86 大山脈に吹く一陣の風
ーーナイト達が魔法陣使いを取り逃がしたのと同時刻。
荒れ果てた岩場へ1人の老婆が姿を表した。
何もない空間から移動してきたその老婆は杖にすがりながら、地面へとうずくまる。
呼吸は荒く、その表情は苦悶とそれ以上の羞恥で染まっていた。
ーー見られた。…………見られた。見られたっ‼︎
老婆は震える手で杖を一度地面へと突いた。
青い光とともに、地面へと魔法陣が浮かび上がる。
その中央からは小さな小鉢が出現し、老婆は震えながらそれを手にした。
何の変哲も無い手のひらサイズの小さな小鉢。
その蓋を開けると中には赤色のドロドロとした液体が注がれている。
ただ、その量は極めて少なく小さじ一杯ほどしか無い。
老婆は小瓶を傾け、口へと液体を注ぐ。
不味そうに顔をしかめる老婆だったが、10秒もするとその体に変化が起きた。
曲がっていた背中はぴんと真っ直ぐとなり、皺とシミだらけだった肌は輝きを取り戻している。
顔も胸部も若々しさを取り戻し老婆は美女へと変貌した。
小瓶を投げ捨てた魔法陣使いの女は魔法の鏡を作り出す。
自らの肉体を念入りに鏡で確認し終えると、ほっとしたのか小さくため息を吐くのだった。
女は周囲を見渡した。
空はどんよりとした雲に覆われ、昼間なのに薄暗い。
時折人間をよろめかせるほどの強風が吹くこの場所は見渡す限り岩だらけの不毛な地だ。
岩場は傾斜していて、遠くにははるか先まで続く山肌が見える。
大山脈。
女はドラゴンの住まう大山脈ーーその中腹付近へと空間移動していたのだ。
ドラゴン達の姿はみえない。
そのことに安堵しつつ、女はすぐさま行動を開始した。
ーー許せない。許せないっ!
「殺してやる……あの坊主絶対に殺してやる!」
呪いの言葉を吐きながら女は岩場を歩き始めた。
ーー命があったのは不幸中の幸いだった。でも、よりによってあの姿を見られるなんて! 生かしてはおけないわ。あの場にいた狼も妖精も粉微塵にしてやる!
時々雲の間から一瞬光が瞬く。
その度に女は体をびくりと震わせると、近くの岩場へと隠れるのだ。
魔物が放つ雷撃によって、すっかり女は雷への警戒を強めてしまっている。
そのことに女自身は敗北感を感じていた。
ーー空間移動するための魔力は温存しないといけない。くそっ! ここまで消耗さえられるなんて何十年ぶりかしら。
やがて女はゴツゴツした岩場には不釣り合いな平たい場所へとたどり着いた。
円形のその広場は白線が引かれるなど人工的な雰囲気がある。
女は広場の中央へやってくると、宝具魔杖『ヴァーティン』を地面へと突き刺した。
ぼんやりと広場全体へ赤い光が溢れ出す。
円形の広場には複雑な模様の施された魔法陣が赤い光を灯しながら浮かび上がった。
やがて女を囲むように6つの赤い玉が地面から出現する。
赤い玉は浮遊魔法で形作られているらしく、中身は液体のようだった。
血のように真っ赤なその球体の中には何やら巨大な影が見える。
球体の出現に満足げな表情を浮かべながら、女は指を鳴らしてみせた。
その途端、シャボン玉のように球体は弾け、赤い液体が周囲へと流れ落ちる。
そして球体の中にいたそれらが姿を表した。
「十分に育ったわね」
薄笑いを浮かべながら女は現れたものへと声をかけた。
6つの球体にはそれぞれ魔物が収められていた。
双頭の大蛇。3本角と手足を備えた巨大なクジラ型魔物。4枚の羽と3本の首を持つワイバーン。翅の生えた巨大なサソリ型魔物。獅子と猛牛の頭部に蛇の頭部を尻尾にした異形の魔物。腐敗した肉体をもつ巨大なトカゲ型魔物。
いずれも強力な魔力を有しているらしく、魔法陣使いもその力を感じ満足げだ。
6頭は獰猛そうに息を荒げ、よだれを垂らしているが女を襲うようなそぶりはみせない。
じっと女を見るその姿は指示を待つ犬のようであった。
ーーふふ、刷り込みも完璧。私に忠実な僕だわ。
女はニヤリと邪悪に微笑むと、6頭を空間移動させようと準備を始めた。
『風車の国』の地下にて行われた合成獣を使った魔石養殖。
その事業の要として女は『龍水』と利用しているわけだが、全ての合成獣に『龍水』が効くわけでは無い。ここにいる連中は『龍水』では全身の邪気が浄化されてしまうために、生育させられないタイプの合成獣であった。
そんな連中を魔法陣使いはこの大山脈に施した貯蔵庫へ保管し熟成させているのだった。
ドラゴン達の住まう大山脈はその土地自体に強力な魔力があり、邪悪な合成獣達を『龍水』ほどではないにしろ、保護し癒し、生育させることができる。
ただその成功確率は『龍水』に比べればかなり低い
6頭生育してはいるが、実際に大山脈へ女が保管した合成獣は300頭近く。
つまり大半は通常の合成獣と同じ短命であったのだ。
この6頭は大山脈の力を蓄え極めて強大に育っている。
仮に魔物使いの持つ宝具で調べれば危険度『極高』と判断されるほどだ。
女は双頭の大蛇へ近づくとその体を魔杖『ヴァーティン』で小突いた。
その途端女の全身に蛇の魔力が注がれ始める。
大蛇は苦悶しているが、女は自らの魔力が回復する感覚に酔いしれていた。
魔力を吸い取られ、双頭の大蛇はその場へ倒れ消えてしまう。
ーーこれで私と宝具の魔力は回復できたわ。今ならあの坊やの位置が分かる。この6頭に襲撃させて坊やを殺してやるわ。さすがにもう策は尽きたでしょうし、向こうだって宝具の消耗は激しいはず。私が有利だわ。
準備を終え、魔法陣使いは再び空間移動しようと杖を構えた。
ーー休ませる余裕は与えない。次こそ確実に殺す!
「あの狼娘と小僧を始末しに行くわよ! 地獄を味わせてやる!」
殺気のこもった気合いを入れ、女が行動に移そうとした時だった。
「随分と賑やかな場所だね」
聞こえてきた声に杖を振り下ろそうとした女の挙動が止まる。
女の視線の先には岩場の下から登ってくる男の姿があった。
上等な装備に身を包んだその男はまだ若い。
端正な顔つきに落ち着いた声。
腰にさした剣がカランカランと音を鳴らしている。。
ーーあら、いい男ね。
思わず魔法陣使いは青年へと目を奪われた。
ただ、その双眸が放つ視線は決して友好的なものでは無い。
5頭の魔物を見る青年の視線は明らかに嫌悪と敵意が含まれている。
「合成獣。それも各地の強力な魔物同士を掛け合わせているね。相当な魔力と技術がいるようだが、なるほど、あなたは宝具使いなんだね。その杖から禍々しくも強力な気配を感じる。そうか、この合成獣達が嫌な気配の正体だったわけか」
聞いてもいないことを話しながら、青年は女と魔物達へと接近してきた。
ーーこいつ。敵ね。
そう悟った女は指を動かし、魔物達を操った。
魔物達は青年を囲むように円を描き歩いている。
「これだけ強力な合成獣を手懐けるとは恐れ入った。というよりこの魔物達はあなたに忠実になるように最初から命令を組み込まれて作られたのかな? いずれにせよ、大した魔法の腕前だ」
「褒めてくれてありがとう。でも、そんな怖い顔をしないでほしいわね、お兄さん。剣なんか抜刀されたら私も警戒しちゃうじゃない」
胸を見せつけるようなポージングと色気を感じさせるいつもの声音。
魔法陣使いは青年を油断させようとしてみるが、この青年は女の色気にまるで動じていなかった。
銀色に輝く剣を右手に握り、青年は迷いなく近付いてくる。
「『色気を振りまく魔女』『杖の形をした宝具の使い手』『融合魔法という禁忌を犯す』か。あなたは東岸地方で指名手配されたとある魔女にとても似ている。というか本人に間違いなさそうだね。そして俺は東岸地方の冒険者。指名手配犯の確保は俺たち冒険者の仕事だ。見つけた以上、見逃すわけにはいかない」
青年は敵意を隠そうとしなくなった。
びりびりと肌を刺す圧迫感に、目の前の青年が年齢以上の実力者であることを女は察した。
だが、それでも女は余裕の微笑みを浮かべていた。
ーーちょっとは腕に自信があるようだけど、この5頭が相手では無意味よ。実力差が分からないとは愚かね。
「やれ! お前達! その男を八つ裂きにしておやり!」
女の指示に魔物達が動く。
だが、それよりも青年の動きは早かった。
無駄も迷いもない走り。そこから放たれるのは流れるような剣の一閃。
強化魔法に包まれた青年の体は超人的な動きを見せる。
魔物の五感でも補足しきれない疾さと正確な挙動。
的確に魔物達の弱点を切り裂き、倒す様はまるで風が通り抜けるようにあっという間の出来事だ。
気づけば合成獣達は頭部と弱点部位を全てを切断され、絶命していた。
ありえない光景を前に魔法陣使いも、
「……え?」
一瞬呆けたが、青年が自分へと迫るのを見て慌てて宝具を構える。
だが、宝具が効力を発揮することはなかった。
地面へ杖が突かれるよりも早く、
「ぎゃああああああああああっ‼︎」
青年は魔法陣使いの両腕を肩から切り落としたのだ。
「宝具の出現を防ぐ手段は持ち主を殺すしかない。でも、所詮宝具だって道具なんだ。使うための腕そのものがなければ出現させたとしても使えない」
腕を失った激痛に叫ぶ魔法陣使いへと青年は静かに言葉をかけた。
回復魔法で止血を施した魔法陣使いだったが、青年の人間離れした疾さと動きに未だに衝撃を受けていた。
「回復魔法の腕もいいね。出血多量で死ぬことはなさそうだ」
のんびりと話しかける青年へ女が睨みながら口を開く。
「あんた何者なの? あの魔物達が一瞬でやられるとかありえないわ。私の切り札だったのに」
「ん? 俺かい? 俺はロード。『七色の風』と呼ばれる冒険者の1人さ」
「なっ……」
青年の口から放たれた名前に、魔法陣使いは固まった。
東岸地方最強の冒険者パーティ。
人類最強とも称されるそのリーダーに出くわしたのだと、ようやく女は己の状況を理解したのだ。
「ところで……」
青年は女の首を握りながら問いかけた。
「さっき『狼娘と小僧を始末する』と言っていたよね? 詳しく話を聞かせて欲しいな」
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