022
吉永マミは須藤涼風の指示を受け再び院長室に戻る。その後ろ姿を見ながら有安と三浦は須藤の顔を見る。
「こっちは容疑者を特定できている」
有安が唐突に須藤に話しかけた。一方の須藤は失笑した。
「容疑者ってまさか第一の事件の遺体の第一発見者高橋秋彦のことじゃないよね。彼には鉄壁のアリバイがあるから犯行は不可能。まアリバイトリックがあるとしたら話は別ですが」
「違う。第一容疑者は女医の日野公子先生。勝部院長の死亡推定時刻がいつなのかは分からないが、彼女は午後十一時二十分を過ぎた辺りから様子がおかしくなった。右足に血が付着していると言ったら慌てていたし、何かを隠している様子だった。あの時の日野先生は文字通りの挙動不審」
有安の言葉に続くように三浦が一枚の写真を見せながら須藤に説明する。
「第二の容疑者は元看護士の長崎彩。三年前退職した看護師で現在行方不明。おまけに昨日の交通事故で第一の被害者矢部雄一と接触している。高橋秋彦と長崎彩は当時付き合っていたという情報もあることから、そこから犯行動機が浮かび上がる可能性もある」
有安と三浦の報告が終わると須藤涼風の携帯電話が振動を始めた。彼女が携帯電話を開くとメールが届いていた。そのメールを開いた須藤警部はメールの文面を読む。そして頬を緩ませた。
「第三の容疑者は春木智明巡査部長。院長室のノートパソコンに表示された春木光男という外科医の名前を鳴滝本部長に調べてもらったら、春木智明の兄の名前と同一だということが分かりました。犯行動機は三年前の医療ミスが原因で亡くなった兄の復讐。彼は矢部雄一の交通事故の現場に駆け付け彼が比留川病院に行くことを知った。メスさえ入手すれば犯行は容易だったと思います」
有安は捜査線上に浮上した三人の容疑者の名前をメモ帳に書き込み、須藤涼風の顔を見る。
「容疑者はその三人に高橋秋彦を加えた四人。その四人全員が三年前の医療ミスに関わった可能性がある」
有安の言葉に続くように須藤涼風が口を開く。
「それだけではありません。この情報はあなたたちには伝えていませんが、第一の被害者矢部雄一は一か月前に合計二億円もの大金を得ることができる破格外な身辺調査の依頼を請け負ったそうです。その調査絡みの動機かもしれませんよ」
須藤涼風の報告を聞き有安の脳裏に矢部雄一が倉崎和仁に一億円もの小切手を渡した様子が浮かぶ。
「それは本当か。依頼料は二億円なのか」
有安が強い口調で須藤に聞くと彼女は首を横に振る。
「正確には依頼料が一億円。さらに調査報告書を依頼人に渡したらボーナスとしてさらに一億円。合計二億円という意味ですよ」
「なるほど。これで一つの謎が解けた。なぜただの探偵である矢部雄一の財布から一億円の小切手が出てきたのか。あの一億円もの小切手は規格外な依頼料だった。その一億円を交通事故の示談金として利用したとしたら納得できる」
有安の推理を聞き三浦が首を傾げる。
「それはおかしい。二億円もの大金が手に入るのに、一億円もの大金を他人に渡すことなんて普通はあり得ないだろう」
「そうでしょうか」
三浦の意見を須藤が否定する。
「どういうことだ」
「被害者の知人に聞いたことですが、矢部雄一は去年宝くじを買い五千万円を当てたそうです。その五千万円を困っている児童養護施設に寄付したそうなんですよ。この理屈だと交通事故に巻き込んだ被害者のことを思い財布から依頼料として受け取った一億円の小切手が飛び出してもおかしくない。矢部雄一は調査報告書を提出した時に貰うはずだったもう一枚の一億円の小切手だけで十分ということでしょう」
三浦は須藤の言い分に違和感を覚えた。彼は右手を挙げ須藤涼風に聞く。
「須藤警部。一つだけ教えてくれ。なぜ受け取るはずだった一億円の小切手が存在すると言える。既にもう一枚の小切手は受け取った後かもしれないだろう」
「それはあり得ません。報告を受けたでしょう。矢部雄一探偵事務所が何者かに荒らされたって。何かの調査報告書を盗もうとした犯人が存在すると仮定すれば、もう一枚の小切手は受け取っていないということになります。まだ確証はないから断言はできませんが」
須藤涼風が推理の解説をすると有安虎太郎が手を挙げた。
「その規格外な身辺調査を依頼した人物ならすぐに分かると思う。問題の小切手は倉崎和仁が所持しているからな。小切手には振出人という欄がある。そこには差出人の名前が書きこまれている。それを見れば誰が依頼人なのかが分かるかもしれない」
「その倉崎和仁はどこにいるのでしょうか」
「ちょっと待ってくれ」
有安が携帯電話を取り出しながら呟く。彼は倉崎優香の自宅に電話する。
その電話はワンコールで繋がった。
『もしもし。倉崎です』
その声は倉崎和仁の物だった。
「倉崎和仁さん。今自宅にいるのか」
『そうだ』
「因みにこれからどこかに出かけることはないのか」
『そろそろ優香の見舞いに出かけようと思ったところだった』
「それは良かった。二十分くらいでそっちに行くから一歩も動かないでくれ。話がある」
有安が電話を切り、須藤涼風に報告する。
「やっぱり自宅にいた」
「そうでしたか。それなら私と一緒に行きませんか。もちろん三浦刑事も一緒に。三人で倉崎家に向かいましょう。車に乗せます」
有安と三浦は須藤涼風の態度の急変に戸惑いながら彼女と行動を共にする。




