77 厄災の前触れ
地面の揺れはどんどん激しくなり、それとともに吹き上げる赤い液体も量を増す。
自体の急変に俺もドリア達もその場を動けない。
ーーなんだこれ? 地震か? でもこの液体は……
状況を理解しようとするほど頭が混乱してくる。
そんな中、どさりという音と共に空からブランカが降ってきた。
水球の結界も解除されたようで、全身ずぶ濡れとなったブランカは激しくむせている。
「大丈夫か! ブランカ!」
『魔物図鑑』を操作し、その場にいる4頭を回復してやる。
ブランカに至っては服もいつもの町娘姿に戻してやった。
地面の揺れはさらに激しくなった。
もはや揺れというより、地面そのものが波打っているようで、実際にあちこちで地面が隆起を繰り返している。
もともとブランカ達の戦闘によって崩れかけていた建物が揺れに耐られるはずもなく、あちこちで崩壊していた。
「ナイト! 何が起こってるの? こんなデカイ地震あたい初めてだ!」
こんな状況にも関わらずドリアが楽しそうにはしゃいでいる。
ブランカがドリアを後ろから抱きしめながら、
「うー。でも地震にしては揺れが長過ぎない? もう2分近く揺れてる。それにあの液体って血じゃないの?」
ブランカが指差す方向には地面から吹き出す大量の赤い液体。
ややとろみのあるそれは、確かに血のように見えた。
「あいつはどこだ! 魔法陣使いは?」
屋根の上に奴の姿はない。
俺の指摘に4頭が周囲を見渡すが、
「いないよ。気配がない。多分空間移動したんだ」
「そうか……どうやらこの揺れに俺たちは救われたらしいな」
ブランカとドリアが首を傾げるので、俺は地面の一部を指差し、
「ほら。地面から吹き出る血のような液体。あれだよ。あの液体と地面の亀裂で、奴の魔法陣が乱されたんだ」
説明を加えてやった。
揺れは収まる様子もなく、むしろどんどんと強くなっている。
司祭や国民が頭を抱え、悲鳴をあげていた。
子供を抱きかかえ、人々は逃げ惑うがどこへ逃げればいいのか分からず右往左往しているばかり。
やがて、地面が割れ赤黒い触手のようなものが出現し始めた。
遠方からも悲鳴が聞こえることから、どうやら国中で似たような現象が起きているらしい。
「ああああ! 逃げろおおお!」「なんだよあれ⁉︎ なんなんだよ⁉︎」「どこに逃げればいいの? 教会は崩れてる!」「おお、神よ。なぜこのような試練を!」
混乱する国民達を避けるため、俺たちはシールドエレファントの背中へと退避することにした。
シールドエレファントは俺たちを鼻で掴むとグッと持ち上げ、背中へと運ぶ。
民家よりも背の高いシールドエレファントに乗ったことで、周囲の状況が少し見えてきた。
どうやら教会から伸びる大通り全てで赤黒い触手のようなものが出現しているらしい。
激しくしなるその触手に意思があるようには見えない。
ひたすらにその身をしならせるだけで、何かを捕まえようとしているわけでもないようだ。
やがて、揺れが収まると同時に触手達も力を失ったのか、どーんという地響きと共に地面に横たわる。
そして、まるで氷が溶けるかのように形を失い、その場には赤黒い液体染みだけが残った。
国民達が安堵のため息を漏らしている。
俺はシールドエレファントに地面を掘らせ、土の一部を背中へと運ばせた。
「……やはり血だな。それに微弱だけど魔法の痕跡を感じる」
土に染みた液体へと手をかざし俺はそう呟いた。
「うー。それってこの国の儀式の……」
ブランカが言葉を続けようとしたが、
『大変だ! 魔物がやってきたぞ! 全員教会へ逃げろ!』
国の北方から聞こえてきた大声に言葉を引っ込めてしまった。
拡声魔法によって聞こえてきた男の声。
それは昨日会った門番の声だ。
声の方へ視線を向けると、
「おいおいおいおい」
思わず俺はそう口走っていた。
地震によって家屋が倒壊しているため、シールドエレファントに乗る俺には国境の先ーー平原がしっかりと見える。
夜の闇に包まれた平原だが、真っ暗なはずのその場所には不気味な光があちこちで動いている。
ややあってそれが魔物達の目であることに俺は気づいた。
胃が縮み上がりそうな恐ろしげな咆哮が聞こえてくる。
『魔物は300頭近くいる! ワイバーンも来たぞ! 早く教会の地下へ逃げろぉ!』
ヒステリックな門番の叫びに国民達が再び悲鳴をあげ走り出す。
俺はメルガーナを図鑑へしまうと、シールドエレファントを北へ向けて歩かせた。
「ブランカ。本当に300頭も魔物がいるのか? 俺には見えないんだけど」
「うー、大小合わせたら本当にそれくらいいると思うよ。特に肉食の連中が多いような気がするね。それに」
「それに?」
「強い奴らも飛んで来たよ。ほら」
そう言ってブランカは北の空へと指差した。
北の空には20頭近い何かが空を飛んでいる。月明かりによってわずかに輪郭が見える程度だが、その大きさ、シルエット、そして特徴的な咆哮から、『魔物図鑑』を読む前に俺はその正体を察した。
「ははっ、天空の支配者のお出ましか。ワイバーン」
俺は『魔物図鑑』を開き、追加されたページの記述に目を通した。
『種族名:ワイバーン
危険性:極高
捕獲条件:気絶させ、『魔物図鑑』で触れる
ほとんどの地で生態系の頂点種となる大型の魔物。個体ごとに形態も能力も違う。その飛行能力は極めて高く、種族全体を通して空中戦を得意とする。大陸における制空権を支配する魔物である。
その姿がドラゴンと酷似しているため、ドラゴンの近縁種とされることも多いが事実ではない。
群れ単位で生活しており、時折人里に飛来し甚大な被害を出す。
食性は完全な肉食。
地域によってはワイバーンの討伐を勇者の証とする場所もある』
危険度『極高』の魔物が20頭。それに加えて300頭近い肉食魔物の襲来。
ほとんど絶望とも言える状況だ。
ワイバーン達はすでに国境まで迫っている。
その姿をみた国民達が絶叫していた。
「随分と騒がしくなっちゃたわねぇ」
不意に聞こえて来たその声に俺たちは瞬間的に戦闘体制に入った。
振り返ると、崩落した家の上に魔法陣使いが姿をみせている。
俺たちはシールドエレファントから飛び降りた。
「ふふふ。つまらない国ではあるけど、今この瞬間は最高にドキドキするわね。ワイバーン20頭に魔物が300頭。今からこの国は奴らに蹂躙されることになる。想像するだけで血が沸騰しそう」
うっとりとした様子で語る魔法陣使いへ、
「おい、あんたの魔法陣で結界を作ってやれないか? このままだと国がなくなるかもしれないぜ」
俺はダメ元で提案してみたが、
「面倒だから嫌。もともと国交も交易もない国なんだし、消えたって周辺国は一切困らないわよ」
「そりゃあそうかもしれないけど」
「うふふ、それにいくら私でも無理よ。今からじゃあ結界を張るのは間に合わないわ。んん。どうやらこの国の地下には魔法陣が仕掛けられていたようね。地脈を利用するとは大したものだわ。仕掛けた魔法使いは相当な腕前ね。ただ、私たちの戦いでその魔法陣が崩れてしまったみたいよ。地脈を利用する方法はもう使えないから、打つ手はないわ。逃げるしかない」
逃げられるものならね、と愉快そうに魔法陣使いは笑う。
「うふふ。じゃあ、私は帰る。そろそろ夕食の時間だしね。人の心配より自分たちのことを心配したら? あのワイバーンたちに襲われたらいくら君でも無事では済まないわ」
「逃げる気か。まだ勝負はついてないぞ」
「あらあら、さっき私の魔法陣に手も足も出なかったくせに。まぁいいわ。私も疲れちゃったのよ。遠くから君らとこの国が魔物に蹂躙される様を鑑賞することに決めたの。じゃあね。せいぜい頑張って生き残ってみなさい。へとへとになったところを殺してあげるわ」
魔法陣使いの姿が消えた。
「ちっ! まずいな。さすがに危険度『極高』を20頭相手にするのはきついぞ」
そうこうするうちにワイバーン達は国境を超えて来たようだ。
逃げ惑う国民へとワイバーンが襲いかかる。
悲鳴が上がり、上空にはワイバーンに捕まって貪られる国民の姿があった。
「うー。ワイバーンか。防御力もありそうだし、空を飛ぶから手こずりそうね」
ブランカはすでに戦うつもりでいてくれるようだが、ドリアは顔が引きつっている。
「あたいは一度ワイバーンに攻撃されたことがあるんだよ。運良く逃げ切れたから良かったけど、今見ても勝てる気がしないよ」
いつも楽しげで元気なドリアが弱気になっている。
シールドエレファントも体を震わせていた。
生態系の頂点種という存在は他の魔物にとっても驚異的な存在なのだろう。
俺はシールドエレファントを図鑑へ戻すと、
「逃げるしかないな。2頭くらいならブランカの力で勝てるような気もするけどさすがに数が多すぎる。他の魔物も迫っているし、ここは退却だ」
「うー。ホーンホエールの雷撃ならどう? あいつの雷撃ならいい勝負だと思うけど」
「ダメだ。シェアリングクロウ(伝播烏)がワイバーンにビビって空を飛べない。視界が確保できなからホーンホエールの雷撃は使えないよ」
ワイバーンの方向があちこちから聞こえて来た。
時折国内に火柱が見えたが、どうやらワイバーン達が口から火球を放っているらしい。
火にあぶり出された国民達は皆、ワイバーンの餌食になっている。
ーーさて、どう脱出しようか? 南に向かうのは当然として、国境を超えても平原が続いて隠れる場所がない。メルガーナで地中へ逃げる方が逃げ切る確率は高くなるな。
国民に混じって逃げる俺たち3人の前に1頭のワイバーンが着陸してきた。
風圧に飛ばされる俺たちへとワイバーンの顔が迫る。
「はあああっ!」
ブランカがその顔へとパンチを打ち込んだが、ワイバーンは翼を羽ばたかせ後ろへと飛び上がり攻撃を避けた。反射神経がいい。
火を口に蓄え、ワイバーンが火球を連射してきた。
俺とドリアが地面に伏せる中、ブランカは火球を避けきり今度こそワイバーンの顔を殴りつける。
悲鳴をあげ、よろめくワイバーンへブランカは追撃の手を緩めなかった。
体勢を整えさせる間も無く、先ほどと同じ場所をブランカは殴りつける。
ワイバーンはぐらりと崩れ、その場へ倒れた。
「ナイト! 今が捕獲チャンスだよ」
ブランカの言葉を受け、俺は急いでワイバーンへ近づき捕獲を成功させた。
「よっしゃああ! ワイバーンゲット!」
喜ぶ俺たちだったが、その上空へ他のワイバーンが集まって来た。
仲間を奪われたことに怒っているのか、単に騒がしさに引き寄せられたかは不明だ。
ただ、連中の双眸が俺を含むこの場の全てを餌として認識しているのは確かなようだった。
咆哮を上げ、ワイバーン達が口に火を蓄え始める。
ーー10頭以上のワイバーンから火球を浴びせられるとか冗談きついぞ!
流石のブランカも顔を引きつらせている。
俺たちはすぐさま逃走を選び駆け出した。
ところが、突然俺たちの周囲が明るくなり昼間のように世界が変わった。
火球の衝撃を覚悟し走っていた俺も、その変化に驚き歩みを止め空を見上げる。
空を飛ぶワイバーン達も攻撃を中断し、空中を旋回し始めた。
やがて、ワイバーンたちは悲鳴をあげ、北の方へと飛んでいく。
その姿はどう見ても逃走だ。
ーーなんだ? どうしたんだ?
疑問に首をかしげる横で、ブランカが地面へとへたり込んでいた。
体を震わせ、自分の体を抱きしめている。
「な……なんで……」
「どうしたブランカ?」
ブランカがすっと指を天へ向けた。
その指差す方へ視線を向け、俺は言葉を失った。
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