パチン
一瞬、思考が止まったような感じがした。
こんな奇妙な話の設定は、僕には絶対に考えられないからだ。だけどPは、僕の口から出たと言った。
本当にそうだったのだろうか。しかも、話の中に、僕の記憶に関する重要な部分も含まれているらしい。
急に興味が沸いてきた。
その他に、どんな人物が登場するのだろう。話の展開は? 話を聞き終えた僕に訪れる変化は?
僕は、もう一度姿勢を直した。
「よし、いいぞ、話してくれ。そのちょんまげロボットの話を」
しかしPは、きっぱりと拒否した。
「それを言うと、お前に予断を与える事になる」
「ヨダン?」
「そうだ。お前の場合、先入観がない方が良い結果を生む、それにあの話も、粗筋以外の何ものでもなかった」
何を言っているのか分からなかった。特に、先入観と、あの話も、の「も」という部分だ。
それを質問すると、彼は「今に分かるよ」と言っただけだった。「じゃあ、粗筋だけでも」と食い下がると、口を結んだまま首を横に振った。
何かが違う。
そう思った。目の前のPが、いつもの彼ではないような気がしてきた。僕が知っている彼は、あっけらかんとした性格だった。僕をからかうことはあっても、隠し事なんかしたことはなかった。しかも、この話を持ち出してきたのは、彼の方からだった。
もしかすると、真正面から向き合っているからかもしれない。考えてみれば、十年ぶりの再会。羽田で会ったとき、僕たちは互いに照れていた。まだ昔のようには打ち解けていないのかもしれない。
僕は腰を回転させて、ソファに寝転んでから、天井に向かって質問した。
「良い結果って、どんなこと?」
Pも僕と同じように、ソファに寝転んだ。「断片話が、一本につながること」
「断片話?」
「さっきも言っただろう」Pはぶっきらぼうな声で言った。「お前が自分の記憶と交換してくるものだよ」
僕は少し間を置いてから「なるほど」と言った。ほんのわずかだが、話の筋が見えてきたような気がしたからだ。「でも本人の、この俺は、交換してきた断片話を覚えていないんだけど」
少し間があって、Pが言った。
「たぶんそれには、何らかの理由があるんだろうよ」
肩透かしを食らった気がした。
話が進むほどに、焦点がぼやけてくる。明確な答が用意されていると信じていた反動が出たのか、途切れ途切れの会話を続ける気がしなくなった。窓の向こうが更に明るくなっていた。徹夜だったことに気づいたとたん、あくびがでた。
「寝てしまうかも知れないけど、悪しからず」
僕は、足元のタオルケットを引っ張り上げた。
「了解」Pは明るい声で答えた。「じゃあ、ここからは、俺の独り言ということで」と言った後、急に黙った。そして、しばらくしてから、語りかけるような口調で続けた。「今、ふと思ったんだけど、さっき俺が言ったことは、間違いだったかもしれない」
最初から眠る気はなかった。彼の本音を、少しでも引き出したかっただけだ。
「どの部分?」目をぱっちり開けて訊いた。
「記憶と引き替えに、新しい何かを仕入れてくると言った、あれだよ」
体中の力が抜けたのが分かった。
先ほどまで姿勢を正して、Pを見つめていた自分が情けなかった。このまま寝ようと思った。三秒で眠る自信はあった。でも、遠路はるばるやってきた東京ですることではなさそうだ。
自分の感情が声に出ないように、ゆっくりとした声で言ってみた。
「俺には、それが、一番、重要な部分に、思えるんだけど」
「確かに、お前の言うとおり。でもな、よく考えてみると、俺は、完全に間違っていた」
返事次第で、おやすみ、と言うつもりだった。でも自分の誤りを素直に認めるPを見て、改めて彼の優しさに気づいた。
元々、問い詰める気なんてなかった。平らな地球から丸い地球へ。地動説から天動説に。長年信じられていたものが、とんでもない間違いだったということは、いくらでもある。先ほど本人も言っていた。彼は医者でもなければ専門家でもない。純粋に、僕のことを心配してくれているのだ。
「間違いに気づいた理由を、教えてもらえないかな」
感謝の気持ちを込めて、やわらかい口調で言うと、Pはすこし体を起こして、僕の方を向いた。
「たった今、気づいたんだ。お前の交換システムに関する答が出ていなかったことにな」
「俺のシステム?」
「そう、何ごとにもシステムが必要なんだ。ホテルの宿泊客を増やすためのシステム。その客をリピーターにさせるシステム。不動産の物件情報が自然と集まるシステム。俺は常にシステムを考える」
話が長くなりそうだった。僕は、頭の中を整理するつもりで訊ねた。
「つまり、物々交換云々というのは、何の裏付けもなかったというわけだな」
「そう、俺の直感。実を言うと、お前の交換システムのことを考えようとすると、頭の芯がジンジンしてきて、何も考えられない状態になっていたんだ」Pは、そこで言葉を切ってからつづけた。「でも、今、俺の頭に浮かんできたのは、感とは、まったく関係ない」
後の方は、明らかに声が高くなっていた。僕はテーブル越しに彼を見た。
「ということは、新しい方法で何かを思いついたっていうこと?」
「大当たり」
声のトーンは更に高くなった。僕のアパートだったら、絶対に隣から苦情がくる。
「えらい自信だな」
「そりゃそうさ。だって、こんどの奴は、俺が考えたものじゃないんだ」
ん?
違和感を覚えた。彼はこれまで、こんなものの言い方をしたことはなかった。僕は体を起こして訊ねた。
「まさか、神様から教えてもらった、なんて言うつもりじゃないだろうな?」
「いや」Pは、首を軽く横に振った。「俺は、神様を信じないんだ」
むかしと同じ答えに、ほっとした。
「じゃあ、誰が考えたんだ」
「それは、分からない。でも、俺が考えたんじゃないことは確かだ。だって、パチンと閃いたんだからな」
話の途中で、一瞬、彼の目が光ったような気がした。
「なるほど」
僕は、彼を眺めながら思った。
ひょっとすると、次の言葉が、記憶の謎を解明する手がかりになるかもしれない。
しかし、Pの頭の中で閃いたものは、僕を納得させるようなものではなかった。
「お前の中には、何人もの人間が隠れている」
まるで自分の目で見てきたように言った。呆れて物も言えない状況だったが、僕は応じた。
「つまり、俺のことを多重人格者だと言いたいんだな。俺の中にいるのは、ジキルとハイド。あるいは、善人と悪人」
「いや」Pは右手を上げて、左右に振った。「お前の場合、全員似たような性格だ。動物で言えば、草食動物の集まり。他人に危害を加えるようなことはしない。ただし、システムとしてみれば、致命的な欠陥がある」
話の中身は別にして、彼の頭の中には、明確なイメージができあがっているらしい。
毒を食らわば皿まで、と言うほどのものではないが、用意されているのなら、どんな料理なのか見てやろう。




