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Pの告白

 あの話、という言葉が耳に届くと同時に、僕はソファの上で姿勢を正して、Pに体を向けた。 

 これから、とても大事な話が始まる。このために東京までやって来た。

 本能的に、そう思ったからだ。

「何だよ急に、お前らしくもない」

 Pは照れたように笑った。だが、僕の真剣さが伝わったらしく、彼はしぶしぶという感じで、背筋を伸ばした。

「でも、その前に、言っておきたいことがある。俺は医者でもなければ、専門家でもない」そのあとPは、ニッと笑った。「だけど、お前のことを一番知っている」

 確かに彼の言うとおりだ。東京での二年間はもちろん、それ以後も、僕を見守っていてくれた。そのおかげで、僕は自分の知らない自分を知ることができる。

「結論を、先に言った方がいいかな?」Pはテーブル越しに身を乗り出した。

 僕としては、そのほうがありがたかった。

 Pの話の進め方には、独特のものがある。急な坂道を勢いよく転がるような話し方をするかと思えば、初心者が乗る一輪車のように、あっちによろよろ、こっちによろよろという場合もある。

 僕は頭の回転が鈍い。彼の話に着いていけなくなり、頭の中が飽和状態になったことは数知れない。夢と現実と妄想の区別が付かなくなった今、僕の脳は、長時間の思考停止状態に陥る恐れがある。

 と思う反面、この際、頭の中を、思いっきり引っかき回してもらいたいとも思った。

 ぬか床を腐らせないためには、時々手でかき混ぜる必要があるんだよ。祖母の言葉を思い出したからだ。

「お前に任せるよ」

「了解」Pは、ほんの少しだけ天井に目をやった。そしてしばらくしてから「お前は、ときどき、物々交換のようなことをするんだ」と言った。

 物々交換は知っていた。でもその後ろに「ようなこと」がつくと、どのようなイメージも湧いてこなかった。

「具体的に言ってもらえると、助かるんだけど」

 Pは少し困ったような表情を浮かべた。「さっきから考えているんだけど、適当な言葉が見当たらないんだ。だって、記憶も、映像も、創作話も、物体じゃないからな」


 僕は、自分の記憶と引き替えに、新しい何かを仕入れてくるらしい。その現象が、はっきり現れたのが、例のプロダクションでのミニ表彰式だった。とPは言った。

「お前が『この映像を撮った記憶はありません』と言ったとき、そこにいた全員が、謙遜だと思った。でも、しばらくするうちに、俺の考えは変わってきた。

 ひょっとすると、こいつの言葉通りかもしれない、てな。

 だって、あの映像は人間業じゃなかった。ぶっつけ本番。ワンカット三分の一繋がりの映像の中に、起承転結まで入っていた。主人公の心理状態を表すカメラワーク。見る側の心理を熟知した撮影。期待を持たせ、焦らす。そして、それを裏切ると見せかけた後に、誰も予想していないオチで、スパッと終わらせる。脚本があったとしても、俺には、あんなに上手く撮れない」

 Pの口調は、次第に熱を帯びてきた。でも、今日僕によみがえってきた記憶は、撮り直しがきかない撮影現場における、カメラマンとしての心理状態だけ。作品の中身を想像することなどできなかった。

「ということは、三分間の内容は、今でも覚えているんだな」

「もちろんだよ。あの作品が、天狗になっていた俺を、ぶちのめしてくれたんだからな」

 ふと頭に浮かんだことがあった。まさかとは思ったが、訊かないわけにはいかない。

「あの日の映像と、お前が不動産業を選んだことと関係があるんじゃないのか?」

 Pはにこっと笑って、あっさりと否定した。

「いや、それはない。逆に猛烈にファイトが沸いた。映像業界に行かなかった理由は、別にある」

 その言葉に、変な気遣いはなさそうだった。安心した僕は、Pに頼んだ。

「じゃあ、俺が無意識で撮った映像の中身を教えてくれ」

 待ってましたという感じで喋り出す。そう思って言ったのだが、彼は首を横に振った。

「それが、駄目なんだ」

 声と表情に、勿体をつけている様子はなかった。

「どうして?」

「俺も、サインをしたからだよ」

 

 レッスン室で撮影した映像の著作権はプロダクション側にある。その契約書と、急きょ作られた、撮影内容も他言しません。という書類にサインさせられたのは、引率者のミスダツと、映像学科の生徒全員。驚いたことに、撮影者の僕は、拇印による捺印までさせられたらしい。

「でもな」そこでPは嬉しそうに微笑んだ。「こいつが喋った話を他人に漏らしたら、膨大な損害賠償を請求しますからね、と担当者を脅してやったんだ」

「ということは、お前が、俺の代わりに、契約書を作ったってこと?」

「いや、俺がそう言ったのは、お前が、あの話を二言三言喋ったときだった。メモをする暇もなかったと思うよ」

 頭の中で、Pの言葉を映像化してみた。

「つまり、プロダクションの担当者は、腹を立てて、部屋を出て行ったわけだ」

「半分アタリで、半分ハズレ。部屋を出て行ったけど、怒ってはいなかった。ぜひ原案を見せて下さいと、丁寧なお辞儀をして出ていった」

「じゃあ、俺の話を聞いたのは、ミスダツと、生徒たちだけなんだな」

「ブー」Pは、悪戯がバレたときの子供のような顔で笑った。「実を言うと、粗筋を知っているのは、俺だけなんだ」

 その理由を訊ねる前に、Pが言った。

「生徒もそうだろうけど、話し好きなミスダツが、人に喋らないわけがないからな、でも、安心しろ。あいつらが知っているのは、あの話の中に出てくる登場人物の一人が、ちょんまげをつけたブリキのロボットだということだけなんだ」


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