2 朝日に包み込まれて 新月物語
少し気持ちも落ち着いてきた。
ハチミツ入りのコーヒーのせいか、混乱している私をそっとしてお
いてくれている彼のせいか、それ以外のことは今のところ、すべて
見知らぬ風景でしかなかった。
時計のカレンダーでは今日は土曜日だけど、私は休みなんだろうか
というよりも、私は何の仕事をしているのかも誰かに教えてもらわ
ないと分からなかった。
記憶喪失?
まだ鏡は見ていないけど、大丈夫だろうか? そう思いながらまず
姿見用の鏡を見た。
体型よりも先に、エロ過ぎるベビードール姿に目を奪われた。
彼の趣味なのか? それとも私の趣味が変わったのか?
まんざら悪いということもなかった。
身長はそんなにはないわりには、結構セクシーに見える。
次に、頑張って、恐る恐る顔を見た。
認めたくはないが、ショックだった。
私は童顔だったから、年をとってからも、そんなに変わり映えはなか
ったが、それでも自分で思っていたよりも老けていた。
普通のカレンダーを探した。今は何年なんだ。
私が今と思っていた年よりも、2年も先だった。
場所に驚いた次は、時間に驚かされている。
ここは未来ということなのか?
それなら、この時代の私は、2年前に行って、入れ替わったとでも
いうのだろうかと考えた。バカな話だけど、そう考えたほうがツジ
ツマが合う気がした。
一応、何とか次のことを考えていけるための頭の整理はやった。
多分、考えてもどうにもならないことは、考えずにおいた方が、目の
前にある『今』を見ることができるだろうと思った。
もう泣くのは終わりだ。
現実と向き合ってみよう。
ベッドから起き上がり、世界の果てを探す位の気持ちで、寝室を出た。
広いリビングだ。海も山もよく見えた。
気持ちいい朝に合うBGMが流れている。
オープンキッチン近くのテーブルに朝食が用意されていた。
洒落すぎている。盛りつけも彩りも。ホテルのブッフェのようだ。
彼は居なかった。お風呂に入っているようだった。
私はスパイになったかのような気分で、ドキドキしながら『私の証拠』
を物色した。
私の物に違いなかったが、どれも実感がなかった。
何でもいいから、実感できるものが欲しかった。
さっきのコーヒーカップは、思い出があったんだから、他にもあって良
さそうなのに、何も他になかった。
トイレに行くような感覚で、体が反応するように私は化粧鏡のところへ
行った。すぐ近くが、お風呂場で、今、彼が入っている。私は自分でやって
いる感覚もないまま脱いで、お風呂場へ行った。
何か思い出せるかもしれない。
「何の絵かわからない」パズルの核になるピースが必ず見つけれる気がした。
彼は本当に自然に包み込んでくれた。
私の気持ちを、そして……。
陽の光の中で、感覚にドッと一気に、何の違和感もなく何かがインストール
されたような、すべてを肌で理解できたような、打ち上げ花火のようにとて
も短く感じた、長く幸せな時間だった。
私は何度となく、『私の今』と『彼の今』を行き来しているのだと分かった。
深く海底に沈み込んでいたマグマが吹き出すような位の勢いで、すべての記憶
が感情といっしょに噴出していた。
1人では耐えられないが、彼が居てくれるから、彼を感じていられるから、耐え
る必要も、目を塞ぐ必要もなかった。
朝食に手をつけないまま、夜になっていた。
1日で、2年分の勉強をマスターしたような感じだった。