3 白き肌の神様
複数の人がやってくる気配がした。獣ではあり得ない話し声、そしてカチャカチャという身につけた物がたてる物音。
(何だ? 敵か? 味方か?)
獣の姿に影響されたのか、日頃は飄々としている譲が、いささか好戦的になっていた。普段なら、敵か味方か、などといった考え方はしない。人とはまず平和的にお付き合いするものだからである。
しかし、現在の譲は朝から自分に心を許して何かと話しかけてくる少女に同情していた。
(こんなに必死に俺に話しかけてくるだなんて、・・・よほど寂しかったんだな)
その証拠に、譲が身動きする度に、「どこか行ってしまうの?」と言わんばかりの悲しそうな不安そうな表情をするのだ。
さすがの譲も放っておけない気持ちになっていた。
少なくともこんな幼い女の子を一人で放置しておくなど、まともな大人のすることではない。伝染病などにかかっていて隔離しておかねばならないという理由もなさそうだ。
それは義憤とも言えただろう。
『神獣様。どうしたの?』
それまでのんびりと寝転がっていた譲が前足と顔を起こして警戒したような様子になったからだろう。少女がそう質問してきた。
少女の頬に鼻をコツンと触れ合わせてから、譲はそのまま警戒を続けた。
やがて少女の近づいてくる人々の気配に気づく。
『あ。神官様達だわ』
人の気配に気づいた少女があまり怯えていないどころか、少し嬉しそうな様子だったので、譲は敵ではなさそうだと判断した。
(じゃあ、どうしてこんな所にいるのかね)
少女は梯子を取り出して降りていく用意をしている。
『神獣様もどうぞ』
少女が自分を手招いているのは分かったが、譲は無視して寝るフリをした。諦めて少女は降りていく。譲はそこで鷲に変化して小窓から外の木へと飛び移った。
『変わりはないか?』
『は、はい』
男達の前で少女が何かを答えている。どうやら男達は少女よりも偉いらしい。
『ならば良い。・・・努めよ』
男達はそのまま去ろうとしていた。そこへ少女が声を掛ける。
『あのっ、神官様っ』
『何だ?』
『あの・・・、神様とはどんなお姿をなさっていらっしゃるのでしょう?』
『何故そんなことを訊く?』
『・・・賢い大きな獣に会ったのです。もしかしたら獣の神様なのではないかと』
そこで男達がどよめく。
『獣の神? それは吉兆か?』
『いや。単に賢い獣だっただけかもしれん。・・・その獣は?』
『は、はい。今、小屋の中に・・・』
まず男の一人が梯子を昇って小屋へと入った。続いて昇ってきた少女に不思議そうに問いかける。
『何もおらぬではないか』
『え? そんな筈は・・・。だって、そんな・・・』
『夢でも見たのだろう。こういう時にはよくあることだ。・・・だが、この肉はどうした? お前が?』
『いえ。その獣が持ってきてくれたのです』
『ふむ・・・』
その男は焼かれた肉片を手に取った。どう見ても人の仕業だ。そう言えば、この野原に枝を焼いた跡があった。・・・自分達ならあんな無駄な焼き方はしない。自分達が知らぬ部族の人間でも関わっているのだろうか。
『何にしてもお前はお前の勤めを果たすが良い』
そして男達は帰っていった。
その様子を見ながら、譲は思った。
(特に敵意をあの子に向けているわけでもない。最後には頭も撫でていたしな。・・・なら、どうしてこんな所に置き去りにするんだ?)
わけ分からんなぁと思いつつ、鷲の姿をした譲は大きく欠伸をした。
少女が自分を探していたのは気づいていたが、それは小屋の中を探し回っているだけだったので、譲はそのまま鷲の姿で一眠りしていた。
昨夜はあまり寝ていないし、どうせ自分は数日後にはいなくなる。
それならばと思ったのだ。あまり懐かせてしまってもまずいだろう。
(さて、眠って目も冴えたし、果物でもとってきてやるか)
小窓から見えた少女が泣いているのが見えたが、ずっと自分は傍にいてやれるわけではない。心を鬼にして、果物を取ってきては、少女が小屋の周囲を見ている隙に小屋の中へと置いてやった。
『どこに行っちゃったんだろう、神獣様。・・・もしかして私が神官様達に話しちゃったから怒っちゃったの?』
それでも少女は小屋を離れて探しに行く勇気はなかった。その間に獣が戻ってくるかもしれないと思ったのだ。
そしてもう一度小屋の中に戻った少女は、更に増えていた果物にびっくりすることになる。
『・・・神様。ああ、なんてことなんでしょう』
嬉しそうに果物を頬張る少女を確認した後で、譲はライオンの姿に戻り、枯れ枝を探しに行った。
(やっぱ生木はいかんよ。煙が凄すぎる。枯れ木じゃないとな)
少女が小屋の中で、獣を思って溜め息をついている間、その獣は小屋の外で枯れ枝をせっせと積み上げていた。
外を眺めればすぐに分かったことだっただろうが、膝を抱えて顔を埋めている少女は全く気づいていなかった。
人とは学習する生き物である。
小屋から勝手に持ち出した布で腰を覆い、譲はやはり勝手に持ち出した壺などで、色々と改善を行っていた。日中、鷲になって気づいたのだが、海が近くにあったのだ。そうなると海水を汲んでくれば塩味もそれなりにつくではないか。
(人間とは知恵のある猿なのだ)
少女の為に始めたことだったのだろうが、譲は目的を見失って自分がどこまで出来るかといったことに挑戦し始めていた。
(干す、それは人間が生み出した食べ物の知恵。干物、それは日本人のソウル・フードの一つだ)
ここで誰かがいれば、「魚の干物と、肉の干物は違うんじゃないか」とコメントしただろう。しかし、ハイなテンションになっている譲を止める人間も、つっこむ人間も、そこには存在していなかった。
『神獣様。やはり夢だったのかしら。だけど・・・毎日お肉と果物が増えていくもの。夢じゃないわ。なのにどうしてお姿を見せてくれないの』
少女は気づいていなかったが、小屋の屋根から高い木々の枝までの間に、出来はかなり荒いがそこらに生えていた蔓が網のように渡されており、そこで塩で洗われた薄切り肉が干されていた。
それを夜、腰に布を巻きつけた男が火で炙り、干し肉を作っていることも、ぐっすり眠っている少女は気づいていなかったのである。
が、しかし。
それに気づいている人間がいないわけではなかった。
『おお、やはり。あれは神』
『何という白い肌。なんという背の高きお姿。あれこそが神の姿に違いあるまい』
小屋に住む少女の異変に気づいた神官達は、少女の小屋に続く道を閉鎖して、誰も近づけないようにしていた。
なぜならばこれは一人で最後まで生き抜いた者を巫女とする儀式なのである。誰かが食べ物を渡していたなど、それは儀式をないがしろにしているものでしかない。
そんな神官達は、真夜中に火が燃えている気配に気づいた。
それこそ大事な儀式の邪魔をした人間を捕らえてくれようと意気込んだ彼らが見たのは、火に照らされながら肉を炙る、自分達のような黒褐色の肌とは全く違う白い肌、そして自分達よりもはるかに細く、そして背の高い男だったのである。
『なんと、今まで見たこともないような白い肌ではないか』
『あんなにも背の高い人間がいるのだろうか』
『神であれば当然のこと。なんと素晴らしきお姿ではないか』
勿論、神の邪魔をするなど人には許されないことである。神官達は黙って遠くから見守った。譲にしてもライオンならば人の気配に気づいたことだろう。しかし人間の姿では気づきようがなかった。
何よりも、彼らの視力は譲などよりもはるかに良かったのである。
しかし調子に乗った譲のブイブイがいつまでも続くわけではなかった。
少女だって馬鹿ではない。寝ている間に肉が増えるのだから。
『神、様・・・?』
見覚えのある布を腰に巻きつけた白い肌の男が小屋に入ってくるのを認め、少女は声を掛けた。
(なんて白い肌をなさってるのかしら。しかもとても背が高いわ。それになんて細身なのかしら)
少女がいる部族の人間は押しなべて褐色の肌をしている。しかも男の身長は大体160センチメートルしかない。しかもずんぐりとした体形である。
180センチメートル以上ある譲など、考えられないぐらいに背が高く見えた。
(・・・やべえ。俺、今、かなりやべえ)
譲は譲で、焦って動きが止まってしまった。どう誤魔化すべきなんだろう。静かに動いていたつもりが起こしてしまったらしい。
譲は少女を凝視せずにはいられなかった。その眼差しを、少女は自分を慈しむかのように見てくれているのだと思った。なぜなら、この環境で生きている少女の部族はどれも目つきがきつく鋭かったからだ。平和な日本に生まれ育った譲の瞳は、あくまで穏やかで包み込む優しさに満ちているかのように見えた。
『こんな私の為にどこまでも・・・。感謝申し上げます、神様』
「悪いけど俺のことは忘れてくれっ。見なかったことにっ。・・・そうっ、これは夢、夢なんだっ」
『申し訳ありません、神様。神様の国のお言葉は私のようなものになど分かりませぬ』
「えっと・・・それ、平伏って奴? じゃあ、分かったって意味? そうだよね、分かってくれるよね?」
『この度の恩寵、決して忘れはいたしませぬ』
「目を閉じてくれてるってことは、見なかったことにしてくれるって意味だよね。じゃっ、俺、行くからっ」
どこまでも通じていない会話を残して、譲はさっとフクロウの姿になると窓から飛び去った。
そんな彼の姿を少女はじっと見つめていた。
(さすがは神様だわ。大きな茶色い獣になるかと思えば鳥にまでお姿を変えられる。これはきちんと神官様にもご報告申し上げなくては)
神官達は、その夜も譲が小屋へと肉の干物を持って運ぶのを見ていた。そのまま譲が出てこなかったので、朝になってから恐る恐る少女へのご機嫌伺いといったことにして訪れてみた。
『まあ、神官様。今日はお早いのですね』
『う、うむ。ところで小屋の中にはどなたがおいでだ?』
『・・・現在は誰もいません』
そこで神官達が小屋の中に入ると、そこにはたしかに誰もいなかった。
しかし白い肌の神らしき男がそこに入って行ったのは皆が確認している。そして小屋には肉がしっかりと置かれていた。
『この肉は・・・』
『はい。白き肌をなさった尊きお方より頂戴しました』
『なんと。やはりか。で、そのお方はどこに?』
『窓より鳥のお姿へと変化なさり、飛び立たれました』
神官達はどよめき、そのまま神殿に戻った。
『これで巫女は決まりだ』
『その通り。なんと素晴らしきことか』
『だが、規定通りの日数は過ごさせねばならぬ』
『しかし、こうなった以上は必要ないのではないか』
話し合いは紛糾した。
一方。
日中、譲を恋しがって小屋の外に出てしくしくと泣く少女の気配に観念した譲は、再びライオンの姿になっていた。
『神獣様っ』
喜んで飛びついてきた少女に、譲も(ま、いいか)と思うことにした。さすがに泣かれ続けると心が痛い。
どうせしばらくの果物と肉は確保した。ならば、この少女がすぐに飢え死にすることはあるまい。
(あ。だけど水は汲みに行かなきゃな)
それは少女も思っていたらしい。水を入れている壺を持ち出してきたので、譲は少女に何度も足の下に頭をくぐらせようとすることで、「乗れ」を伝えようとした。
『もしかして、・・・私に乗れとおっしゃっているのですか、神獣様?』
恐々とライオンの背中に乗った少女だったが、それでもライオンが気分を悪くすることもなく移動していくのだから、やがては慣れる。
清水が流れる所まで譲が連れて行ってくれたので、少女は喜んで水を汲み、帰りもライオンの背中に跨った。
(なんてことでしょう)
ごわごわとした毛皮は決して乗り心地がいいわけではない。それでも少女はとても幸せだった。
『あら。ちょっとここに毛玉ができてるわ。神獣様。ここ、切り取りますね』
少女を脚の間に挟んで寝転がっていた譲は、自分の体を撫でていた少女が毛玉発見したことに気づく。
(ありゃ? 何だ、毛玉取りしてくれるのか? まあ、別にいいけど)
そんな譲の毛玉を少女は大切そうに仕舞っていた。
(俺の毛玉、どうする気だ? 貯めていって、その内、クッションの中身にするとか?)
そう思いつつも、どうでもよかったので、譲はそのまま少女と遊ぶことにした。
花の蜜を嬉しそうに吸う少女は、それを譲にもと思ったらしいが、ライオンの大きな口では花など丸呑みだ。
『神獣様のお口では蜜は吸えないのですね』
楽しそうに少女が笑う。花は美味しくも不味くもなかったが、少女が笑ってくれるならいいかと譲は思った。
『私、幸せです・・・』
それまでの恐怖に満ちていた生活が嘘のように、こんな日々がずっと続いてくれればいいのにと、少女は思い始めていた。




