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この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
平成二十五年六月七日。午後六時。黒雲に包まれた空から雨が落ちる。雨が次第に強くなっている。
雨の街を一人の黒いセミロングな髪型の女子高生が傘を指して歩いている。彼女の名前は倉崎優香。天王洲高校に通う高校一年生である。
彼女は食材を詰め込んだエコバッグを肩に担ぎ帰路を歩いている。今日は東京に単身赴任している彼女の父親が帰ってくる日。彼女は友達との遊びに帰り道に、ご馳走の材料を購入するお使いを命じられた。
しばらく歩いた彼女は、横断歩道の前で立ち止まる。倉崎優香の目の前にある信号機は赤。この信号機を渡って三分歩いた先に彼女の自宅がある。交差点となっている道路を多くの会社帰りの自動車が走る。
三十秒後信号機が青に変わった。倉崎優香が横断歩道を渡るため一歩踏み出した時、悲劇が起こる。
突然一台の赤色の自動車が彼女の体に向かって突進してきた。倉崎優香の体は数メートル飛ばされ、交差点の中に落ちる。
自動車を運転する黒い髪を七三分けにした若い男は、自動車を道端に止め、轢いてしまった女子高生に駆け寄る。女子高生の右膝から血液が流れる。倉崎優香は自動車に轢かれたことによる痛みから、気を失っている。瞳が閉じられ仰向けに倒れている倉崎の近くに、買い物をした食材と傘が散乱している。
「大丈夫か。今救急車と警察を呼ぶから」
女子高生を轢いた黒いスーツを着ている男は女子高生の体を交通の妨げにならない場所に運び、彼女の心拍数を図る。
男の周りには多くの野次馬たちが集まっている。その中にいる二人が男の指示に従って警察と救急車を要請するための電話をかけている。
この野次馬の最前列にいた一人の女が手を挙げながら男の元に歩み寄る。漆黒の艶のある長い髪と右の頬に小さな黒子がある女が事故を起こした男に聞く。
「心拍数は。呼吸は安定しているのかな」
「心拍数は正常だ。呼吸はこの大雨で掻き消されているようで、上手く聞き取れない」
女は女子高生に近づき、彼女の肺を観察する。
「大丈夫。呼吸も正常。残る問題は二つ。右膝の出血と大雨」
女は右肩に担いでいる鞄のファスナーを開け、包帯を取り出す。彼女は事故を起こした男に包帯を手渡す。
「これで右膝の怪我を止血して。それくらいできるでしょう。こっちはもう一つの問題を解決するから」
「もう一つの問題」
男が首を傾げると、女は立ち上がり、野次馬たちの服装を観察する。女は早口で男に説明する。
「この大雨で要救助者の体温が下がる。そうなれば事態は急変する。本当は毛布が良いんだけど、この近くには布団店がない。この近くには住宅街があるから、そこで毛布を調達することもできる。だけどそれでは時間がかかり過ぎる」
女は全速力でどこかに向かって走る。それから一分後、女は事故現場に戻ってくる。彼女が手にしているコンビニのレジ袋には、大量のレインコートが入っていた。
女が戻ってくる間、男は包帯を用い右膝の怪我を止血した。女はレジ袋に詰め込まれたレインコートを歩道にばら撒く。
「毛布の代替品としてコンビニでレインコートを買ってきた。これを要救助者に掛けて、体温保持を行う。野次馬の皆さん。歩道にばら撒いたレインコートの包装を破って、女子高生の体に掛けてください」
女の指示を聞き、野次馬たちはレインコートを拾い上げ、女子高生の体にそれを掛けていく。
その直後事故現場に一台のパトカーが駆け付ける。そのパトカーから警察官の制服を着た黒い短い髪の男が降り、警察手帳を見せながら野次馬たちに聞く。
「大分県警の交通課に勤務する春木智明です。交通事故を起こしたのは誰ですか」
春木の質問を聞き、男が手を挙げる。
「俺だ。この大雨で視界が悪くて、この女子高生を見逃してしまった」
事情聴取の間も野次馬と女の手によって倉崎優香の体にレインコートが掛けられる。
春木智明はその様子を横眼で見ながら、男に聞く。
「その時の信号はどうでしたか」
「赤だったよ。女子高生が渡ろうとした信号が青だった」
警察官は記録用紙に書き込みながら、男を叱る。
「信号無視ですよ。おまけに人身事故。立派な犯罪ではありませんか」
「すみません」
男が謝ると、一台の救急車が停車した。車内から救急隊員たちが降り、女子高生の体を搬送する。
担架に乗せられた女子高生を見ながら男は警官に聞く。
「悪いが、俺も救急車に乗っていいか。親御さんに謝らなければならない。事情聴取は病院でやってもいいだろう。俺は逃げも隠れもしないから、頼む。それと親御さんへの連絡も頼む。警察官が連絡した方が説得力あるだろう。俺がやったらイタズラだと思われるかもしれない」
春木智明は男の熱意に負けて、首を縦に振ることしかできなかった。救急車に乗り込む男に警察官が聞く。
「すみません。あなたの名前と住所を教えていだだけませんか」
男はスーツのポケットから名刺入れを取り出す。
「矢部探偵事務所の矢部雄一。名刺に勤務先と自宅の住所が書いてあるだろう」
矢部は春木智明に名刺を渡し、救急車に乗り込む。間もなくして救急車がサイレンを鳴らしながら病院に向かい走り出した。




