちょっと様子が違った。
真っ直ぐに岩から吹き出す火の粉を見ている。普段は食べられないかとおどおどしていることが多いが、今日は微動だにせず、じっと火の粉へと視線を集中させているのだ。
時々翼を広げ、何かを感じ取ろうとする仕草も見せている。
「あっ。色が変わってきた!」
ドリアが指摘するようにマルフェザーの羽毛が茶色から黄色へ、そして赤へと変わっていく。
再び茶色に戻ったマルフェザーだったが、少し間を空けてからまた色変わりを始めるのだった。
波打つように色が変わるとともに、羽毛の色だけでなく体も少しずつ変化している。
尾羽が伸びていき、本数も増えていく。
丸みがあり美味しそうだった胴部分も引き締まった美しいフォルムを形作る。
頭部からは炎のように羽毛が後ろへと伸びた。
可愛らしい小鳥のようだった顔つきも、鷲のように凛々しいものへと変化する。
『魔物図鑑』の記述に大きく変化はないが、
『状態 : 変異中』
となっていた。
「絵本は間違ってなかったみたいだな。マルフェザーの変異を促す何かがあの紫の炎にあるんだ」
興奮のためか、俺はちょっと声が震えてしまった。
ブランカもドリアもその神秘的な変化を前に言葉を失い、じっとマルフェザーを見つめるだけ。
3人ともここがドラゴンの巣食う地獄のような場所だということも忘れ、目の前の奇跡に見惚れていた。
やがて、岩場の裂け目が大きく裂け、猛烈な勢いで炎が吹き出し始める。
周囲がほんのり温かくなり、紫の光が煌々と岩場を照らした。
『大山脈の鬼火』
そう呼ばれる現象がついに始まった。
不意にマルフェザーは笛のような甲高い声で長く鳴くと、美しく成長したその羽を広げ炎に向かって飛び始めた。
その挙動に迷いはなく、まるで故郷に帰還するかのようにマルフェザーはそのまま炎の中へと身を投じたのだった
燃え上がる紫炎は勢いを強め、マルフェザーの肉体は瞬く間に焼き尽くされる。
そして炎は奇妙に揺らめき始めた。風に煽られているのではなく、中から何かが蠢くような生物的な動き。
やがて炎は球体に近い形になると地面から浮き、人の背丈くらいまで浮くと停止した。
岩場から吹き出る炎が消え、今度は宙を浮かぶ炎球が太陽のように輝き出す。
「すごい……」
「綺麗だね」
「マルちゃんが太陽になった!」
炎球からは強い魔力が発せられている。
肌に感じるその強さは少なくともワイバーンやホーンホエール(角鯨)に匹敵しているように感じた。
どんどんと強くなる魔力の波動は心臓の鼓動を思わせるテンポで周囲へと放たれる。
ふと俺は何か声が聞こえたような気がした。
頭の中へとても小さな声が囁くの感じる。
「どうしたの?」
ブランカが心配そうに声をかけてくれたが、
「いや……なんでもない」
俺は気のせいだと思い空返事をした。
だが、囁き声は次第に大きくなる。
それとともに俺は体が熱くなってきた。
心臓の鼓動が早まっていく。
息苦しい。
『……クゾ……』
頭に響く囁き声が聞き取れるようになってきた。
男とも女ともつかない中性的な声。
俺は汗が吹き出てきた。
ーー一何だよこの声は⁉︎
『……オマエノ…………クゾ……』
囁き声は間違いなく俺へと呼びかけている。
声が大きくなるたびに、宙に浮かぶ炎球も強く燃えた。
ーーまさか、マルフェザー……いや、不死鳥の声か?
そして、ついに俺の頭はその声をはっきりと捉えた。
男とも女とも違うその声は恐ろしく、そしてーー
「オマエノカラダ、イタダクゾ」
気づけば俺はそう口にしていたのだった。




