脳内フォルダー説
「ほんとに?」信じられない言葉に、僕は座椅子を動かした。そして彼に体を向けて「それを今ここで、証明できるか?」と念を押した。
「もちろんだよ」自信満々の声でそう言ったPは、その前にいくつか質問がある。と言った。
「今、お前は、どんなパソコンを使っているんだ」
質問の趣旨は分からなかったが、こんなとき彼は、絶対に無駄な質問はしない。
「十年位前のデスクトップ」僕は素直に答えた。
「OSは?」
「ウインドウズ、XP」
少し間があって、次の質問。「ハードディスクは、いくつ?」
「二つ。システム用が、80ギガ。データー保存用が、250ギガ」
「了解」Pはにこっと笑った。「ソフトは、映像用だけ?」
「いや」僕は首を振った。「結構入っている。映像取り込みから、パッケージ印刷までが七つ」と言ったところで、映像会社設立の夢が破綻した日のことを思い出した。「その他に、会計ソフトと顧客管理に関するやつが、いくつかあったと思う」
「なるほど」Pは満足したような表情を浮かべた。「つまり、データー用ディスクには、何種類かのフォルダーがあるわけだな」
「長いこと開いていないけど、ソフトをインストールしたとき、作ったはずだから、今でも残っていると思う」僕はそこで、疑問を口にした。「俺の頭の中と、デスクトップの間に、何か繋がりがあるのか?」
「さあ、どうだろう」笑いながら答えたPは、視線をテーブルのノートパソコンに移すと、スタートボタンをクリックして、メニューを開いて、コンピューターの文字をクリックした。
子画面が開き「ローカルデスク」「DVD RW ドライブ」「SD」の文字がアイコンと共に現れた。
「このパソコンのデータは、全部これに入れてある」Pはカーソルを、SDの上に持っていった。「動画は入れないから、32ギガのSDカード一枚で十分」
そこでダブルクリックすると、17インチの画面の左上に、フォルダーが二つだけ現れた。『23区』と『その他』
「分かりやすいのは、こっちだな」独り言のように言ったPは『23区』を開いた。
土地や建物に関する資料がでて来るのかと思ったが、またもやフォルダーだった。足立区から目黒区まで、あいうえお順に並んでいた。
Pは何も言わずに、そのままマウスをクリックした。現れたのは、地名のついたフォルダー。池上、大森があるところを見ると、大田区のフォルダーを開いたらしい。
「さて、次は、どこを開こうか」
Pはしばらく画面を見つめたあとで言った。でも迷っているような様子はなかった。何かを楽しんでいるような感じがした。
そう言えばPの実家、田園調布も大田区。
クソオヤジの跡は、絶対に継がない。
そんな捨て台詞を残して、家を飛び出したのが、高校二年の夏だったらしいが、勿体ないにもほどがある。
彼の家に一度だけ行ったことがある。家と言うより屋敷。敷地だけでも三百坪あるらしい。あの辺りの地価は、どれくらいするのだろう。
そんなことを考えていたから、Pがどの地区のフォルダーを開いたのか分からなかった。気がつくと、十数個のフォルダーが並んでいた。
どこまで行っても、フォルダーしか出てこないんじゃないのか、と言おうとした時、Pが僕に顔を向けた。「どれが見たい?」
フォルダー内に静止画が保存されているのなら、絶対に『女』もしくは『美』の文字がついたものが、いくつかあるはず。
画面に視線を走らせてみたが、見当たらなかった。
公園。空き地。エレベーター無しは、彼の仕事がらみ。後継者無しも、高架下も、そうかもしれない。興味をそそるファイル名は、何一つなかったが、とりあえず「後継者無し」と答えて、様子をみることにした。
クリックと同時に、画面一杯に切手サイズの静止画が現れた。
「じゃあ、これにしよう」Pは右上の静止画を拡大した。
三階建ての古い建物だった。シャッターが降りていたが、そこが美容院だったことは、看板で分かった。静止画の下には、撮影日、住所、敷地面積が記されていた。
「この界隈で三代続いた有名店なんだ。でも、先代を介護している最中に、本人が腰を痛めて、戦意喪失。店を閉めたのは、子供がいなかったから。でも、財産はある。どこか静かな場所で余生を送りたいと言っているんだ」
個人情報の売買を取り扱った特集番組を見たことを思い出した。
「この手の情報は、金で買うのか?」
「会社が仕入れる情報の中には、そういったやつもある」Pはそこで胸を反らした。「でも、この中のものは、俺達のチームが独自で集めたものばかりなんだ」
「チームってことは、お前を含めた6人、ということだな」
「そう、俺を入れて6人」と答えたPは、何を思ったのか、小さくウインクして「なあ」と言った。「6人という数字に、違和感を覚えないか?」
違和感?
考えてみたが、何も思いつかなかった。
「別に」
素っ気なく答えたつもりはなかったが、Pはがっかりしたような表情を浮かべた。
「ほら」
Pはメモ用紙に、二つの文字を書いて、僕に手渡した。
荒野。侍。
映画好きなら、誰でも即答できる問題だったが、知らない振りをした。
「全然分からない」
Pは、横目で僕を睨んで言った。
「個人の能力を互いに引き出すには、7人の集団が一番らしい」
Pは時々、自分にとって都合の良いでたらめを口にすることがある。でも、相手を傷つけない配慮があるから、言われた方は悪い気はしない。言葉の最後が、らしい、となるところにも、彼の特長が出ている。
しかし、僕はその話をスルーすることにした。パソコン画面の右隅にある時刻が目に入ったからだ。
「もうすぐ日付が変わるぞ。そろそろ、俺の中の俺について、説明してくれてもいいんじゃないのかな?」
「ああ、そうだったな」Pは軽い声でそう言うと『その他』のフォルダーをローカルディスクに移動させたあと、SDカードの『その他』のフォルダーを削除してから「これが、お前の脳の状態に近い」と言った。
「これが?」
と言って、パソコン場面に残った『23区』のフォルダーを眺めてみたが、自分の脳の内部はもちろん、Pの言葉の意味を理解することもできなかった。




