83 生々流転の旗色
ーーまた落とし穴⁉︎
落下しながら女は穴の底へと注意を向ける。
一瞬だが銀色の長い物体が穴の側面へと姿を消す様を女は視界に捉えた。
ーーあれは鋼の蛇ね。あいつがあちこちに落とし穴を掘っているのか。
この穴はかなり深く掘られているようだった。
10秒ほど落下していると、ついに穴の底が見えて来る。
照明魔法を展開した女の視線の先ーーそこには大量の水が流れていた。
ーーこれは……地下水!
女と狼少女が着水する。
地下水の流れは早く、2人は沈んだまま流されてしまった。
激しい水流に晒され上下の感覚が分からない。
呼吸が出来ず女はもがいた。
横を見ると照明魔法に照らされた先に狼少女の姿が見える。
魔力の注入が途絶えたことで光のロープが弱化し狼少女はロープの拘束から脱出していた。
よく見ると、狼少女は何かを咥えている。
どうやら水草のようで、狼少女の口からは泡がボコボコと溢れていた。
女は知る由も無いが、この水草は妖精ドリアによって魔改造された呼吸補助のアイテムだった。
狼少女の体が白く発光する。
魔法で強化されたその体は水中でもかなりの速さを発揮し、女を攻撃しようと接近してきた。
女は浮遊魔法で己を動かし、何とかその攻撃を回避する。
酸欠で意識が失いそうになる中で、女は激しい水流の中を移動した。
やがて、地下水が通る洞窟の壁面へと辿り着くと、女は杖を壁に突き空間移動を発動させるのだった。
「げほっ! がはっ!」
河原へと姿を表した女は激しくむせる。
呼吸ができる喜びにほっとする女だったが、天から降る雷撃に攻撃されるのだった。
「むぅっ!」
自動障壁によって雷撃を防ぐものの、その衝撃で女は河原へと倒された。
体を起こした女が地面を杖で突くと、緑色の光が女を包みこむ。
ーー空間移動を連発し過ぎたわ。杖の魔力がだいぶ消費させられた。
回復魔法の光が消える頃には再び狼少女が遠隔召喚され姿を見せた。
服装が変わり、今度は厚手の服を着ている。
「あらあら戦闘中にお着替えなんて随分と贅沢ね」
「まぁね。それよりあんたはどうなの? だいぶお疲れの様子ね。そろそろ魔力が尽きるんじゃ無い?」
「ご心配ありがとう。確かに疲れてきたわ。狼ちゃんがご主人様のところへ案内してくれれば助かるのだけどね」
「うー。そのうちに会えるよ。それより水中はどうだった? 随分と苦しんでいたようだけど?」
「ふん。こんな美女2人を水浸しにするなんて、狼ちゃんのご主人様もいい趣味してるわ。酸欠で死ぬかとお思ったわよ」
「ふーん。そんなに苦しかったなら空間移動ですぐに逃げればよかったのに」
狼少女の言葉に女は黙った。
杖を握り、じっと狼少女を睨みつける。
「逃げなかったよね、あんた。ぐるぐる水流に巻き込まれて苦しかったはずなのに空間移動しなかった。いや、出来なかったのよ」
狼少女が続けた。
「液体に魔法陣は描けない。そうでしょ? だから空間移動するためにあんたは洞窟の壁まで移動する必要があった。ナイトの予想通りね」
狼少女の言葉に女はくすりと笑みを浮かべると、
「あら、バレてたの? まぁ、あの坊やは『封魔の鎖』が使えるほどの腕前だし、多分魔法の知識もかなりあるんでしょうね。なるほど、最初から私を水中戦に引きずり込むのが狙いだったわけか。目の付け所は良かったようだけど、ちょっと詰めが甘かったわね」
女の周囲へと魔法陣が展開される。
炎に冷気、爆弾に電撃。
多種多様な魔法攻撃が放たれ、狼少女はぎりぎりで全てを回避してみせた。
「確かに水中じゃあ魔法陣は使えないわ。でも私は素の魔法だって自信あるの。あの程度の窮地くらい何度も乗り越えてきた。あなたたちが水中戦で私を仕留めるつもりだったのなら、さっきの1回目が最初で最後のチャンスだったわね。次はもう落とし穴に引っかかるようなミスはしない。例え水中に飛ばされても呼吸確保や脱出手段はもう組んだ。同じ手は通じないわよ」
女の顔がにやりと歪む。
その表情をみて狼少女が動き出そうとするが、少し遅かった。
狼少女の足元から光のロープが出現し、強化魔法を解除させつつ彼女の身を拘束した。
「ふふふ、良い格好ね。狼ちゃん再確保っと。さて、坊やに改めて人質交換を持ちかけようかしら」
ちらりと女は空を見上げた。
どんよりとした曇り空。その上空には2羽のカラスらしき姿が飛び交っていた。
女がカラスたちを指差した。すると、カラスたちの挙動が変化しまるで吸い寄せられるように女の元へと降下していく。やがて地上まで降りてきたカラスたちは狼少女と同じ光のロープに捕らえられたのだった。
「シェアリングクロウ(伝播烏)か……なるほど、こいつらを広範囲に放って監視役として機能させているわけね。雷撃もこいつらから得た情報を元に別の魔物に撃たせているってところかしら? ふふ、なかなか面白いことするじゃない」
薄笑いを浮かべながら女は1羽のシェアリングクロウを拾い上げた。
「ならこのシェアリングクロウの視界を逆追跡すれば坊やの居場所が分かりそうね。場所がわかれば攻撃を仕掛けられる。場所を悟られまいとするなら他のシェアリングクロウを引き上げるしか無い。でもそうすれば坊やはに私の所在が分からなくなるし、遠隔召喚も雷撃もできなくなるわ。いずれにせよ、坊やの有利を崩せる」
勝利への道筋が見えたためか女は機嫌を良くしていた。
可逆的な笑みを浮かべながら、ギャーギャー鳴くシェアリングクロウの首を締め上げる。悶える魔物へと探知魔法を注いでいた女だったが、
「ふふ。他のシェアリングクロウたちの反応が消えたわね。場所を悟られない方を選んだか。じゃあ、私たちも移動しましょうね」
女の足元に魔法陣が浮かび、次の瞬間に狼少女とシェアリングクロウは『風車の国』のと移動させられていた。
魔石製造拠点である例の塔とは別の場所ーー牢屋へと狼少女は飛ばされる。
冷たい地面に横たわる狼少女の前に上機嫌な女の姿もあった。
「んふふ、これで坊やは私と狼ちゃんの所在を失ったわ。お互いに大切なものを敵に奪われた状況ね。これで私と坊やは五分五分の立場になったわ。さて、ここからどうやって坊やを仕留めるかを考えないとね」
女は手にしていたシェアリングクロウを放り投げると、今度は身動きの取れない狼少女の首を引っ張りあげ、無理やり立たせたのだった。
「残念だったわね。水中戦で私を仕留められなかった狼ちゃんが悪いのよ。多分、坊やは今頃狼ちゃんに落胆しているでしょうね。折角のチャンスを活かせなかったもの。駄犬と思われてたりしてね。あははははっ!」
女は狼少女の首を締め上げた。苦悶の表情を浮かべる狼少女を見て、女は楽しげに白い歯をみせる。
「その駄犬に足元をすくわれる坊やは間抜けの一言ね。ふふふ…………何か言い返したら、狼ちゃん? それとも悔しくてお喋りできないかしら? そうよね、駄犬だものね」
女は空中から銀のナイフを取り出すと、狼少女の胸元へと突きつけた。
「ぐずぐずしていられないわ。坊やに対策を考える時間を与えちゃまずいもの。冷静さも奪わないといけない。そうね…………手始めに狼ちゃんが痛めつけられる姿を見せてやろうかしらね。狼ちゃんを素っ裸にして民衆の前で晒し者にしたら、案外簡単に釣れるかも。我ながら良いアイディアだわ」
女はナイフを動かし、狼少女の上着をゆっくりと切り裂いた。
露わになった谷間に、
「ふん、魔物のくせに綺麗な肌しちゃって。腹が立つわね」
「……たら……」
魔物の柔肌へ嫉妬する女だったが、首を絞められた狼少女の声に眉根を寄せた。
「あら? 何か言ったかしら? 獣のくせに裸は嫌だとでも言ったの?」
「……着替えたら?」
「は?」
女は少しだけ狼少女の首を握る力を弱めた。
「……着替えたら? ……びしょ濡れのままよ」
「……なにを言い出すかと思えばそんなこと? 心配いらないわ。狼ちゃんを裸にしたら私は着替えるつもりよ」
女の言葉に、
「……そう」
と短く返事をすると、にんまりと笑みを見せたのだった。
その表情に首を傾げる女だったが、ふと狼少女の胸元へ目を向けると、破れた服と地肌の間から何か白い物が挟まっていることに気がついた。
ーーあれは……紙? …………まさか⁉︎
女が紙の正体に気付き対処しようと杖を取り出したがーー遅かった。
紙の表面へ魔法陣が浮かび上がり、
「くっ!」
女と狼少女は空間移動させられる。
天地がひっくり返り、重さから解放される感覚。
それとともに強烈な冷気と風が身を包み、女は自分がいる場所を理解し驚愕した。
ーー空に飛ばされた?
2人は大空へと移動させられていた。
雲の上にいるらしく、太陽の光がとても眩しい。
その光に一瞬目を眩ました女だったが、次の瞬間には猛烈な勢いで落下し始めるのだった。
驚きのあまり女は狼少女から手を離す。
女の手から解放された狼少女は体を水平にすると、一気に上昇した。
実際には空気の抵抗によって狼少女の落下速度が落ちたのだが、降下し続ける女の目には猛烈な勢いで狼少女が上昇するように見えたのだった。
そして狼少女より上から飛来する影があった。
逆光によってシルエットしか見えないが、すぐに女はそれがワイバーンであると理解する。
そして、そのワイバーンには人間が乗っていた。




