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午前十一時二十分。患者の診察を終えた日野公子はエレベーターから降り、待合スペースのソファーに座っている三浦たちの元に駆け寄った。日野公子の長ズボンの裾が少し捲れて右足に赤い何かが付着している。有安はそれを見逃さなかった。
「お待たせしました」
日野公子は集合写真を三浦に渡す。三浦は有安から渡された携帯電話の画面に映し出された女の写真と集合写真に映っている女の顔を見比べる。すると日野公子は一人の女の顔を指さした。
「長崎彩さんです」
日野公子が指さした女の顔と有安の携帯電話の画面に表示された女の顔は似ている。
有安と三浦が確認を済ませると、日野公子は二人から離れようとする。しかしその直後有安が日野公子に声をかけた。
「日野先生。気になることがある」
「何でしょう」
「微かだが先生から血の匂いがするのだが、この十五分間の間写真を探す過程で怪我を負ったのか」
「実はそうなんですよ」
「それはおかしいな。見た所どこにもカット版が貼っていないようだが、どこを怪我した。先生の服装は白い長袖の白衣に白い長ズボン。これで腕や太ももが隠れるから怪我を負うはずがない。この服装で怪我を負うとしたら手の指だがどこにもカット版を張っていない。それはなぜか」
「鼻血です。ここに来る直前に鼻血が出ました。今は止まっています。これで満足ですか」
「つまり日野先生はここに来る直前にトイレで手を洗ったということか。鼻血を止めるにはどうやっても血が自分の指に付着するからな。それを落とすためにトイレで手を洗う。だが右足にも血が付着しているようだが、それはどう説明する」
日野公子は自分の犯行が見破られないか心配になりつつ冷静に笑顔を作り有安へお礼を述べる。
「あら。気が付きませんでした。いつ怪我したのか分かりません。教えていただきありがとうございます」
日野公子は有安と三浦に会釈して彼らから離れた。有安虎太郎は彼女の後姿を見ながら三浦良夫に話しかける。
「どう思う。怪しいと思わないか」
「何かを隠しているのは分かった。容疑者としてマークした方が良いと須藤警部に伝える」
午前十一時五分。日野公子は第三診察室の中にある洗面所で右足に付着した勝部の返り血を洗い流す。
「さっきの会話で大分県警捜査一課の刑事が私を容疑者としてマークするかもしれない。でも大丈夫ですよ。証拠もなければ犯行動機も不明。それで不起訴になって完全犯罪は成立するから」
日野公子は小声で呟く。その自白とも取れる声が周囲に聞こえないように。




