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先読み女と、モテ系男子


 私はいつだって三手先を読んで行動している。


 それはなぜかって?


 細心の注意を払って行動していれば、嫌な目に遭う確率がぐっと下がるから。――人生、まだ先は長い。波乱万丈、トラブル続きの人生なんてごめんだから、私は平和に過ごすため、必要な努力を惜しんだりはしない。


 君子危うきに近寄らず。備えあればうれいなし。転ばぬ先の杖。


 そんな私の事なかれ人生は、これまで順調に進んできたと言える。しかし平和な日々がずっと続くことはなかった。


 ――というのも、隣にモテ系男子が引っ越して来てしまったもので。




***




「お隣に引っ越して来たご家族だけど、あなたと同い年の男の子がいるんだよー。気になるー?」


 そう問いかける母は、なんとも締まりのないニヤニヤ顔をしている。ダイニングテーブルの上に頬杖をつき、こちらを覗き込んでくる目つきは、悪戯っ子のようだ。


 母子でも性格はまるで正反対なのよね、と思わずため息が出る。四十を過ぎても好奇心を失わない、この前のめりな姿勢、ある意味尊敬に値するわ。


 ――朝、団地の敷地内に引っ越しのトラックが停まったところから、母は下世話な好奇心が刺激されたようで、『ちょっとお話してくるわ』と言い置き、速攻部屋を飛び出して行ったのが、全ての始まり。


 そうして渦中の人物とコンタクトを取ることに成功したらしく、『新鮮なネタを仕入れて来てやったわ』と、戻るなり、得意気に披露しているところである。


 ――同い年の男の子ねぇ。じゃあ中三か。


 まぁ度肝を抜かれるようなイケメンが隣に引っ越してくる確率なんて、隕石が頭上に落下してくるくらいありえないことだから、私の平和な世界が乱される心配もないだろう。


 なんて呑気に考えていたのだけれど。


「その子、水沢颯真みずさわ そうまくんていうのよ。引っ越しトラックのそばにいたから、お母さん、思い切って話しかけちゃった」


 てへ、じゃないよ、母。がっつくような恥ずかしい真似はやめておくれよ。若干イラっとしたものの、そこはこらえる。


「その子ねぇ、超爽やかで、超手足が長くて、超格好良かったよー。学校で一番モテるだろうね、あれは」


 これに私は驚き、まな板上で伸ばしていたクッキー生地から視線を外し、まじまじと母の顔を見つめてしまった。


 別に『超』ばかりを連呼する頭の悪さにびっくりしたわけじゃない。母がお馬鹿なのは、今に始まったことでもないしね。


 引っかかったのは内容のほうだ。母はこういうことでは話を盛らない。それどころかイケメンに関する判定は厳しめな傾向にある。その母がここまで絶賛するって、一体。


「うちの娘、彼氏いないから仲良くしてねー、ってアピっといたから」


 ふふ、と笑った母は時計を眺め、


「いけない、パートの時間だ」


 と声を上げて、さっさと出かけてしまった。


 一人残された私は、開いた口が塞がらなかった。




***




 ところで本日は土曜日である。――父は単身赴任中、母は土日パートに出てしまうので、私にとっては監視役の保護者がいない憩いの時間だった。


 母が出かけてから、もう一時間以上たっただろうか。インターホンが鳴ったので、私はいそいそと椅子から腰を上げた。


 ――ついに来たか。ネットで買い物をしたものが、今日到着予定なのだ。注文したのは漫画の新刊とフルーツティーだから、すごく楽しみ。


 私は小走りに玄関口に向かい、意気揚々と扉を開け放った。


 ――いや、私だって、いつもならインターホン越しに訪問者を確認しますよ? でも『宅急便に違いない』という思い込みがあったのだ。ある意味これは、私の三手先を読む癖が悪いほうに出たともいえる。


 結果、問題が発生。


 なぜかというと、扉を開けたら、そこにはとんでもないイケメンが立っていたからだ。『爽やか』という概念が擬人化して、服を着て目の前に現れたんじゃない? ていうくらいのミント感。


 ……ここはどこだ、本当に地球か? 私はドアノブに手を置いたまま、フリーズしてしまった。


 目の前のイケメンは同い年くらいに見えるので、たぶん母が出かける前に語っていた、例の引っ越して来たお隣さんだろう。


 ……なんてこった。面倒事の予感しかしない。絶望的な未来図が脳内で展開される。


:::⁑:::⁑:::⁑:::⁑:::⁑:::

 まずうちの母がこんなことを言い出す。

『引っ越してきたお隣さん、中学校の場所が分からないだろうから、あなたが連れて行ってあげなさいよー。先方にはもう申し出てあるから、断れないからねー』

 いやいや、スマホで調べられるじゃん! と一応ゴネるも、聞き入れてもらえない。

  ↓

 そして泣く泣く引率を引き受けてみれば、イケメン君は迷惑げ。たぶん『隣のばばあに娘を押しつけられた』くらいに思っている。当然、道中では会話も弾まず。

  ↓

 モテ系の彼は登校するなり、あっという間にヒエラルキーのトップに君臨。そして隣家に住む『親切押し売り女』の悪口を吹聴。

:::⁑:::⁑:::⁑:::⁑:::⁑:::


 じ、地獄じゃん……。口元と目元の筋肉が引き攣りかけたが、私はこれを根性で抑えつけた。


 先読みと、体勢立て直しに要した時間、一秒未満。――やったぞ、私。やればできる子。


 愛想笑いを浮かべる。下品すぎず、馴れ馴れしすぎず。ショップの店員をイメージ。よし、できた!


 ――ところで訪ねて来た彼からすれば、色々と謎の状況であったらしい。というのも、チャイムを鳴らしたら、鼻歌交じりの女が『ようこそ~』と言わんばかりに扉を開け、目が合った途端にギクシャクし出したからだ。その後のつけ足したような愛想笑いも、彼にとっては奇妙にしか感じられなかったようである。


 彼は一瞬目を見張り、こちらの様子を窺うような素振りを見せた。


「……ええと、あの、どちら様でしょう?」


 仕方なくこちらから尋ねる。すると彼は佇まいを正し、礼儀正しく名乗ってくれた。


「隣に引っ越して来た、水沢颯真といいます。今日は両親ともに仕事の都合で不在なので、一人で引っ越し作業をしていて」


 おお、なんと! 引っ越しを子供一人に押しつけるなんて、なかなかスパルタなご家庭だなぁ。


「えっ、それは大変ですね。引っ越しって、大勢でやっても疲れるのに」


 わりと素で喋ってみる。人間、世間話でツンケンしたらいかんよね。


 心は相手に寄り添い、親身になったとしても、グイグイ馴れ馴れしくはしない。可もなく不可もなしの印象で、フェードアウトする。


 ――どうよ。完璧な作戦じゃない?


 私が考えを巡らせていると、彼は口元に淡い笑みを乗せ、菓子折りを差し出してきた。


「これ、引っ越しのご挨拶」


「どうもご丁寧に、すみません」


 両手で受取り頭を下げる。この動き、表彰状授与式みたいだなと思った。


 ――で、もうお引き取りよね? 私は微笑をキープしたまま相手を見るのだが、彼はじっとこちらを見返してくるばかり。


 ――あれ? なんだこれ? 『じゃあこれでバイバイ』って、訪問を受けたこちらからは言いづらいしなぁ。


 若干困りつつも、イケメンと遭遇する機会なんて滅多にないものだから、とりあえず観察してみる。


 なんというか、服のサイズ感が絶妙だなと思った。シャツがほんの少し大きめなのだが、不自然なほど大きすぎもしない。身体の線があまり出ていないのに、体幹がしっかりしているのがちゃんと分かる。服に着られていない感じ。お洒落に過剰に気を遣っているというより、スタイルが良いので、基本的になんでも上手に着こなしてしまうのかもしれない。


 髪は長すぎず、短かすぎず。


 いやー、すごい。母は嘘を言っていなかった。こりゃあ確かに、学校一モテるタイプだわ。他人から一目置かれている人特有の、滲み出るような自信みたいなものを漂わせている。


 一歩間違うとナチュラルに傲慢となりかねないが、おそらく性格が素直なのだろう、佇まいから嫌な感じは受けなかった。


 ほっ……よかった。こちらが怒りを買うようなことをしなければ、自主的に悪口を言いふらしたりはしない、善良なタイプとお見受けした。


 ……ええと、でも、なんだろう? なかなか帰らんな、彼。


 沈黙が本格的に気まずくなってきた頃、あることに気づき、ハッとした。


 いっけねー、こっちが名乗っていなかったわ。


「あっ、すみません、私は吉塚千代よしづか ちよといいます」


「知ってる」


 微かに眉を上げ、くすりと彼が笑みを漏らす。――え、なんで知っているの?


「下で引っ越し作業をしていたら、君のお母さんが話しかけてきた。それで『娘の千代をよろしくね』って言ってたよ。可愛いお母さんだね」


「……はは」


 乾いた笑みが口から漏れた。背中に冷たい汗が伝うのを感じたが、意地でもこの話題は掘り下げないぞと心に誓う。


 ――『母が変なことを言ってすみません』と素直に謝るのは、初心者がやりがちな失敗例である。先読みのプロたる私は、こんなトラップにはたやすく引っかかったりしない。賢者はスルースキルを会得しているものなのだ。


 彼が続けた。


「君のお母さんが、『分からないことがあったら、なんでも娘に訊いてね』って言ってくれたから、それに甘えようかと思って。ちょっと教えてもらえないかな」


 母ー! なんという余計な真似を! どうせアレでしょう? 私にからませることで、自分がイケメンと喋りたいだけよね?


 あわよくば、の精神が強すぎて、ドン引きするわ。――畜生、と思ったけれど、鉄面皮をなんとか呼び起こし、微笑をキープする。


「あ、はい。なんでしょうか?」


「ゴミ捨て場がどこにあるのか分からない。――教えてくれる?」


 なるほど。確かに引っ越しの時って、梱包材とか諸々ゴミが出るよね。ここ、敷地が広いからな。口頭で説明しても分かりづらいかもしれない。


 そういえば、前の隣人はお年寄りだったんだけれど、引っ越して来た日に、ゴミ捨て場まで連れて行ってあげたっけなぁ。


 私は悪人ではないので、人が困っていれば助けたいと思っている。だがしかし……


:::⁑:::⁑:::⁑:::⁑:::⁑:::

 親切心を発揮し、『分かりづらいので、一緒に行きますよ』と安請け合い。一緒に歩き始める。

  ↓

 歩きながら、『引っ越す前はどちらに?』的なサービストークを展開。沈黙が怖いので、やたら愛想よくする。若干空回りして、あとで一人になってから、むなしくなるパターン。

  ↓

 噂好きなご近所さんに連れ立っている場面を見られ、『あら、あの二人、付き合っているのかしら?』というお約束な詮索をされる。この場合、モテない側の人間がとてもつらい思いをすることになる。

:::⁑:::⁑:::⁑:::⁑:::⁑:::


 いやぁ、ナシナシ! このプランはナシだ。――あ、そうだ、うちのベランダから、ゴミ捨て場が見えるわ。


 この応用力の高さ! 私は自らのできる子っぷりに大満足し、彼に向かって大きく扉を開いた。


「我が家のベランダからゴミ捨て場が見えるので、説明します。上がってください」


 この申し出に、彼はとても驚いた顔をした。人が呆気に取られた顔を、わりと久しぶりに見た気がする。


 ……あれ? これってやってしまったかな? 何がまずかったのだろう?


 焦りを感じていると、イケメンの水沢くんは、心のイケメンぶりまで発揮したのか、私の無自覚なミス(?)を水に流すかのように、爽やかに笑ってくれた。


「――助かるよ。じゃあ、遠慮なく」


 部屋を通過し、ベランダの扉を開け放つと、気持ちの良い風が吹き抜けていく。


 今までクッキー作りをしていたので、邪魔にならないよう、髪はポニーテールにくくってあったのだが、風がおくれ毛を乱し頬のほうにかかってきたので、それを指で弾いて耳に引っかけた。


 彼がベランダのきわに並ぶのを待ってから、早速説明に入る。


「下を見てください。――ああ、ちょうど今、サバトラ柄の猫が歩いている、あのあたり。ゴミ捨て場はあの奥です」


「ここって、ペット可なの?」


「いいえ? そういえば、なぜに猫が」


 野良猫が迷い込んだだけでしょうけれど、確かに珍しいかも。気になってグイと身を乗り出すと、水沢くんが慌てたように私のエプロンの肩ヒモを引っ張った。製菓作りで粉が飛ぶため、前かけをしていたのだ。


「落ちそうで怖い」


 まさかぁ。私は「はは」と声を立てて笑った。


「いやいや、落ちないですし、落ちそうになっているとしたら、エプロンのヒモを掴んだくらいでは、落下を食い止められませんよ?」


「そりゃそうだけど」


 彼はぐっと言葉を詰まらせたあと、結局馬鹿馬鹿しくなったのか、ベランダの塀に肘を置き、肩の力を抜いて笑った。


「――俺の手の中にエプロンだけが残って、君だけ落ちて行くっていうのも、なんかシュールな絵面えづらだね」


「アクション映画のラストみたい」


「そうなると、落ちて行く君は悪党ってことになる」


「じゃあ、あなたはタンクトップを着ないと。最後のほうだと、犯人とやり合って、かなり汚れている」


 お喋りの内容が馬鹿馬鹿しく感じられて、ちょっと笑ってしまった。笑みを浮かべたまま隣にいる彼のほうを見ると、綺麗な瞳に絡め取られた。澄んでいるのに、生き生きとしていて、深いところまで引き込まれそうになる。


 奇妙な気まずさを感じた私は、彼から視線を外し、通りの向こうの赤い屋根を指差した。


「……あそこのお団子屋さん、美味しいんですよ。昔ながらの味で、おすすめです」


「そうなんだ」


 私たちはしばらくベランダにとどまった。先輩が後輩の面倒を見るかのように、私は懇切丁寧に、団地のしきたりやご近所トリビアを伝授してあげた。



***



 これでやっとこ帰ってもらえるな、と思っていたら、彼がなんとも面倒なことを言い出した。


「いい匂いがする」


「オーブンでクッキーを焼いているので」


「お菓子作りが趣味?」


 私はこの返答に、細心の注意を払わねばならなかった。なぜなら……


:::⁑:::⁑:::⁑:::⁑:::⁑:::

 『時々、好きで作るんですよ』と素直に答えてしまう。

  ↓

 『料理好きなんだね』と返される。そして『そういうキャラなんだ』とインプットされる。

  ↓

 学校で彼が、悪気なく誰かに『吉塚千代は料理好きらしい』と喋る。聞いた人間が、『うわ、料理好きアピールして、無理めなイケメン落としにかかってるー』と嘲笑してくる。

:::⁑:::⁑:::⁑:::⁑:::⁑:::


 典型的なもらい事故! ……なんだよぉ、水沢くんの周辺、地獄行きの穴がぼこぼこ開いているな。恐ろしい。


 私は若干目をそらしながら、モゴモゴと呟いた。


「……あ、いや、違くて。母が作って、オーブンにぶち込んでいったんですよ」


「嘘だ。だってエプロンに粉が飛んでるよ」


 水沢くんは僅かに眉をひそめ、私のエプロンを指差しながらそんなふうに指摘してきた。口元に笑みが浮かんでいるので、怒っているというよりも、こちらが嘘をついたのを面白がるような顔つきでもあった。


 ――なんなんだ、名探偵か、君は。苗字、工藤じゃないくせに。一瞬よそいきの仮面が剥がれ、顔をしかめてしまう。


「あー、もう、やだ。……確かに、嘘ですケド」


「なんで嘘つくの?」


「だって料理好きとか思われたら、変にキャラづけされて、面倒ですし」


「面倒なんだ」


 耐えきれなくなったのか、彼がとうとう吹き出した。ガラス窓に反射する陽光よりも、水沢くんの笑顔はキラキラ輝いて見えた。


「どんなクッキー?」


「ええと、紅茶の入ったやつで」


 言いながら、嫌な流れだなーと思った。たぶん、三手先を読む私じゃなくても、なんとなく展開が読めるんじゃないかな。


「――興味ある。味見させて」


 さすがモテ男子。なんのてらいもなく、言い切ったぞ。


 私が了承もしていないのに、彼はすっかり要求が通ったものとして、私を急かす。


「さぁ、中に戻ろう。ああ、そうだ――さっき話していた、悪役が高いところから落ちて行く映画、今度一緒に見ない?」


「タイトルは? そういうアクション映画、いっぱいあるでしょう?」


「それぞれオススメを出して、いくつか見る。それでどの落ちっぷりが豪快だったか決めよう」


「……そうすか」


 何本も映画見て、感想言い合ってだと、結構ガッツリ絡む感じですよね。もはや絶望しか感じないのですが。




***




 明けて、月曜日。――私は完璧な備えをした上で、この日を迎えた。


 下準備は一昨日の土曜日から始めた。水沢くんにクッキーを与えながら、


「――学校の場所は、あらかじめスマホで調べておいたほうがいいですよ」


 とアドバイスしておいたのだ。


 そして夕方、パートから戻った母を捕まえ、


「水沢くんに変なことを吹き込まないでよね! 『学校まで娘が案内する』とか言おうものなら、もう家事を手伝わないから」


 とストライキも辞さない構えで、厳しめに叱っておいた。母はシュンとして『分かったー』と言っていたから、おかしな真似はしないだろう。


 ――さて、そろそろ学校に行こうかな。腰を上げかけたタイミングで、インターホンが鳴った。


「ああ、出かけるついでに、私が出るね」


 そう母に言い置き、玄関へ。扉を開くと、


「――おはよう」


 場違いなイケメンが立っていた。……それで扉を一旦、閉めてみた。


「な、なんだ、これは」


 呆然と呟きを漏らしていると、目の前の扉がさっと開かれる。私は開けていないので、当然、外にいる水沢くんが開けたらしい。


「お母さんから、君が家を出る時間を聞いておいた」


「なぜですか?」


「学校まで連れて行ってもらおうかと」


 爽やかな笑みだなー。呆れながらも、感心してしまう。選ばれし者の特権だね。普通のメンズが女子の自宅に押しかけて同行を頼んだら、痴漢扱いされかねないぞ。


 ――とそんなことより。後ろを振り返ってギロリと睨みをきかせると、様子を見に出て来た母は、悪戯が見つかった子供みたいな顔をしていた。


 母は視線を逸らしながら、モゴモゴと、


「わ、私はねぇ、あなたの出発時間を訊かれたから、答えただけですからー。別にこっちから『娘が案内しますよ』とか言ってないからー」


 と言い捨て、サッと奥に引っ込んでしまった。


 こんにゃろう……


「じゃあ、行こうか」


 扉を押えたまま、水沢くんがにっこり笑った。




***




 自宅が隣同士なのは、不可抗力だから仕方ない。しかしどういう訳か、その後も私は水沢くんに構われ続けた。


 同じ委員会に彼も入り、集会の時に大声で(!)、


「吉塚さーん、ここ、隣空いてる!」


 と声をかけてきて、私を悪目立ちさせたり。クラスが違うから安心していたのに、ちょくちょくものを借りに来たり。廊下ですれ違う時、笑いかけてきたり。一緒に登下校したがったり。


 ある日の放課後、並んで歩きながら、私はまじまじと彼の横顔を見上げていた。


 ……ええと、これってたぶん、私の気のせいではないよね?


 こちらの戸惑いが伝わったのだろうか、水沢くんが私の瞳を覗き込み、柔らかな笑みを浮かべた。


「そろそろ気づいてくれたかな? いい加減、時間がかかったけれど」


 なんだか、こちらがトロいと言われているみたいで、面白くない。


「言っておきますけど、私は三手先を読む女です。先読みのおかげで、私の日常はずっと完璧だったの。大抵のことは、予測の範囲内だった。――あなたに会うまでは」


 平和で、調和の取れた、危険のない、私の世界は破壊された。たった一人の侵略者のおかげで。


 すると彼が悪戯に瞳をきらめかせて笑う。


「つまり君は負けたんだ」


「そうは思わないけれど」


「だけど俺は、いつだって五手先を読んで行動しているからね。先読みでは、俺のほうが勝っている」


「嘘だー」


「じゃあ、それを証明しようか。――君は一分後、『仕方ない』と言って、俺のことを受け入れるよ」


 そう言って手のひらを上に向けて、私のほうに差し出してきた。私は困り顔で彼を見つめる。


「――一応訊くけれど、あなたは私のことが好きなの?」


「好きだよ」


「どうして?」


「理由はよく分からない。ただ好きなんだ。でも、そうだな――きっかけは、君が扉を大きく開いたから」


 彼がピタリと足を止め、私に向き直った。私も足を止め、彼を見上げる。


「君は一見外ヅラがいいのに、どこか詰めが甘いよね。初めて会った時、玄関口で対面した君は、少し迷惑そうだった。――だけど俺が困っていると知ったら、ちゃんと誠実に応えてくれただろう? ゴミ捨て場の場所なんて、口頭で適当に教えればいいのに、扉を大きく開け放ち、『上がってください』と言ってくれた。――あの瞬間、雷に打たれたみたいに、びっくりして」


 じゃあ、あれがきっかけで、彼の心の扉が開いたの? あんなことで?


「……本当は、ゴミ捨て場まで一緒に行ってあげることもできたのよ。でも私はそれをしなかった。手抜きをしたの」


「君は親切な人だよ。だけど不思議なことに、自分ではそのことに気づいていない」


 水沢くんにそう言われると、自分がとても善良な人間であるかのように思えてきた。彼が語る『吉塚千代』という女の子は、なんだかとても魅力的に感じられる。彼の声に深みがあるから、説得力があるのだろうか。それで私は『水沢くんは本当に私のことが好きなんだ』と思った。


 ――では、私は? 学校で話しかけられて、戸惑ったけれど、視線が絡むとなんだか不思議な気持ちになった。ソワソワして落ち着かなくなるけれど、心の奥のほうではずっと安心していた。だって彼は優しい人だと、ちゃんと分かっていたから。


 たぶん彼は、私がドジを踏んだとしても、笑って受け入れてくれる。瞳の奥がいつもあたたかい。


 彼とお喋りしていると、『まるで平織りみたいだな』と思う。タテ糸とヨコ糸が交互に織られ、重なる。互いの在り方が、とても自然で綺麗だ。


 ……正直にいうと、イケメンにはまるで興味がなかったよ。私はずっと、普通の人を好きになると思っていたから。


 たとえばね――話が合って、一緒にいると楽しい人がいいな、って思っていた。そうして私みたいな普通の人間の魅力を、辛抱強く探し当ててくれるような、ちょっと変わった人がいい。そんなふうにずっと思っていたの。


 ――だけどそれって、あなたなんじゃない? 水沢くんは、私の理想通どおりの人なんだ。


 ただちょっと、人よりモテるってだけでね。


 巡り合わせの不可思議さに、なんだか泣きたいような気持になった。私はそっと手を伸ばし、彼の大きな手に重ねる。


「私もあなたが好きみたい。だけど一つだけ、あなたの先読みは当たっていないよ。私はあなたを受け入れるけれど、『仕方ない』なんて、絶対に言わない。……だってこんなにもドキドキしている」


 心を込めてそう伝えたら、彼も少しだけ泣きそうな顔になった。


 ――私はいつだって、三手先を読む女。


 あなたはこのあと、幸せそうに笑うに違いない。




 先読み女と、モテ系男子(終)



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― 新着の感想 ―
[良い点] いやーいい話… 終始可愛かったです [一言] わかるよ、わかる… 脳内でいっぱい考えて『普通』『印象に残らない』を、一生懸命目指すその心意気。『君子危うきに近寄らず』が座右の銘っぽい感じ。…
[一言] 先読みの女の子の心の声が面白かったです。 イケメンとの爽やかな恋物語が楽しかったです。
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