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4 神の愛、人の愛


 少女が小屋から神殿に移されるのを、譲は鷲の姿で見ていた。


(やっとあの小屋から人里にある建物に移されたか。ま、良かったよ)


 子供に行われる育児放棄など見たくもなかった。よく分からないが、あの男達も自分達がひどいことをしていることを反省し、少女を連れ帰ったのだろう。

 少女へ謝ろうというのか、頭も下げていたようだし、これならば今後、彼女は二度とそんな目に遭うまい。

 それは話し合いが決着し、神官達が頭を下げて『あなた様が巫女と決定しました』と少女に伝え、そうして神殿へと迎えに来ただけのことだった。だが、譲から見れば神殿と普通の一般的な小屋との違いなど分かる筈もない。


(どんな時代でも、そういう子供を捨てるという悲劇がないわけじゃない。だけど君一人でも救われたなら良かった)


 そんな譲の帰還は、明日の朝に迫っていた。






 神殿の中で、ふと少女は目が覚めた。

 茶色い獣が自分の手に鼻先を擦りつけていたからだ。


『神獣様』


 喜んで少女は飛び起き、その体に飛びついた。


(おいおい、大歓迎だな。やっぱりこういう毛皮って子供は大好きだからか? 俺もでっかい犬、飼ってみたかったんだよな)


 最後に少女の幸せそうな姿を確認してから去りたかった譲である。


(ああ。ちゃんと食べさせてもらってるな。栄養不足でカサカサしていた肌も、ちゃんとツヤツヤしてきている。良かったよ。ちゃんと食って、もっと太るんだぞ)


 譲を知っている人間が聞いたら「お前こそ太れ」と言っただろうが、譲は体質だ。食べても太らないのである。


『神獣様。神様のお姿になってくださいませんか?』


 そんな譲に、少女は何かを身振り手振りで言ってきている。人の頭と胴体の形を手で空気の上になぞっているようだった。


(何? もしかして人の姿になれってか。冗談。俺、素っ裸になっちまうんだぜ。教育上、よろしくないものは見せられません)


 しらっと横を向いた譲だったか、少女はしつこかった。


(まあ、そりゃこの時代、カメラも何もないし、子供が何を言ったところで、夢で終わるだろうけどさ)


 根負けした譲は、祭壇に掛けてあった布を口に咥えて剥がした。その布を咥えたまま、人の姿に戻る。そうして布を腰に巻きつけて少女へと向かい合った。


「これでいいのかい? けど、俺が人間になっても言葉は通じないんだぜ?」

『ああ、やはり神様。全てのお姿をおとりになれるのですね』

「え? 何? ちょっと何泣いてんの? いや、悲しそうじゃないのはいいけど、どうして泣くのさ」


 譲は困り果てた。子供は嫌いじゃないが、面倒をみたことは遠い昔の話だ。親戚の子供を、それこそ自分も子供の頃に世話したぐらいである。

 しょうがないので、少女を抱っこしてから寝台に敷き詰められた葉っぱの上に寝かせた。


「もう子供は寝ている時間だからな。ほら、ちゃんと寝ないと大きくなれないぞ」

『もしかして妻問いをしてくださってるのでしょうか。なんて光栄なことでしょう』

「何? 君も、寝る前にお話をしてってクチ? なんで子供って寝る前のお話が好きなんだろな」


 少女が笑顔になったので、譲はかなり戸惑った。子供が好きそうな話なんて分からない。話せるとしたら、王道のシンデレラとか白雪姫ぐらいか? それだってどんな話だったやら、だ。

 それでもここまで期待されてしまっては仕方ない。

 寝台に腰掛けたまま、譲が話そうとした時だった。


『神様。どうぞ私と共寝なさってくださいませ』

「わっ。ちょっとその布引っ張らないでっ。俺は逮捕されたかねーのっ」


 腰布を剥がされそうになって慌てた譲だったが、どうやら添い寝してほしいらしいと気づく。


「あのねえ、お嬢さん? まだ子供だから許されるけど、男をベッドに連れ込んでいいのは、せめて出る所が出て引っ込む所が引っ込んだ、いい女になってからだぜ?」

『どうぞ私を好きになさってくださいませ、神様』


 しょうがないので、そのまま譲も少女の寝台に腰掛けた。すぐに少女にのしかかられて、横にさせられたが、子供の力なので大して問題ない。


(人恋しかったのか。・・・今までと違う環境にまだ慣れてないのかもな)


思ったよりも葉っぱのベッドは寝心地がいい。かなり葉を積み重ねてあるのだろう。


「じゃあ、白雪姫でいっか」

『他の巫女候補が生きている状態で私は巫女に選ばれました。これは神様の意思ですのね。無駄に巫女候補を死なせるなという・・・』

「ああ、そう期待するなよ。大体、言葉も分からないんだしさ。だけどこういうのってのは、言葉じゃないよな。昔々、あるところに王様とお妃様がいらっしゃいました。お妃様は、ある雪の夜、刺繍をしていて指に針を突き刺してしまいました」


 そう言って語り始める譲の顔を、少女はうっとりと見ていた。


(なんて素晴らしいのかしら。神の言葉を私は聞かせていただいている。こんな栄誉があるだなんて)


 少女は自分を微笑みながら見つめ、そして神の国の言葉で語られているありがたいお話に耳を傾けた。神が人の形をとると、その白い肌は部族の男達と違い、筋肉もついておらず柔らかい。


(神様は男性でありながら男性ではいらっしゃらないのね。こんなにも柔らかい指は、女性よりもはるかに女性的だわ)


 日々、ジャングルで生き抜いている男女の筋肉と比べられたら、たしかに現代人の譲などかなりひ弱だっただろう。


「そうして王子様と白雪姫は結婚し、隣の国で幸せに暮らしたのです。はい、おしまい」


 譲が話し終えると、きらきらとした憧れの瞳はまだパッチリしていた。


(駄目だ。余計に目が冴えているのか? ・・・日中、動き足りてなかったのか。そりゃ、子供が働かされ過ぎるようなことがなくて良かったけどさ)


 譲としては長引かされると少々困る事態だ。他に知っている童話なんてシンデレラと人魚姫程度だ。親指姫は、・・・忘れた。たしかカエルかツバメが出てきたような・・・?


『神様。ありがたいお言葉をありがとうございます。何を言っているかは分かりませんでしたが、とても不思議な抑揚で、感動いたしました』

「そんな嬉しそうな顔、するなよ。やっぱり王子様とお姫様は好きか? 女の子だもんな」


 それでも喜んでもらえたようなので、譲も笑顔になり少女の頭を撫でる。お互いにほのぼのとした空気が流れたところで、譲は真面目な顔になって言った。


「だけどごめんな。俺はもう二度とここには来れないんだ。・・・なあ、ちゃんと幸せに生きてくれよ」


 躊躇(ためら)うような、それでいてどこか困ったような、そんな口調に少女は不安になった。何を言っているのか分からなかったが、お別れを言われているのは分かった。


『神様。もしかして、・・・二度と来ないとおっしゃられているのですか? どうしてですか、私がお気に召さないのですか?』


 泣きそうな顔になって身を乗り出してくる少女に、譲も何度も頭を撫でる。


「泣くなよ。・・・大丈夫、ちゃんと今はみんなも大事にしてくれているんだろ? きっと君は強く生きていける。幸せになるんだぞ」

『神様。こんなにもお優しいあなたが私をお嫌いになったのではないと分かります。なのにどうして、お別れなのですか。私は嫌です』


 泣き出してしまった少女だったが、譲は(うーん、懐かれちゃったな)と、困りながらも少し嬉しかった。


「泣くなよ。な? ところで君の名前は? 俺はユズル、ユズルだよ」


 何度も自分を指さして「ユズル、ユズル」と言っていると、少女も意味が分かったらしい。


『ユジュール? ユジュール? それが神様のお名前ですか?』


 少し発音がアレだったが、まあいいかと思って譲は少女を指さして名前を尋ねる。何度か失敗しつつも、どうにか意味は通じたらしい。


『私は、キアナンです。・・・キアナン、キアナン』


 少女も自分の言っている意味が神に通じていないのだと分かり、何度も自分の名前を繰り返す。


「キャナン? キャナンって言うのか。・・・けっこう難しい発音だな」


 譲が繰り返す自分の名前は発音的におかしいと分かったが、少女はやがて諦めた。神がそう呼んでくれるならそれでいいと思ったからだ。


『ユジュール様。神様のお名前を聞いた巫女は私一人です。なんて素晴らしいことなんでしょう』

「ああ。ちょっとご機嫌になった? キャナン? キャナンでいいんだよね?」


 どんなに興奮していても、少女もやがて眠くなる。


「眠そうだな。もう眠りな、カナン。ほら、眠るまで傍にいてやるからさ」

『ジュール様。・・・も、私・・・』


 そう言って、少女は目を閉じた。お互いに呼ぶ名前はどこまでも変化している。

 だが、名前などお互いがお互いを呼んでいると分かればいいだけのことだ。


(ジュール、ねえ。ま、いいか)

(カナン・・・。それも素敵、よね)


 キアナンも、キャナンからカナンに変化していた呼び方に気づいていたが、眠りに引きずり込もうとする体に抗って、そう思うだけだった。


(カナン、でもいいの。ジュール様がそう呼んでくださるなら)


 そんな少女の寝顔を譲は見つめていた。あどけない寝姿は、小さな子供特有のものだ。やがて夜が明けていく。


(カナン。お別れだ)


 そうして朝の光に包まれて、譲は姿を消した。虫の知らせというものだろう、ちょうどその時に目覚めた少女は、光の中、譲が消えていくのを見守っていた。


『ジュール様。・・・さようなら』


 空気に溶けていく譲の姿はどこまでも幻想的だった。少女が切り取って持っていたライオンの毛玉すら残されていないことを後で確認し、更に涙を流した。

 神は何も残してくれなかった。神を偲ぶその毛一つすら。

 残してくれたのは、その名と思い出だけ・・・。


(それでも私はきっと忘れません、ジュール様。あなたと過ごした夢のような日々を)






 ゆっくりと目を開ける。そこには懐かしくも眩しい電灯があった。


「お帰り。といっても、私には三分もたっていないが、君達はどんな七日間だったかな?」


 岸田教授が楽しそうに話しかけてきた。


(教授? ・・・ああ、教授だ。どうして教授が?)


 譲は現在の状況が分からずに眉根を寄せた。


「ああ。すぐに考えなくていい。二人とも、落ち着いたら起きてきなさい。ちょうどコーヒーも出来た頃だ。君達が眠りについた時にセットしたものだがね」


 そう言って、岸田教授が部屋を出て行く。


(そうだった。俺は、過去のジャングルに・・・)


 あまりにも鮮明な内容にしばらく内容を反芻していた譲だったが、気を取り直して周囲を見ると、やはり同じような状況の静乃と目があった。


「どうだった、川原さん。俺、一生に一度の夢を見たって感じだった」


 静乃は白鷺だった筈だ。彼女は何の束縛も受けずに大空を飛んでいたことだろう。譲の心はあの小さな子供に繋がれてしまっていたけれど。


「そうね、私も。きっと、もう二度と見られない素敵な夢だったわ」


 静乃はとても満足そうな顔をしている。


(自分の牙と爪で生きた日々。あれは二度と見られない夢だ。生き物は生き物の命によって生かされている、・・・それを俺は学んだ)


 二人は顔を見合わせて笑いあった。


「さて、コーヒー、教授がくれるみたいだよ」

「そうね。行きましょうか」


漂ってくるコーヒーの香りが嬉しい。何と言っても、嗜好品なんてなかったのだから。

 どんな体験をしたのかといった質問はしてこなかったが、教授からは感想だけ訊かれた。二人がとても満足したと言うと、岸田教授は嬉しそうに笑った。






 除夜の鐘がテレビから流れてくる。

 自分で茹でた年越しそばを食べて、夜中だが譲は初詣に行くことにした。どうせご同様の人間で神社は溢れている筈だ。


「うー、さぶさぶ」


 今はもう毛皮もないし、どこまでも自分は無力な人間だ。だけど人間だからこそ祈ることができる。

 パンパンと手を打ちながら、譲は祈った。


(カナン、褐色の肌をした俺の小さなお姫様。君があれから幸せに生きたのでありますように)


 懐いてからはどこまでも全開の笑顔を向けてきた少女。

 あの笑顔が一生続いていたのだと俺は信じている。

 そう願い、星など見えぬ夜空を譲は見上げた。・・・ジャングルの夜空はどこまでも星が瞬いていた。だけどこの星など見えぬ空が譲の生きる世界だ。


(ああ、本当に。二度と見られない夢だったな、あの生命に満ちた世界は)


 そんな譲の姿は、大勢の参拝客の中にそのまま紛れて消えていった。少女への祈りだけを残して。


 ジャングルに住む人間は気配に(さと)い。ましてや前例のない巫女の周囲ともなると。

 人の姿になった譲の声は、眠っていた巫女の世話をする人間にも聞こえていた。


『昨夜は神様がおいでになっていた様子です』


 だが、神の訪れを邪魔することなどできない。朝になって、もういいだろうと巫女の元へと顔を出した彼女達は、静かに涙を流す巫女の姿だけを認めた。


『巫女様。神様が訪れていらしたようですが・・・』

『ええ。けれども二度といらっしゃらないわ』

『何故。巫女様からお願いしたならば、きっと・・・』


 そう言い募ろうとする人々を巫女は制した。


『神はお優しいお方。巫女候補があたら命を落とすことを嘆かれて私の前にお姿を現してくださっただけ。今後は、生き残るのとは違う巫女の選抜をするように。・・・それが神のご意思です』


 彼らは一斉に平伏した。

 巫女となったキアナンがまず成し遂げたのは、その巫女に対する生き残り選抜方法の撤回だった。





「おばあちゃん、おばあちゃん。どうもジューリが巫女になりそうだぜ」


 そう孫息子が嬉しそうに言いながら、家へと戻ってきた。


「まあ、そうなの? ふふ、凄いわ。今日はお祝いしなくちゃね」


 かつて偉大なる巫女とされたキアナンは、そう嬉しそうに微笑んだ。巫女は一定期間が終わればただの人へと戻る。

 キアナンもまた、巫女から普通の娘へと戻ってからは、知り合った男と結婚し、子供をもうけた。

 ジューリというのは、キアナンが名付けた孫娘の名前だ。変わった名前なので、皆には首を傾げられたが、その元となった名前を、そしてその名に込めた自分の想いを、キアナンが語ることはなかった。

今では巫女はくじ引きで選ばれる。


(ジュール様。・・・あれから長い年月が過ぎました)


 今なら分かる。自分が神の花嫁に選ばれたのではなく、ただ神は小さな自分を慈しんでくれたのだと。

 ただの娘となり、そして夫と知り合い、そして愛し愛され、自分の勘違いに気づいた。神の自分を見る優しい目は、巫女を男として愛していたのではなく、小さな子供に向けるものだったのだと。


(それでも私は今もあなたをお慕いしております)


 神が望んだのは自分の幸せだったのだろうと理解してからは、キアナンは幸せになろうと決めた。だから夫を、子供を、そして周囲の人たちを愛した。特に小さな子供達を、優しく慈しんだ。

 それこそが神に返せる自分の愛だと思ったから。

 それゆえに、慈悲溢れる巫女として余計に彼女は尊ばれた。


(年老いた私を、あなたは分かってくださるでしょうか)


 夫も亡くなり、いずれ自分も寿命を迎えるだろう。それでも死ぬのは怖くない。

 死の国で、白い肌をした背の高い神が迎えてくれるのであれば。

 興奮している孫息子は、他の家族へもジューリが巫女になりそうだと伝えに行ったようだ。クスッとキアナンは少女のように笑った。


(ジューリ。あなたの名前は誰よりも素晴らしいお方からいただいたものなのよ)


 巫女を退いた自分だが、今はただ祈ろう。


―――ジュール様。私の生き方が、あなたの想いにふさわしいものでありましたように。


 自分の祈りが神に届くことを信じて。 

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