世界の秘境から
オーシャン・ビューの空撮。海面が陽光を反射してきらめく。碧空を映した水面に、波頭が巻雲のようにたなびく。沖から浅瀬へ緑のグラデーションが続き、波間に透かし見える鮮やかな珊瑚が彩りを添える。
(※映像はオーストラリア・グレートバリアリーフのはめ込み合成)
テロップ
「本番組は プロ野球日本シリーズ第七戦【ベイスターズ×ホークス】 放映時間の延長により番組途中までのお届けとなります。」
ナレーション
「ここは南アジア大陸最南端、イカッロイダ・ビーチの遙か沖二百キロに浮かぶメンフク諸島。サファイアを溶かしたような美しい海に囲まれた、熱帯に位置する珊瑚礁の島々です。」
(※ここから録画映像)
群島のうち一つの島にクローズアップする。島の中央は急峻な山がちになり、海岸線以外はほとんど原生林に覆われている。その密林を割って、濃い赤色の長大な尖塔が幾つも聳え立っている。燃えるような赤色は煉瓦の色に由来する。島の煉瓦産業を支える煉瓦焼きの煙突は、それ自身もまた煉瓦によって築かれている。
ナレーション
「この群島にはほかには見られない、ある独自の文化を持った人々が暮らしています。彼らの名はデルヒ・オカ族。地元の言葉で【泳ぐ者】を意味する彼らは、名に負う通り、島を囲む美しい海とともに生きてきました。」
ナレーション
「今回の放送では、我々の想像を超えた魅力的な文化をもつこの一族の生活を、ある特別な儀式を追うことによってお伝えしたいと思います。」
ぽつぽつと足跡が並ぶ砂州の波打ち際で、十代半ばの少年が棒を手に砂浜を掘り返している。日に焼けた浅黒い肌と短い黒髪。まつ毛が長く黒目がちな瞳。現地人の特徴をよく有した少年の、着古しの半袖シャツと膝丈ズボンはところどころ裾がほつれている。素足を引き波が洗う。
ナレーション
「海岸線の全周約五キロメートル。人口およそ六百人。東京ドーム二十個分ほどの、群島でも小さい部類のコジネ島。真昼の島の海岸で、地元の少年が探しものをしていました。」
少年の手が止まると、砂の中からおおぶりの巻き貝が現れる。波打ち際に生息するその貝は、反時計回りに渦を巻いた棘のない種だ。少年は棒を捨てると巻き貝を拾いあげる。木の棒は波にさらわれ、やがて波間に沈んで見えなくなる。
ナレーション
「デルヒ・オカ族の少年です。彼の名はオイオワ。島の言葉で、強い波という意味です。」
オイオワは海辺に背を向け、島の中央、密林に覆われた高地へ歩いてゆく。梢の下にのびる道は煉瓦で舗装されている。歩きながらなれた手つきで貝の中身をえぐり出し、殻をポケットに入れ、中身を路傍に投げ捨てる。舞いおりてきた派手な毛色の鳥が貝の身をかっさらう。鳥は悠然と飛び去り、この島ではよくある光景なのだろうとわかる。
ナレーション
「生真面目で働き者のオイオワは、ある特別な儀式のために綺麗な貝殻を探していました。火婚と呼ばれるその儀式は、島民が最も神聖視している祭事です。」
赤い石畳の登り坂の両脇には、半ば森にうずもれるように煉瓦造りの平屋が並ぶ。少年は道の中央を駆けあがる。平屋の多くが、壁が無く吹き抜けの構造になっており、むき出しの土の床が見える。屋根の下では島の男たちが土をこね合わせている姿がある。男たちは外を行く少年に気づいて手を振る。少年は足を止め、笑って手を振り返す。
ナレーション
「古来より続くその儀式は、島の主産業、煉瓦の生産に端を発していると言われています。コジネ島は島の中央にそびえる山から良質の粘土を産出し、その粘土から水漏れしない丈夫な煉瓦を作り、周囲の部族と交易をしながら暮らしてきました。その過程で、日干し煉瓦を作るための陽光と、焼き煉瓦を作るための火に感謝を捧げる祭事が生まれたのです。」
標高が高くなると平屋の作業場は姿を消し、簡易の屋根付きの露店が立ち並ぶ通りに出る。軒先には粘土の屑が積まれ、屑の山にもたれるように土焼きの看板が掲げられている。少年の足がある露店の前で止まる。看板には果物が描かれている。
少年は果実を指して店番の老婆に声をかける。老婆の手に数枚の硬貨を乗せると、まだ青いマンゴーの実が手渡される。
ナレーション
「二十年に一度しか執り行われないこの儀式は、コジネ島の住人すべてが参加すると言われるほどです。その儀式でオイオワはある重要な役を任されていました。」
果物屋に続いて、テナガザルの看板を掲げた肉屋、ハマユウの看板を掲げた薬草花屋、カモメの羽の看板を掲げた楽器屋、針と糸の看板を掲げた仕立て屋へ、オイオワは立ち寄る。道行く人や店主はだんだん装いを華美にしてゆく少年の姿を認めると、声をかけたり肩をたたいたりする。少年はやはり屈託のない笑顔で応える。
ナレーション
「集落の仲間から祝福を受け、彼は着古しから伝統的な民族衣装に姿を変えました。果物を頭飾りに差し、生肉を足首に巻き、巻き貝の首飾りを下げ、花を懐の水筒に漬け、脇に竪琴を抱えた姿で、彼はどこへ向かうのでしょうか。」
コジネ島中央にそびえる小高い山塊の標高はおよそ二百メートル。山頂へ続く道の周囲の森は切り拓かれ、視界は良い。少年は中腹の辺りで道を折れ、森の開けた広場に居を構えた煉瓦屋敷へと入っていく。中は薄暗く、仕切りの奥から読経のような声が聞こえてくる。上がり口から二三歩進んだところで短く叫んで、少年はその場にひれ伏せる。民族衣装が土間に擦れる。
ナレーション
「オイオワが訪ねたのは島のまじない師の屋敷でした。彼はこれから担う祭事の役目の一つとして、まじない師の言葉を受けにきたのです。」
仕切りがよけられ、奥から全身を布でくるんだ小柄な人物が現れる。藍で染めた布の間から目が覗く。わずかに見える肌の色は白く、目の色も薄い。
ナレーション
「彼女はコジネ島で二番目に重要な地位を占めるまじない師の一族です。オイオワは彼女に敬意を表すために恭順の礼をとっているのです。」
まじない師の外見は、一般的な島民と異なる血筋を受け継いでいることを示している。まじない師の血族は身体に布を巻き、島民は顔を伏せ、異相を目にしないようにする。
だが恐れ知らずの年若い少年は顔を上げる。
――引き受けたのか。強き波。
(通訳)立ちなさい、オイオワ。
まじない師は少年を立ち上がらせ、壁にペイントされている絵を指して話しだす。煉瓦の壁に描き殴られたそれは古代の壁画ではない。
オリジナルの由来は古いが、雨のたびに水を吸った煉瓦が壁画の色を落とすので、その時々の島民が手なりで復元をしている。解説のように添えられた言葉も現地語以外の、アルファベットの綴りが混じる。
――白人かぶれめ。横文字が観光客やメディアにばれたら興ざめだろうに。
(通訳)これは祭事の様子を表した絵です。オイオワ、しかと頼みましたよ。
――逆に親切では? 知りたがりのくせに幻想を抱きたがる輩には、良い薬でしょう。
(通訳)きっとやり遂げます。まじない師さま。
ナレーション
「島民の長の家系の女性は、ある精神状態のとき、他部族には見られない特殊な様相を身体に顕すと伝えられています。火婚はその精神状態を人為的に作り出すための祭事なのです。まじない師はこれから本番に臨むオイオワに、火婚の段取りを説明しているのです。」
入り口に近い位置の壁には、着飾った島民の男が、島民の女に花を差し出している様子が描かれている。やや奥に進んだ位置には、足を絡ませあう男女の壁画。その隣は、女の頭が火につつまれ、男が杯に火を受けている壁画。
ナレーション
「彼女たちは、頭に血がのぼったときに顔から火を出すという神秘の種族特性があるのです。もちろん人体に害のない炎です。」
最奥の壁画には、輝く杯と島民たちが踊る姿がある。まじない師は一つ一つ絵を指し示す。少年は生真面目な表情を浮かべて説明を聞き流している。
――こんな野蛮な儀式もうやめたほうがいい。なぜ引き受けた、強き波よ。
(通訳)誠意を以って心を捧げるのです、オイオワ。
――良い客引きだからですよ。今日も一組メディアが来ています。それに、壁画のような野蛮なことにはなりません。彼女は俺に惚れていますから触れずともイチコロです。
(通訳)はい、まじない師さま。島民の誇りにかけて。
――その下品なものいい、誰から聞いたんだ……。
(通訳)よく努めたまえ。
説明を終え、まじない師が少年を館から送り出す。
拓けた台地の先端に立ち、少年は坂下の集落を見下ろしている。視線は木々に埋もれる集落を越えて海岸線へ向かう。光る海と、密林の端から姿を覗かせる赤い尖塔が見える。この島を支えてきた象徴が。
ナレーション
「古来より煉瓦を焼いて生計を立ててきた彼らにとって、日と火は神聖で欠かすことのできないものです。日光は太陽から、そして炎は木々を燃やすことで得られます。どちらも自然から人間へもたらされる恵み。火婚とは二十年に一度、与えられる側から与える側へ、煙の混じらない光と炎を大自然へ返すための儀式なのです。」
尖塔は煉瓦焼きの煙突だ。煉瓦製造の施設は海岸沿いに円弧を描いて建造されている。
煉瓦を作るには、まず山で取れた粘土を下層の作業場で捏ねて成型する。それを海沿いの日当たりの良い平地に運んで積みあげる。ここが円弧の中央にあたる。そこから西海岸に添って四つ、東海岸にそってまた四つの作業場がある。それぞれの作業場では、積み、乾燥、火入れと焼き、冷却、船を待つための完成品の置き場という工程が、順繰りに回されている。分業をこなす男たちは西へ東へ、自分が担当する工程の作業場へ必要なときに向かう。完全なライン作業によって島の煉瓦は絶えず生産される。女たちは男たちの為にそれ以外の全てをこなす。魚を取り、子を育て、食事を作り、商売をし出稼ぎに行く。
男は島を囲う円を描く。女は外へ続く線を描く。何百年も続いてきた風景だ。
今日も太陽が天を回る。雲が吹き流れる。潮が満ちる。日没の鐘が鳴り、島に夜の帳がおりる。煉瓦の家々から祭事の開始を待つ島民が姿を見せ始める。島民たちは松明を手に、島の頂上、儀式の場へと向かっていく。
少年はまじない師の屋敷の前に立ち、森へと消えていく炎の列を見ている。
かすかな興奮と反抗が、ひねくれた少年の胸に灯る。
ナレーション
「儀式に選ばれた血族の女性は、炎の娘と呼ばれます。歴代の炎の娘たちは、二十年に一度の祭事で確実に炎を出すように、念入りにしつけられます。一方、炎の導き手と呼ばれる相手役は、島のどこにでもいる普通の男性です。オイオワもまた島の一般的な少年です。しかし、彼には他の島民と異なる点がありました。彼はこのたび儀式に選ばれた炎の娘から想いを寄せられていたのです。島民にとって、炎の導き手となることはこの上ない名誉とされています。」
日が完全に落ち切ったところで少年もまた松明の群れに加わる。坂を登りはじめるが、頂上の広場まであと少しというところで突然民族衣装の袖を引かれ、近くの藪に引き込まれる。
ナレーション
「ところが事件は起きます。」
足がもつれて下草に尻もちをつく。頭飾りから青いマンゴーが転げ落ちる。少年を藪に連れ込んだまじない師は、焦った様子で少年の腕をとり、引きずるように立ち上がらせる。儀式の場へ向かうための本道を避け、迂回するように斜面を登っていく。
ナレーション
「オイオワを呼びにきたのは、先ほどのまじない師でした。しかし火婚にこのような段取りはありません。なにか想定外の出来事が起きてしまったようです。」
――なにごとですか。まじない師さまは上にいたのでは?
(通訳)なにごとですか。まじない師さまは上にいたのでは?
――まずいことになった。炎の娘に、イルカの目が手を出した。
(通訳)大変です。炎の娘に、イタンテ・メダが触れてしまったのです。
――ああ。あのイルカの目脂?
(通訳)炎の娘はどうなったのです。
――軽口を言っている場合か! 純情な炎の娘は燃えてしまった。ふざけるな、クソったれの、軟派野郎が!
(通訳)もう炎は出ないかもしれません。なんということでしょう!
ナレーション
「まじない師が言うには、なんと、炎の娘を既に熱くさせた者がいたというのです。男の名はイタンテ・メダ。島の言葉でイルカの瞳という意味です。彼はオイオワより三つ年上の煉瓦焼きの青年で、以前から炎の娘のことを憎からず思っており、とうとう今夜、一族の禁を破ってしまったのでした。うぶな炎の娘は、遠くから姿を見つめ想像だけで恋をしていたオイオワではなく、情熱的な生身の煉瓦焼きの青年に燃えあがってしまったというのです。」
藪の中で島の有力者たちが合流してくる。少年とまじない師を囲み次々に状況を伝える。どの話も曰く、炎の娘はもう無理だという内容ばかりで、まじない師が力なく首を振る。頂上を目指していた足どりが鈍る。
ナレーション
「島民たちが知らせを持ってきますが、状況は最悪です。炎の娘がそのような状態では、たとえ生真面目なオイオワが着飾り、甘い言葉を尽くしても、もはや彼女に顔から火が出るような恥ずかしさを与えることはできないというのです。今から代役を探す時間もありません。しかし何も知らない島民は、頂上で儀式の開始を今か今かと待っています。」
――待て。歳食ってるが、こいつも血族じゃなかったか。
(通訳)落ちつくのだオイオワ。まだ希望はある。
ナレーション
「これまでかと思われたそのとき。島民の一人がある事実に気がつきました。」
――まじない師よ、おまえは炎の娘の遠縁だったな。その肌と目はあれだが、血族に変わりはあるまい。パパッと光と炎くらい出してみろ。陰気臭い布を四六時中巻きおって。どうせ男も知らんのだろう。
(通訳)まじない師の一族も、元をたどれば長の家系に連なる。炎の娘として代役もこなせるはずだ。ことは一刻を争う。祭事の為だ。頼まれてくれ。
――こんなガキ相手に赤面できるか。私は二十五だぞ。これを機に止めればいいのだ、こんな野蛮な、あ、何をする!
(通訳)それしか方法がないならば。役目を果たしてみせます。さあ行きましょう!
わめくまじない師の反論も聞かずにその手をとって、少年はもう一度藪の中を駆けだす。藪の中を走り抜けて、儀式の場が見えてくる。頂上まで遡行した勢いのまま、二人は舞台に躍りあがる。主役の登場で、炎の娘と導き手の到着を待ちわびていた島民たちが沸く。次いで炎の娘があの美少女でなく年のいった普通の女であることに首を傾げたが、色白だしまあいいかとすぐ陽気に騒ぎ出す。
ナレーション
「走るうちにまじない師を包む神秘のヴェールさえ取れていました。健気なまじない師の素顔は、うら若き美しい娘の顔でした。彼女の手を取り、オイオワが決意の言葉を述べます。」
――これも祭事の為。あなたに同情はしますが、私情は殺して必ず炎を導いてみせます。まずは息を落ちつけて。
(通訳)二人の力で儀式を成功させましょう。さあ、息を落ちつけて。
――勝手なことを。そもそも私はおまえのことを好いていない。どうするつもりだ。
(通訳)ありがとうございます、オイオワ。
少年は懐から竹の水筒を取り出して、戸惑うまじない師に含ませる。白い喉が上下し、麗しい嚥下を見届けると、少年は水筒に沈んでいた白い花をつまみ上げ、まじない師の髪にさし込む。壁画の通りに甲斐甲斐しく世話を焼く姿に島民はさらに沸いた。
ナレーション
「待ちうける情熱の予感に、島民たちのボルテージが否応なしに高まっていきます。いよいよ火婚のはじまりです。」
少年はまじない師の前に跪くと、竪琴をかき鳴らしながら澄んだ美しい声で歌いはじめる。
まじない師は固い顔のまま歌を聞いている。
少年は歌をやめ立ち上がる。並ぶとまじない師よりも背が高い。まじない師の周りを上機嫌の猫のように回る。不意に触れて耳元で囁く。
――儀式は成功します、必ず。先ほどの水、あの花は即効性の下剤です。衆目の前で大変でしょうが、一時の恥です、まじない師さま。
(通訳)大丈夫。あなたは美しい。ぼくに全てをゆだねて。
――このクソガキ……!
(通訳)ああ、オイオワ!
ナレーション
「これほど情熱的で神秘的な儀式は世界のどこにも存在しないでしょう。我々は今、その世界で唯一の、感動的な瞬間を目撃しようとしているのです。」
まじない師の額に大粒の汗が浮かび、顔色は一度真っ赤になったあと、徐々に青白くなる。息が荒くなる。膝が震える。緊張にわななく女体に、少年は遠慮のない愛撫を施した。少年の手が下腹部に触れる。まじない師の額から噴きだした汗がくびすじに滴り胸元に滑る。ついにまじない師の頬の周りの空気が揺らぎ始める。気づいた島民が次々に歓喜の声を上げる。
……その顔が戸惑いに変わる。
鼻に手をやるか迷った様子で隣の者と肘をつつきあう。
少年は素知らぬ顔で神秘の炎を受けるための盃を用意しはじめる。
ナレーション
「ご覧ください。シュリーレン現象です。夏の暑い日に自動車の上にもやがたちのぼる現象を御存知でしょうか。これは温度によって空気の密度が変わり屈折率の変化で生じるもので、陽炎という現象としても広く、」
テロップ
「本番組は プロ野球日本シリーズ第七戦【ベイスターズ×ホークス】放映時間の延長により番組途中までのお届けとなります。再放送は九月七日(日)二十三時十五分の予定です。」