僕の特長
Pのスマホに残されていた通話記録を全て聞き終えた僕は、本音を打ち明けた。
「お前も祈祷師の爺さんも、そのままで良いと言ったけど、俺としては、今すぐにでも医者に診てもらいたい気分なんだ」
しかしPは笑みを浮かべたまま、脳天気な言葉を口にした。
「大丈夫だよ。お前の場合、記憶が消えるのは病気じゃない。特長なんだ。できるものなら、俺もそうなりたい」
「バカなことを言うなよ」当然僕の口から、そんな言葉が出てくる。「無職になったことを報告したのは、会社が倒産した次の日。映像会社設立断念の一報を入れたのは、友人がアメリカに発ったその日だったんだぞ。自分の人生に関わる話をしたことを、まったく覚えていない欠陥人間のどこが羨ましいんだ」
だが、僕の気持ちは、Pには伝わらなかった。
「分からない奴だなあ」Pは諭すような声でつづけた。「どうしてお前は、負の部分だけに目を向けるんだ」
負の部分?
言葉の意味を考えてみたが、何も思いつかなかった。
「俺は算数に弱いんだ」
ピント外れのセリフを口にした僕に、Pは質問を交えながら説明してくれた。
Pが僕の「特長」に気づいたのは、入学式当日。それ以来、彼は僕の言動に注意を払うようになった。自分の推測に確信を得たのは、映像学科の初めての課外授業。タレント志望の女の子たちを被写体にした撮影大会だったらしい。
「車の中で聞いたけど、プロダクションでの記憶が少し戻ってきたようだな」
そう言われて、すっかり忘れていた記憶が、よみがえってきたことを思い出した。
「まあな」
わざと気のない返事をしたのは、マドンナの胸元までいったカメラの次の動きが、記憶の扉の向こうに隠れたままだったからだ。
「細かいことまで言うと、時間がいくらあっても足りないから結論を言うよ」Pは、夜が明け始めた窓に目を向けてからつづけた。「あの日の最優秀賞は、お前だった」
話の流れから、その言葉は予想できた。しかし、十年あまりの時を経て、記憶によみがえってきた映像を基に考えてみると「ずいぶん、ひんしゅくを買ったんだろうな」のセリフしか出てこなかった。
もちろんその言葉に、謙遜の、けの字も、謙虚の、けの字もなかった。
なのに、Pは「今どき、慎み深さなんて流行らないぞ。自分の気持ちを正直に言うようにしたほうがいいんじゃないのか」と言った。「一言で言えば絶賛の嵐。なにしろ、一番喜んでいたのがマドンナだった。あいつは、高校生のとき、アルバイトでモデルの仕事をやったことがあるらしい。でも、あんなに美しく撮ってもらえたのは初めてだったって、言っていたからな」
前にも言ったと思うが、僕は人の話を簡単に信じるタイプの人間だ。でも、この手の、褒められ話となると、それとは真逆の反応をみせる。
「そんな作り話は、どうでもいい。はやく続きを聞かせろ」
僕は右足で蹴る真似をした。
「はいはい、分かりましたよ、大先生」とぼけた声でそう言ったPは、急に真面目な口調になった。「みんなが驚いたのは、優勝者の言葉を求められた時の、お前の話なんだ」
Pはそこで、反応をみるように、間合いを取った。でも、僕には言うべき言葉など何もなかった。はやくその先を知りたかっただけだった。
「で?」
しばらく僕を見つめていたPは、咳払いをひとつしてから口を開いた。
「お前は、こう言った。『実を言うと、この映像を撮った記憶はありません』」
僕には、そんなことを言った覚えはなかった。でも、Pが言うのだから、それに間違いないだろう。
「で?」
「たぶん照れ隠しで言っている。あそこにいた人間の、だれもがそう思ったと思うよ」そこで言葉を切ったPは、当時を思い出したような顔で「でも、みんなが驚いたのは、その後のお前の話なんだ」と言った。
Pはどちらかというと、あっさりとした性格の持ち主だ。でも、妙に気を持たせるような言い方をするときがある。そんなときは大体、頭の中で出来上がっている話の順番を考えているときだ。
「迷っているのなら、時間軸に沿って話してくれよ。その方が分かりやすいから」
「了解」Pはカップの底に残っていたコーヒーを口に含んだ。そして、それを飲み込んでから静かに語り始めた。
「あの話がはじまったのは、お前の表情が消えてから、三秒ほどしてからだった」