海を見ながら
きれいな海が見たかった。
沖縄に行くことを決めた理由は、それだけだったような気がする。
人にはそれぞれ向き不向きというものがある。住む場所も同じ。住めば都とは言うけれど、自分に合う場所がきっとある。
南国の穏やかな空気の下で暮らして感じた何物にも代えがたい充足感。休みはほとんどなく、給料は高校生のバイト代程度。だけど、毎日がとても楽しい。恋をする心の余裕も生まれた。
南の島の夏の終わりの物語。
密かな恋心と友との別れ。
当たり前だと思っていた親の愛情。
やさしい仲間がいてくれたから。
本当に大切なものはなに?
第一章
へーちゃんとクミちゃん
其の一
『海はすごい』
へーちゃんの
へーは、
へへへーの
へー。
右手を後ろにまわし、
頭をかきながら、
へーちゃんは、
いつも笑っている。
へーちゃんの一日は、台所の洗い物から始まる。
へーちゃんが住み込みで働いている島風では、毎晩のように宴会が開かれ、真夜中まで続く。その後片付けをするのが、へーちゃんの朝の日課なのだ。
へーちゃんはお皿を洗うときもニコニコしている。スポンジとブラシにいっぱい泡をつけ、シャカシャカ、キュッキュッー♪ とリズミカルな音をたてながら、次々に食器やグラスを洗っていく。
洗い物が済んだら、今度は朝食の支度をする。メニューはいつもだいたい同じ。ごはんにみそ汁、そして目玉焼き。卵焼きを作ることもある。そのときは、フライパンでスパムも焼いて、ポーク卵にする。
野菜は前の晩の残り物。古ぼけた冷蔵庫の中には、たいていゴーヤーやナーベーラーの炒め物が入っているので、それをレンジでチンして一緒に食べる。なにもないときは、オクラやモヤシをお鍋で茹でて、マヨネーズとしょう油をかけて食べたりもする。
朝ごはんができたら、お盆にのせてゆんたく(おしゃべり)場に持っていく。ゆんたく場は外にあるから、目の前の海がよく見える。
へーちゃんは必ずここで食事をする。海を眺めていると、ついつい食べることを忘れてしまう。海はすごいな~、といつも思う。
其の二
『朝の時間』
「へーちゃん、おはよう」
振り返ると、クミちゃんが立っていた。
「また海を見てたの。飽きもせず。へーちゃん、本当に名護の海が好きなんだね。フフ」
頭をかきながらやさしく微笑み、一度頷いただけですぐに向き直り、再びじーっと海を見つめ始めたへーちゃんの姿がなんだかおかしくて、クミちゃんは楽しそうに声を出して笑った。そして、へーちゃんの横にちょこんと座った。
クミちゃんは、へーちゃんと並んで海を見つめながら過ごす、朝のこの時間が好きだった。へーちゃんは、ぼーっと海を眺めているだけで、ほとんどなにも話さない。だけど、不思議なことに、その静かに流れる時間がとても心地よかった。東京でOLをしていたときは、間があくことを恐れ、いつもなにか話さなきゃ、と焦ってばかりいたのに。
静寂は心地いい。そのことがわかっただけでも、クミちゃんは沖縄に来た意味があったような気がしていた。
其の三
『海が見たい』
クミちゃんは今からちょうど一年前、沖縄に秋の訪れを告げるミーニシ(新北風)が吹き始めた頃、ぶらりと島風にやって来た。ネットで検索し、沖縄本島の北部にも千五百円で泊まれる安宿があることを知り、なんの気なしに訪ねて来たのだ。
(もう一年か。なんか、あっという間だったな。まるで夢見てるみたいに)
海を見ていると、いろんな記憶がよみがえってくる。頬を撫でる風があまりに心地よく、眠りに落ちそうになりながら、クミちゃんは沖縄にやって来た頃の自分の姿を思い起こしていた。
(きれいな海が見たかった)
沖縄に行くことを決めた理由は、それだけだったような気がする。
高校の修学旅行で初めて訪れた沖縄。そのときに目にした本部の海。キラキラに輝く水面。一瞬で魅せられてしまった。あまりに眩しくて、その日は一睡もできないくらい興奮した。
海はすごい。すべてを受け入れ、やさしく包み込んでくれる。
その想いは、今も少しも変わらない。
其の四
『もっと知りたい』
「ねー、へーちゃん」
答えが返ってこないことはわかっているけれど、クミちゃんはときどき、へーちゃんに話しかけてみる。
「ずっと沖縄で暮らすつもりなの?」
へーちゃんの心の中を、ちょっと覗いてみたくなる。
(もしかして、へーちゃんに恋してる?)
そう自分に問いかけることもある。その答えは……。
自分でもよくわからない。ただ、へーちゃんのことをもっと知りたいと思っていることは、たしかだ。
沖縄で出会った多くの人たちのことを思い出しながら書きました。
生きるのは楽しい。でも、けっこう大変。つらいこともかなりある。だけど、やっぱり…。
そんな感じで、最終的にニッコリ笑えていただけたら幸いです。




