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最上級のおもてなし

 会長以外の人間が「迎賓館」と呼ぶその施設は、会長室の隣にある部屋のことだった。

「時間があるときは、大抵向こうで過ごすようにしております」会長は部屋の隅に顔を向けてから、僕に視線を戻した。「お呼びするまで少々時間がかかるかもしれませんが、よろしいでしょうか」

 それを聞くとPは、すっくと起ち上がって、僕の後ろに回った。そして僕の肩に手を置いて「では、我々は向こうで待っています」と言った。

 そう、僕とPは、一緒に招待してもらえることになったのだ。

 でも、僕が自分の意見を押し通したからではない。会長自身が、それを望んでいたからだ。僕が思っていたように、僕と二人っきりだと、会話が弾まないどころか、話そのものが始まらないと思ったのだろう。

 招待客用の入り口は、会長室を出た左側。長い廊下の突き当たりを曲がったところにあった。

「ここ数年、このドアは一度も開いていない」Pが足を止めたのは、彫刻が施された高級感溢れるドアの前だった。丹念に磨き上がられた金色に輝く取っ手に、目をやりながら訊いてみた。

「このドア一枚で、国産乗用車が買えるんじゃないのか?」

 もちろん冗談のつもりだった。だが、Pは真面目な顔でうなずいた。

「それ以上だと聞いたことがある。完全オーダーメード。防音防火。ハンマーで力一杯叩いても壊れない。内鍵を持っているのは会長一人。外からは、絶対に開かない仕組みになっているらしい」

 部屋の入り口からしてこの調子だと、期待は更に膨らむ。

「なあ」と僕は言った。「どんな部屋だと思う?」

 僕の予想は、あの豊臣秀吉を真似た黄金の茶室。だとすれば、今日の作務衣ともマッチする。それに、大金持ちは金色に輝くものを近くに置きたがるという話を聞いたことがある。

「そうだなあ」Pは、しばらく視線をあちこちに向けていたが「今日の場合、先入観抜きでいくよ」と答えた。

 

 カチリ、

 錠が開く音がした。会長の姿が見えた瞬間、僕たちは思わずのけぞってしまった。

 こちら側に開くと思っていたドアが、横にスライドしたからだ。

 僕たちの反応は、想定内だったらしく、会長は目を細めて僕たちを中に招き入れた。

「これは、遊び心で採用したわけではありません。指物師が図面を読み間違えたらしいんです。作り直させるのも可哀相だったので、そのまま使っていますが、今ではここの名物になっているようです」

 ドアの向こうは別世界。そう思っていたのだが、何もない六畳ほどの空間だった。昇降ボタンのないエレベーターの中。そんな言葉がぴったりだった。

 しかし、会長が「では、参りましょう」と言うと、自動的に後ろのドアが閉まり、しばらくすると、正面の壁が静かに左右に開き始めた。

 よくできたシステムだな、と感心した。これだと廊下から中を覗かれる心配がない。

 そんなことを考えながら、うす暗い前方に目を凝らした。

「え?」

 それ以上、何も言えなかった。たぶんPも、同じだったと思う。

 目の前にあったのは、広葉樹林。夕暮れ迫る山の中という感じだった。

「今は夕方の設定にしてあります。では、灯りをつけましょう」と会長が言うと、林の向こうに、一軒の家がシルエットとして浮かび上がった。

 自分の口が、半開きになったのが分かった。

「驚かれましたか?」

 会長が静かな声で訊ねた。

「あ、はい……」

 僕たちには、そう答えるのが精一杯だった。

 会長が向かったのは、その家。今にも崩れそうな、トタン屋根のあばら屋。土壁は半分くずれ落ちていた。

「足元に注意してください」

 会長の後について土間から上がった。茶色く変色した畳。障子はあるが紙はない。

「故郷を飛び出したころの我が家です。記憶を元に再現してみました。道楽と言われれば、そうかもしれません」

 苦笑いを浮かべた会長の顔に、深いしわを浮かび上がらせているのは、すすで真っ黒くなった天井で揺れる裸電球。 

「ここが、居間兼食堂です」

 自在鉤のある囲炉裏端に、僕たちを座らせた会長は「これから、我が家の最上級のおもてなしを致したいと思います」と言った。

 どんなサプライズが待っているのだろう。期待したが、その後に続いたのは「お茶とコーヒー、どちらがお好みですか」という平凡なものだった。

 その二つなら、どっちでもよかった。でも、一応考えてみた。

 なにしろ一代で億万長者になった人物。その人が口にした最高級のおもてなし。僕たちの常識をはるかに超えたサプライズが用意されているのだろう。

 お茶なら味。あるいは、会長のお手前を拝見というところ。でもコーヒーには、抽出方法だけでも色々なバリエーションがある。サイフォン、ドリップ、パーコレータ、エスプレッソマシン。

 ふと閃いた。

 会長は、そういったものの収集家としても名高い人。一つが数百万円もするようなサイフォンで淹れたコーヒーは、どんな味がするのだろう。勝手にそんなふうに思い込んだ僕は、少し大きめの声で「じゃあ、コーヒーをお願いします」と言った。

 すると、会長はにこっと笑った。そして「本当なら、囲炉裏に薪をくべてお湯を沸かしたいのですが」と言って、横に置いてあるミカン箱程度の箱の一つを開けた。「防災上の規制があるものですから、これを使っております」

 取りだしたのは、電子ジャーと、コーヒーカップと、ネスカフェ。

「でも当時は、このコーヒーではなく、国産を使っておりました」

 言い訳するように言った会長は、各カップに小さじでコーヒーをいれた。そして別の木箱から角砂糖と、中身が半分ほど入った小瓶を取りだした。

「クリープを入れないコーヒなんて、というコマーシャルをご存じですか?」

 そのコマーシャルは、ミスダツが撮りためていたビデオの中にあった。

 そういえば、ミスダツのお気に入りCMは、シルビーバルタンが歌ったレナウンのワンサカ娘だった。会長にそのCMを知っているかどうかを訊いてみようかと思ったが、やめた。そんな質問をしている間に、クリープと砂糖を入れられてしまいそうだったからだ。

「そのCMは授業中に見たことがあります。今も売っているみたいですが、買ったことはありません。僕は砂糖もいれないんです」

 暗に、ブラックコーヒーで願いしますと言ったつもりだったが、伝わらなかった。

「なるほど、価値観というものは、時代と共に変わっていくものですな。私が若かったころのご馳走といえば、甘い物を指していました。隠してあった白砂糖を舐めているところを見つかって、こっぴどく叱られたこともあります」

 と言いながら、会長はすべてのカップに、クリープと砂糖をたっぷり入れた。


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