第一話 平和な日々
「ほら、まだ脇が甘いぞ」
日が登り始めるころ、王国の支配下にある小さな村。そこから離れた丘の一軒屋の庭に木剣で打ち合う二人がいた。
一人は名前をバシラといい、10年前に勇者として魔王を打ち倒した男である。紅い髪に澄んだ緑の目。精悍な顔付きと太くはないが鍛え抜かれた体は、かつて勇者と呼ばれた頃と比べても何ら遜色はない。変わったところといえば、伸ばした髪を無造作に後ろに結った髪型とお世辞にも似合っているとは言えない無精髭だろう。
剣の腕前は衰えを感じさせない。むしろ、研鑽されてより美しくなったともいえる。
その剣の動きは相手の剣撃を防いだ流れを途切れさせることなく、攻撃に転じている。しかし、相手はその一撃を懐に飛び込むことで躱してみせた。
彼の相手の背は低く、彼の腹程しかない。体も細く、二人の持つ剣は同じ大きさの筈なのに、大きく見える。その顔はバシラを幼くした感じによく似ており、違いがあるとすれば瞳の色が空のように青いことぐらいであった。
相手の名前はガウレオ。バシラの一人息子である。
バシラの懐に潜り込んだガウレオは、動けないようにするために足を踏みつけると、その首に目掛けて剣を振るった。しかし、バシラは顔を仰け反らせることで回避すると、踏まれていないほうの脚で膝蹴りを食らわせる。
体勢を崩して倒れてしまったガウレオは、急いで立ち上がろうとするが、その首に剣を突きつけられて、動きを止めざるを得なかった。
「わざと隙を作って攻撃を誘わせるのはいい手だったが、最後の攻撃が惜しかったな」
バシラはガウレオを助け起こすと、自分と同じ紅い頭を撫でる。ガウレオは嬉しそうに、撫でる手の動きに合わせて頭を揺らす。
そんな二人に一軒屋の中から、かつて勇者とともに魔王を打ち倒した魔法使いにして今はバシラの妻、そしてガウレオの母であるクアエが声を掛けてくる。
「二人とも、もうじきご飯が出来るから、稽古はおしまいにして中に入ってらっしゃい」
確かに一軒屋から美味しそうな匂いが漂ってきている。二人は匂いを胸一杯吸い込むと、競いあうように中に入っていくのだった。
「それじゃ、行ってくる。良い子にしてるんだぞガウレオ」
「うん。だからお土産はウサギがいい!」
朝食を済ませ、狩りの支度を終えたバシラは無邪気にじゃれつくガウレオを引き剥がすとクアエに預ける。
「こら、遊びに行くんじゃないのよ。お父さんに行ってらっしゃいは?」
「ぶぅ。行ってらっしゃーい」
「ははは、ウサギだな。お父さんに任せておけ」
不適腐れて膨らませたガウレオの頬を優しく摘まんでやると、きゃーっとはしゃいでクアエの後ろに隠れてしまう。軽く困り笑いをする妻にいつものようにキスをしてバシラは狩りの仲間たちとの待ち合わせの場所へ向かうのだった。
バシラを見送ると、ガウレオはいつものように村へ行く。村の中央にある広場へ着くと同い年位の子ども達が三人、ガウレオを待っていた。
「遅いわよ、ガウレオ! 日が暮れるかと思ったじゃない」
「姉ちゃんが早すぎるんだよ。ほら、急いでたからまた髪が乱れてる」
「がさつな女は嫌われるって父ちゃんが言ってたぜ、ミオ~」
「なんですって~!」
最初に声を掛けてきた少女がミオ。この村の長の娘でありこの集まりのまとめ役でもある。両脇で束ねた真っ赤な髪がよく似合っている。
その髪をどこからともなく取り出した櫛で鋤いているのがミオの双子の弟でマオ。男の子にも関わらず伸ばされた髪とミオと瓜二つの顔もあって姉弟よりも姉妹にしか見えない。
そしてミオに首を絞められ顔を真っ青にさせているのがジャン。いつも生意気なことを言ってはミオに懲らしめられているが反省する様子はない。
「みんな、おはよう。今日は何して遊ぶ?」
「遊びじゃなくて仕事よ! し・ご・と!先ずは村の巡回よ!」
「姉ちゃん姉ちゃん、そろそろジャンの首から手を放さないと死んじゃうから。それに時間がどんどん過ぎちゃってるよ?」
マオに突付かれたミオはジャンを放すと、ガウレオの手を乱暴に掴んでずんずんと歩き始める。引っ張れながらガウレオはミオに話し掛ける。
「ミオちゃん、手が痛いから引っ張らないでよー」
「うるさい。ガウレオはいつもポヤっとしてて危なっかしいから私が手を繋いであげてるの!」
「ごめんね、ガウレオ。あれが姉ちゃんの精一杯だから。ほら起きてよ、ジャン。姉ちゃんがガウレオと行っちゃうよ」
こうしてガウレオの1日はいつものように始まった。いつものように平和な1日が。
日がほとんど落ち込んだころ、バシラ達の村に馬車を中心とした集団が到着していた。
馬車には派手な飾りはないが、その確りとした造りから、領主のそれよりも遥かに上等なものだと感じられた。
更にその馬車を守るように馬に騎乗した者達が五人。彼らは皆、寒気避けのために外套を羽織っていて顔や服装はよくわからない。その内の一人が馬から降りると村の入口にいる男達へ近寄っていきフードを外す。
フードから出てきた短い深緑の髪と同じ色の目が、油断なく男達に向けられている。
若いが、動きかたや周囲への警戒の仕方から、ただ者ではないことが分かる。
門番役の男はこんな時間にやってきた一団を警戒しながら、相方に村長を呼び行かせる。そして、手に持った槍を握り直すと近付いてくる男が喋るのを待った。
「こんな寂れた村によう来なすった。見たところ、旅の行商人にも見えないが一体何の目的があって此処へ?」
「夜分に申し訳ない。私達は人を探している。それと出来れば一晩、家を借りたい」
「成る程。今、村長を呼びに行かせている。もうじき来るはずだからそれまで待っていてくれないか」
男は頷いて集団へ戻ると、馬車の中に声を掛けて報告する。すると馬車の窓が開いて男が顔を覗かせた。
金の髪と端正な顔には人を惹き付ける魅力を感じさせる。しかし、その青い目には僅かながらに疲れが見える。
「ご苦労、スリーリン殿。どうだね、彼らはいそうかね」
「分かりません。ですが、ここは普通の村とは違う感じがします。少なくとも、あの門番はただ者ではありません」
「ほう。王国十傑の一人であるスリーリン殿が言うほどの男が門番とな。それは期待できそうだ」
捜し物が見付からなくても掘り出し物は見付けれそうだ、と笑って窓を閉めたのだった。
クアエは夕食の片付けを済ませると、ガウレオに魔法を教えていた。
ガウレオが生み出す風が、クアエの緑の髪を揺らす。しかし、彼女は気にも止めず、息子の魔法操作を見つめている。
もう何百回もやった魔法だが、失敗すれば怪我は免れない。愛しい我が子を心配する心は幾つになっても変わらない。
彼と同じ青い瞳は小さな魔力の乱れも見逃さないだろう。
そんな真剣な二人を見ながら、バシラは食後のお茶を啜る。
この家では1日の仕事の前の朝に父が剣を、夕食以降は母が魔法を、ガウレオに教えることになっていた。
魔王を打ち倒した勇者と魔法使いから手解きを受ける。
世の武芸者や求道者からすれば夢のような話ではあるが、二人からしてみれば可愛い子どもからお願いされたのだ。断れる筈もない。
それに息子は二人から類稀な才能を引き継いでいた。二人が教えることをまるで乾いた地面が水を吸うかのように取り込んでいくのだ。
教えれば教えるだけ、上手くなる息子に二人は夢中になった。
気付いた頃には、彼は僅か10才にして、王国でも指折りの実力者になっていた。しかし、それだけに二人は焦っていた。この村で教えられることには限りがあったからだ。
この才能を村に埋もれさせていいのか。広い世界に旅立たせることで成長を促すべきなのではないのか、と。
彼らの家に村長と馬車の一行が訪れたのは、まさにバシラがそんなことを考えていた時だった。