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祈祷師のありがたい言葉

 そのときの話を、Pに聞かせてやろうと思ったが、その前に確認を取ることにした。僕の記憶にはないが、すでに話済みの可能性があったからだ。

「祈祷師のお爺さんに会ったときの話は、何度かしたよな」

「いや」Pは即座に首を振った。「お袋さんに連れられて、変な祈祷師の家に行ったことがあるということは聞いたことがあるけど、どんなことがあったかまでは聞いていない」Pは少し身を乗り出した。「どうして、そんな話が今出てきたんだ」

 僕のことを心配しているような口調に、すこし嬉しくなった。

「大した話じゃないんだけど、思い出したついでに聞いてもらおうか」

 そこで僕はわざと、にやっと笑ってから、冷蔵庫のあるキッチンまで歩いて行った。そして、一番冷えていそうなコーラを選んだ。

「実を言うとな」僕はソファにもたれながら、ボトルのキャップをひねった。「その祈祷師のお爺さんも、今のお前と同じようなことを言っていたんだ」

 

 その祈祷師は、知る人ぞ知る有名人だった。

 孫娘と二人で暮らしている屋敷は、人里離れたバス停から山道を歩いて二時間ちょっとの、深い深い山の奥。

 何人もの紹介者を介して、やっと面会できたということもあって、母は三十分近く僕の奇行の数々を並べ立てた。そして話の最後に、畳に両手をついて、こう言った。

「お願いです。この子に取り憑いているものを、追っ払ってください」

 するとお爺さんは、笑いながら母に訊いた。

「洋楽は、お好きかな?」

「え?」母は呆気にとられたような顔で、お爺さんを見つめた。そして、しばらくしてから、遠慮がちな声で「申し訳ございません。もう一度、おっしゃっていただけませんでしょうか」と言った。

「私の言い方が、拙かったようですな」苦笑いを浮かべたお爺さんは、言葉を変えた。「ポピュラー音楽は、お好きかな?」

 またしても母は「え?」と言った。傍から見ていても、母の視線が宙をさ迷っているのが分かった。

 僕が言うのもなんだが、母は頭の回転が速い。一を聞いて十を知るタイプ。だが、その時の母は、今思い出しても吹き出したくなるくらいに、動揺していた。

 後に母は、こんな弁解をした。

 とうの昔に百歳を越えた人間国宝みたいな方の口から、俗世界の言葉が出てくるとは思ってもいなかったからよ。私には、謎の言葉にしか聞こえなかった。

「私どもの世界で、ポピュラーオンガクと申しますと、外国の音楽のことでございますが……」

 やっとの思いでそう言った母に、お爺さんは、安心したような笑みを浮かべた。

「どうやら、意味が通じたようですな」

 だが、母の混乱は更に増した。意味が通じた、の意味が分からなかったのだ。

 この祈祷師には、私が言ったことが、何ひとつ伝わっていない。自分では声に出したつもりだった。でも、心の中で、つぶやいただけだったのかもしれない。

 しかし、母はその考えをすぐに打ち消した。自分の耳の奥に、今言った言葉が、そっくりそのまま残っていたからだ。

 話をしたのは、間違いない。だから、祈祷師は私を見ながら、うなずいていたのだ。

 確信を深めた母の頭を、かすめたものがあった。

 この方は、ずいぶん歳をとっている。高名な祈祷師とはいえ、耳が遠いのかも知れない。

 しかし、いくら何でも、もう一度言います。こんどこそ、ちゃんと聞いて下さいね。なんて言えるわけがない。なにしろ相手は雲の上のお方なのだ。

 そんなことを考えていたとき、なぜか紹介者の言葉を思い出した。

「相談内容は自由。でも、面会時間の三十分をオーバーしないこと。先生は、次の相談者のために、その都度、身を清められるの。あなたは際限なく喋る癖があるから、気をつけてね」

 際限なくの部分が、妙に気になった母は、確認のために腕時計に目をやった。

 あ、いけない。

 母は、あわてた。すでに制限時間を過ぎていた。

「誠に申し訳ございませんでした。また出直して参ります」

 畳に額をこすりつけて、自分の非を詫びた母の頭の中で、あざけりの声が響いた。

 あんたは、何のためにここまでやって来たの。息子に無様な姿を見せるため?

 母いわく、それは、もう一人の自分の声だった。

 気がついたら叫ぶように言っていた。

「お願いです。一言で結構です。この子のために」

 お爺さんは、にっこり笑って大きくうなずいた。

 僕は今でも、お爺さんの口から出てきたその言葉を、はっきりと覚えている。

「レット・イット・ビー」

「え?」母は、ぽかんとした顔のままで訊いた。「と言われますと、あの……」

「そのとおり」母の言葉をさえぎったお爺さんが、ピアノの鍵盤を叩くような動作と共に口ずさみはじめたのは、あのビートルズの名曲「Let it Be」だった。


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