愛の涙は黒く染められた 2
夜明けの明かりは雲に隠れ、その明るい光を目にすることは許されない。だがエトナの両手は、ウェナンの両手と結ばれ、いつまでも愛の光を明るく灯していた。
「エトナ…… エトナ……」
いつの間にか、エトナは眠っていた。医師の肩を叩く手で、彼女は目を覚ました。夜中に現れたサブナクとの事が現実だったのか夢の出来事であったのか彼女自身、分からなくなっていた。
「エトナ……、残念だがウェナンはもう……」
彼女は分かっていた。自分が触れているウェナンの手からは生気を感じない、心拍もしている様子はない。だが彼女はサブナクの言葉を信じた。
「ウェナンは生きているんです! 明日になれば元気になるんです」
エトナは自分に言い聞かせるように医師に叫んでいた。
「だがエトナ……、彼はもう……」
なんと言われようと彼女は抵抗した。医師に強く反論すると、医師も諦めてその場を離れていった。
「ウェナン……」
涙ながらに強くウェナンの両手を包み込む。冷たい彼の手を感じると、希望が薄れていった。そう感じる自分自身も嫌で、彼女の涙は枯渇する事を忘れ、いつまでも流れ続けた。時折、病室を通り過ぎる人々からの悲哀な声もエトナは背中で感じて涙していた。
――――――――――
翌朝。
ウェナンは目を覚ました。サブナクが言ったように生き返ったのだった。だが、その様子は以前とは違っていた。肌はどす黒く変色し、苦しそうに言葉を話せないでいる。
「ぶ…… ヴェ…… ド…… ダ……」
「そう! そうよエトナよ! ウェナン」
彼女は嬉しそうにはしゃいでいたが、それとは裏腹に彼女に近寄る者は誰一人としていなかった。死者が蘇ったのだと人々は噂した。そんな声を尻目に彼女はウェナンを抱き寄せた。彼は自分で歩く事もままならずに、エトナに肩を抱かれて家へ帰っていった。人々は不気味なものを見るような目で見つめ、道をあけた。
ふと見上げると、空はいつの間にか雲が濃くなり、雨を降らせている。
「ぶ…… げ…… が……」
「はいはい、今作りますからね」
彼の言葉は人間のものではなくなっていた。食事をするのも食器を使わずに素手でむさぼる。そんな時、突然ドアを叩く音が部屋に響いた。
『トントン!トントン!』
「ちょっと、お邪魔するよ」
彼女の家へ現れたのは一人の男だった。白い肌に金色の髪、青い目のとても整った顔立ち。マント姿の男だった。彼の名はレヴェル。一見、この街に似合わぬ姿をしていた。
「ちょっと……」
彼女がドアを開けるとレヴェルはズカズカと中へ入っていった。
「こいつか!?」
レヴェルはウェナンの前に立った。マントを翻すと、すかさず銀色に光る右拳をウェナンの顔面に喰らわせた。レヴェルは銀を皮に染み込ませた手袋を着けている。銀は魔を近づけないと信じられているからだった。ウェナンはそのまま力なく椅子から転げ落ちていった。
「やめて!」
「邪魔だ!」
レヴェルはエトナを払いのけた。
「この男は人間ではない! お前も気付いているはずだ! 現実を見ろ!」
その言葉がエトナの胸に刺さり、彼女は現実から目を背ける様に俯いた。
そこへ、物音一つ立てずにローブ姿の人影が姿を現した。サブナクだ。
「彼女の邪魔をしないでいただきたい、私はこの女の望みを叶えただけ、彼女はさぞかし幸せを感じている事であろう。その男の命を救うために祈り続けていたのだから。その気持ちを、そなたは理解できるのか?」
「そんなもん理解できるかよ! 気持ち悪いんだよ! この悪魔どもが!!」
レヴェルはサブナクへ向かって言葉を吐き捨てた。するとサブナクの両手はフードにかかった。サブナクがゆっくりフードをめくり上げると、そこに現れたのはライオンの顔だった。
「ふふふ…… 姿を現したな化け物が!」
レヴェルはサブナクへ飛び掛かり、馬乗りになった。
『ブシッ!ブシッ!』
「ぐげ…… ぶげ……」
レヴェルの右拳はサブナクの顔面を何度もとらえて離さない。サブナクの奇声が漏れる。次第にライオンの顔が変形し、黒い血を噴出し始めた。
「地獄へ落ちろ! 堕天使めが!」
レヴェルは言葉を吐き捨てた。
「そんな事をしても無駄だ。人間の欲望がなくならない限り、私はまた召喚され、人間の前に現れることになるであろう。下等な人間による偽善にも似つかない自分勝手な美徳により何度も蘇る」
サブナクは血を顔面から噴出しながら平然と語った。大量の血が床一面に広がった。どす黒い血が床に染み込むのと一緒にサブナクはその姿を消していった。
「いいだろう、蘇るたびに俺様が地獄へ送ってやる」
レヴェルは床を見つめて呟いた。すっと立ち上がると、背中越しにエトナに語り始めた。
「辛い現実にぶつかる度に人間は強さを試される。現実から逃げる事ではなく、現実を受け入れる力を人間は持っている。そうやって人は強くなっていく。彼の死を受け入れて、それを乗り越えて強く生きていくんだ! エトナ、君にはきっと明るい未来が待ってるよ」
それが出来ない人間は人間ではいられなくなる。
レヴェルはマントを翻し、姿を消した。