007
午後十時。有安虎太郎と倉崎和仁が大分市内にある高級料亭を訪れる。
その料亭は完全会員製。倉崎和仁は店の前にいる黒いスーツを着た男に会員証を見せる。
「個室は開いているかね」
「倉崎様。大丈夫ですよ」
二人は店のドアを開け、二人を個室に案内する。個室は和室になっていて、畳が六畳ほど敷き詰められている。
二人が席に座ると、間もなくして店員がお茶を持って現れる。
有安虎太郎は湯呑に入れられたお茶を一口飲み、目の前に座る倉崎和仁に聞く。
「さすが警察庁の幹部ですね。こんな高そうな店で夕食ですか」
「この店では日常的に政治家が密会する。店員の口は堅いし、店自体が完全会員製だから変なルポライターも出入りできない。もちろん俺の奢りだ。ということで本題に入ろうか。まずは優香について聞く。優香のことをどう思うのか。父親として聞きたい」
倉崎和仁の思いがけない質問を聞き、有安虎太郎の顔が赤くなる。
「ただの幼馴染。それ以上の何者でもない。そんなことを聞くために政治家が密会することが多い料亭に誘ったのか」
「警察庁幹部と二人きりで食事するから、緊張しただろう。だから緊張を解そうとした。本当はアカトリ事件の新事実を伝えようと思った」
アカトリ事件。有安虎太郎の父親が銃殺された九年前の未解決事件。有安虎太郎は父親を殺した犯人を追うために警察官になろうとしている。
虎太郎はアカトリ事件と聞き目を見開く。
「アカトリ事件について何かが分かったのか」
「アカトリ事件の容疑者が判明。物凄い進展でしょう」
「本当か」
「聞いたことがあるだろう。退屈な天使たち。最近東京で活動を再開した危険なテロ組織で公安が構成員の一人をマークしている。その組織のメンバーの一人にアカトリエルという奴がいる。ダイイングメッセージはアカトリエル。偶然だと思うか」
アカトリエル。有安の父親の最期の言葉。その言葉を聞くと虎太郎の心から怒りが込み上がる。
「アカトリエル。そいつが父さんを殺した。容疑者が特定できたんだったら逮捕しろ」
有安虎太郎は興奮しながら倉崎和仁に聞く。だが倉崎和仁は首を横に振った。
「アカトリエルの性別や素性は不明。さらにあのテロ組織がアカトリ事件に関与していることを裏付ける証拠もない。だから逮捕できない」
「容疑者が特定されただけかよ」
「それだけではない。アカトリエルが事件に関与していると仮定すれば、最大の謎が浮上する。なぜ普通のルポライター有安伸介は最近まで公安の捜査員たちが知らなかったアカトリエルという存在を知っていたのか」
倉崎和仁が疑問点を指摘すると、有安虎太郎も疑問を口にする。
「なぜ父さんはアカトリエルに殺されなければならなかったのか。それも分からないだろう」
「いや。その謎は分かっている。退屈な天使たちのメンバーが殺人を実行する動機は、その人物が組織の目的を達成するために不必要な存在だったから。彼らは自分たちの活動を邪魔する人間を平気で殺害する」
倉崎和仁の言葉を聞き、有安虎太郎が激怒する。
「許さない。自分たちのテロ活動を邪魔したから父さんを殺した。それが犯行動機だとしたら許せない」
「そうだな。この謎を解くために、警察庁は有安伸介とアカトリエルが繋がっているとみて捜査を続けている。だからもう一度君の自宅に手がかりが隠されていなかったかを探してくれ。家宅捜索令状は発行できないから、被害者遺族の君に頼むしかない」
倉崎和仁が頭を下げると有安虎太郎は思いがけない言葉を和仁に告げる。
「もう一つ手がかりがある。アカトリ事件が発生した当時不審な自動車が現場を走り去っただろう。最近その自動車の助手席から南野朱里が降りたところが目撃された。突飛な発想かもしれないが、あの自動車の運転手と南野朱里、アカトリエルの三人は退屈な天使たちのメンバーではないか。もちろんアカトリエルの正体が南野朱里という可能性も否定できない」
有安の根拠がない推理を聞き倉崎和仁は顎に手を置く。
「証拠はないが面白い推理だ。退屈な天使たちのメンバーが西日本で暗躍を開始したという情報もある。仮に南野先生が彼らの仲間だとしたら無理しない方が良い。奴らは組織の活動にとって邪魔な人間を暗殺する。足を踏み入れすぎたら殺される。そのことを忘れるな」
倉崎和仁は有安虎太郎に釘を打つ。それから数分の沈黙が流れ、個室に豪華な懐石料理が運ばれた。




