余計な話がもたらしたもの
僕たちの後ろにいたのは、先ほどの芸者。
正確に言えば、つい先ほどまで芸者の恰好をしていた彼女。いつの間に着替えたのか、背中に刀を背負い、黒髪を肩まで垂らした若侍のいでたち。額のはちまきには「佐々木小次郎」の印刷があった。
しかし、その小次郎は、しらけた顔をして突っ立っているだけだった。
Pは、そんな彼女をからかうように言った。
「こんなに色っぽい小次郎は、見たことがない。お前には、こっちの方が似合っているようだな」
「うるさい」
不機嫌な声でそっぽを向く彼女に、Pは続けた。
「設定は、誰かを助けに来た佐々木小次郎で、いいんだな」
そのセリフが、彼女に次の行動を促す意味と、展開が読めずに戸惑っている僕に対するものだったとすると、Pの思惑は半分だけ功を奏したことになる。
「作戦中止」
彼女がそう言うと、七人の女忍者は、ほっとしたような笑顔を浮かべて、手を振りながらカウンターの奥に消えた。
話の流れからすると、芝居を中止にさせたのは、僕のようだ。気まずい空気が流れる前に、謝ったほうがいい。
「悪いことをしてしまったようですね」
「ううん」彼女は笑顔を浮かべて言った。「設定が幼稚すぎたの。やらなくって正解。あのまま続けていたら、自己嫌悪に陥っていた」
ほっとしたと同時に、疑問が浮かんできた。
なぜ彼女は、そのような芝居を試みようと思ったのだろう。
そのヒントを引き出したのは、にやにやしながら僕たちを眺めていたPだった。
「よっぽど、そいつが気に入ったみたいだな」
「あのさあ」彼女は横目でPを睨んだ。「いくら親友だと言っても、私たちの前で、そいつという呼び方はないでしょう」
すると、Pは嬉しそうな声で言った。
「じゃあ、何て呼べばいいんだ」
「決まっているじゃない。会長と同じように、あなた様でしょ」
もしここでPが「嫌だね」の一言で済ましていたら、違う展開になっていたのかもしれない。だが、彼は余計な話を付けくわえた。
「嫌だね。そいつのことを、そいつと呼べるのは、俺だけの特権だからな」
「特権?」
「そいつは何も言わないけど、噂によると、薩摩の国の御曹司らしいんだ。それもどえらい金持ち」
あまりのばかばかしさに、笑いながら口を挟んだ。
「どこの誰が、そんなこと言ったんだよ」
「誰がって、みんなだよ」
「バカなことを言うなよ。知らない人が聞いたら、本気にするじゃないか」
僕としては、本当のことを言っただけだが、それがP以外の人間には、謙遜の言葉に聞こえたらしい。
「あなた様のお話に引き込まれていたものですから」支配人がバネ仕掛けの人形のように、パッと起ち上がった。「こんなところで、立ち話もなんですから、こちらにどうぞ」
案内されたのは、支配人室。
濃いめの緑茶を勧めながら、支配人は申し訳なさそうな声で言った。
「お口に合うかどうか分かりませんが、当ホテルでは一番のお茶でございます」
それが芝居ではないのは明らかだった。
「誤解は早めに解いた方がいいと思いますので」と言って支配人の言葉を遮った。「僕は御曹司でも何でもありません」
一旦、相手が思い込んだものを翻すことは、非常に難しい。そのことを学んだのは、その時だった。
「ねえ」佐々木小次郎が言った。「どうして、そんな見え透いたウソをつくの?」
ウソ、の意味が分からなかった。
「僕が?」
自分の顔を指差さすと、彼女は大きく二回うなずいた。
「そうよ、あなた様。大嘘つきの御曹司様のことでございます」
彼女が冗談で言っているのか、本気なのか分からなくなった。当然、どういう言葉を返せばいいのかも分からなくなった。
「ちゃんと説明してくれよ」
Pに助け船を求めたが、彼は面白がるような声で「説明って言われてもなあ」と言った後「じゃあ、どうして御曹司だと分かったのか、聞いてみればいいじゃないか」と言った。




