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他言無用

「いいわよ、教えてあげる」佐々木小次郎の扮装をした彼女が言った。「なんたって、あの会長が、上座に迎えた人だもん」

 あまりにも単純な答えに、がっかりした。でも、理由はそれだけではなかった。

「お姐さんが言っていたけど、お座敷にこんなラフな恰好で来た人は、会長とあなたの二人だけなんだって」

 そこで僕は、改めて自分の服装を眺めてみた。

 この恰好で銀座を歩いたとしても、不審者として警察官に呼び止められることはないだろう。でも確かに、高級料亭に主賓として招かれたときに着用する服装ではなさそうだ。

「本物の金持ちは、服装なんかにこだわらないらしいの。でもね」彼女は言葉を切って、小さく笑った後、ある指摘をした。「お金がないように見せようとするあまり、過剰な演出をすることがあるんですって」

 過剰な演出?

 自覚はなかった。でも、一応考えてみた。しかし、何も思いつかなかった。

 黙ったまま天井を見上げている僕に代わって、Pが「たとえば、どんなこと?」と訊ねると、彼女は、あっさりとした口調で答えた。

「靴下」

 自分の顔が赤くなるのが分かった。心当たりがあった。

 今朝着替えをするとき、靴下だけは新品にしようと思っていた。だが、履き古しの靴とのバランスが取れないことに気づいて、確認もせずに、引き出しの中から選んだものを穿いてきたのだ。

「すると、あれだな」Pは明るい声でつづけた。「左足のかかと」

「そう、穴のあいた靴下は、やり過ぎ」

 顔から火が出た。二人が知っているということは、あの部屋にいた全員に見られていた可能性が高い。

 恥ずかしさで顔が上げられない僕の背中を、Pがポンと叩いた。

「どうやらお前には、セレブとしての修行が、まだまだ足りないようだな」

 この言葉で、僕の個人情報の一部が、完全に間違ったまま、佐々木小次郎と支配人の二人に伝わってしまったようだ。

 ホテルの施設を案内してもらう途中で何度か、現在、無職なんです。派遣社員の登録もしています。と言っても、全然信用してもらえなかった。

結局その日僕は、五時間以上ホテルの内部を見て回った。

 と言っても、表面的なものを見たわけではない。支配人は、破産寸前のホテルが、盛況を取り戻すまでの経緯を詳しく教えてくれた。

 しかし、それをここに書くわけにはいかない。このことは内密に、と釘を刺されたからだ。

 そのメールが入ったのは、サウナで汗を流し、Pのマンションに着いた頃だった。

 クックックッ、

 ソファに腰をおろし、スマホを開いたPが、嬉しそうに笑いながら言った。

「お前のおかげで、あいつも、本気になったみたいだぞ。これで、あのホテルの跡継ぎ問題も解決しそうだ」

 僕は、飲もうとしていたコーラをテーブルに置いた。支配人は、どこからどう見ても、僕たちより年上の人間だったからだ。

「お前さあ」僕はわざと不機嫌な声で注意した。「もう社会人なんだから、年上の人を、あいつ呼ばわりするのはやめろよ」

 するとPは、笑った目を僕に向けた。そして「その辺の所は、ちゃんとわきまえているつもりなんだけどな」と挑戦的な言葉を口にした。

 まともな答が返ってくるとは思わなかったが、それでもカチンときた。

「時と場合を使い分けている、って言いたいのか?」

「そりゃ、そうさ」

 またもや、人を馬鹿にしたような言葉。

 そこで、ふと、思った。

 こいつの、口の悪さを治すために、東京までやってきたのかもしれない。

 急に使命感のようなものを感じた僕は、組んでいた足をほどいた。そして、できの悪い生徒に、世間の常識を聞かせる教師になったつもりで言った。

「友達の俺だからいいよ。でも、これが、敵方の人間の耳に入ったときのことを考えたことがあるか。ちょっとした失言が後々、自分の首を」

 話の途中でPは、待っていましたと言うようにニタニタ笑った。

「お前。何か、勘違いしているんじゃないか?」

「はぁ?」

 僕の口から気の抜けた声が漏れたのは、こういったシチュエーションになった場合、100パーセント近く、Pの言った通りになるからだ。


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