3.二日目
べ、べつに『ダイスと踊れ』で詰まったから、こっちを書き進めたんじゃないんだからね!!
3.二日目
翌日、部室に顔を出したら先輩が腕まくりして頭に三角巾をつけていた。
「あっ! りょうちゃん。ちょうど良かった」
そう言いながら先輩は本棚の上を指差した。
何年間もまともな部員数が集まらず、ずっと放置されてきた部室の本棚の上はそれはもうたくさんの埃が何重もの層を成して積もっていた。
「あそこまで手が届かなくてさ!」
「はぁ」
「りょうちゃん。頼んだ!」
「あのー。どうしていきなり掃除なんですか?」
僕は本棚に目を向けたまま尋ねた。
目の前にいる女性――ユカさん――は僕の一個上の先輩であり、現在家出中でこのジャーナリズム研究部の部室に寝泊まりしている困った人でもある。そして僕自身はそのジャーナリズム研究会の二人目にしてユカさんを除けば唯一の部員である。
先輩は埃叩きを振りながら言った。
「いやー。昨日、ここで寝てたらさー、私の枕もとを、その、黒い彗星が、カサカサーっと……ね」
「先輩。まさか――」
「いやいや! 私だって嘘だと思いたいよ! でも、現実なの! 紛れもないリアルなの! 黒光りする『ヤツ』はサササーっと私の布団を横切って棚の裏側に消えていったけど、もう怖くて怖くて……」
ユカさんはぎゅっと胸の前で両手を握りしめた。
心なしか目も潤んでいるように見える。まあ、たしかに夜中一人でいるときにゴキブリと対面したら怖い。怖いというか気持ち悪い。女の子なら、そりゃもう人一倍だろう。しかもこの部屋には殺虫剤などないのだ。
「そのとき、私、決意したの……。絶対に『ヤツ』が現れないくらい、この部屋をきれいにしてやる!ってね。だから、りょうちゃんも手伝って! というか来るのが遅かったじゃない! もっと早めに来てよね!」
埃叩きを振り回しながら先輩は目を吊り上げて怒った。
「あの、そんな汚いもの振り回さないでくださいよ」
「ヤダ! 早く手伝え!」
そういうと同時に先輩はぐいと埃叩きを突き付けてきた。
埃叩きからそっと目を逸らしつつ、僕は改めて室内を見渡した。どこにも来客の痕跡は見られない。つまり、昨日僕がここを出て行ってから、おそらく先輩はずっと一人だったのだろう。少しくらい横柄には目を瞑ってあげよう。
「はいはい……」
僕は苦笑いを浮かべつつ、埃叩きを受け取った。
その反応を見て、先輩がちょっと悔しそうに口を曲げたのがおもしろかった。
「りょうちゃん。覚えときなよ……」
「で、できるだけお手柔らかにお願いします」
内心冷や汗をかきながら僕は本棚の上をパタパタ叩いた。
大量の埃が室内で舞い上がり、その光景を下で眺めていた先輩が溜まらずクシュンとくしゃみした。ああ、そういえば窓を開けてなかったか。僕は一旦叩きを止めて、窓を開けにかかった。
それから僕たちは一時間近くかけてみっちり掃除した。
天井付近の高い場所は僕が、机とか床とか、低い場所はユカさんが担当した。部室がきれいになったところで僕たちはようやく一息ついた。時間はそろそろ日が傾いてきた十六時前。僕は持ってきた荷物を広げて寝袋を取り出した。
「ほら。先輩」
「んー? ああ。そういえば、昨日、そんな話もしたっけね?」
「ばっちりしてましたよ! というか、今日、僕はそのために顔出したんですけど」
「ふーん……」
先輩のとぼけた表情が妙に腹が立つ。
腹が立つけど、僕は拗ねたような口答えしかできなかった。
向い合せに置かれたシステムデスクの向こうから先輩の腕がにょきりと伸びて、さりげなく僕の手を撫でてから、何事もなかったように寝袋をかっさらっていった。驚いて先輩の顔を見つめると、いたずら小僧みたいに舌を出していた。
「あいがと」
「その表情で言うセリフですか……」
そうツッコミつつ、先輩の姿の前に、僕の感じた小さな怒りも溶けてなくなってしまった。
我ながら安い男だと思う。
将来、ユカさんみたいな女性に振り回されないためにも、高校の時からしっかり対処法を身につけておかなければ……。そう思いながらも、心の底ではユカさんに振り回されない方法なんて果たして見つかるのだろうかと心配したりしている。
先輩は僕の心配など知る由もなく、澄ました顔で口を開いた。
「あのさ。明日はMP3を持ってきてよ」
「今度はMP3ですか?」
「夜ヒマなんだよー。りょうちゃんは体験したことないから想像できないかも知れないけど、夜は電気つけられないから真っ暗だし、誰もいないし、静かにしてなきゃいけないし。音楽がないと淋しくて死んじゃうかも……」
「先輩。それならここに泊まった最初の日に死んでません?」
「りょうちゃんお願い! MP3持ってきて!」
先輩は僕のツッコミを無視して身を乗り出し、机の向こうからガシッと僕の肩を掴んだ。目は子犬のように潤んでいたけど、これは間違いなく演技だろう……演技と分かっていても多少動揺してしまう自分が情けない。
「先輩。僕もそう都合よく使っていないMP3を持ち合わせていたりはしませんよ?」
「大丈夫! 一台あれば十分だから!」
「イヤですよ! どうせ僕にMP3ナシで過ごせって言うつもりでしょう? 流石にいくら温厚でお人よしな僕でも他人に何日も音楽プレイヤー預けたくありませんって! それに、ええと、ほら! 僕のMP3に入っている曲はそもそも僕のオリジナルセレクトなワケでして、先輩の耳に合うかどうか分からないじゃないですかっ!」
僕は先輩の腕を掴み返しながら反論した。
クラスの女子ならここらへんで、僕の本気度を察して引いてくれる。しかし、ユカさんはそんじょそこらの女子とは一肌違う。持ち前のずうずうしさと無神経を振りかざして、さらに力強く僕の肩に指を食い込ませた。
「い・い・か・ら・貸・し・な・さ・い・よ」
「痛い痛い痛い! 暴力反対! 先輩、落ち着いてください!」
「へ・ん・じ・は?」
目鼻の先まで接近してきたユカさんの目は恐ろしいほどピタリと据わっていた。
「はっ、はい! 喜んで献上します!」
「よろしい」
先輩は満足げに頷いてから腕から力を抜いた。
こちらとしては文句のひとつも言ってやりたいところだけど、肩の痛み(とそれに関連して植えつけられた恐怖心)がまだ残っていてロクな抗議もできなかった。一方ユカさんのほうは軽い調子で「ああそういえば」と手を打ってから、電子ジャーの鉄釜を片手に部室から出て行った。
「まったく……」
部室にひとり残された僕は溜息を吐いた。
たぶんユカさんはお米を研ぎに行ったのだろう。六時には寝るとか言っていたから、そろそろ夕飯の準備にとりかかる時間か……それにしても、やっぱりユカさんはおかしな生活をしている。ひどく不安定で、いつ終わるやも知れぬ家出生活……。
――誰かが支えてあげないと。
僕はのろのろと立ち上がりながら呟いた。
「まったく。お米も持たずに釜だけ持って行って、どうするつもりなんだか」
ユカさんはおっちょこちょいだ。
誰かが隣りについてないと不安で仕方ない。これは手助けなんだ。少しもやましい気持ちはない。僕は自分にそう言い聞かせながら床に置いてあった米袋を掴んだ。
最初からこーゆー先輩が書きたかったんです!
元気でかわいい。でもどっか抜けてる。
いやー、それ、カンペキじゃないですかー!!(笑)
次回はいつになることやら。