プロジェクトEDO
そこに、あたふたと駆け込んできたのは支配人。服装は先ほどのまま。はかまに裃の侍姿。
「会長様のお見送りもできずに、誠に申し訳ありませんでした」
僕たちの前に両手をつき、額を畳にこすりつけるその仕種は、時代劇そのもの。
そういえば、守衛二人も侍の恰好だった。どういうコンセプトで、こんな恰好をしているのだろう。
僕は二人のやり取りを見守ることにした。
「いえ、そんなことは構いません。どうぞ、頭をお上げください」
Pがやわらかい言葉で言うと、支配人は手をついたまま「ははーっ」と言って、顔だけを上げた。大げさすぎる声と所作。まるで三文芝居を見ている気分。感動も驚きもなかった。だが、彼の頭には、びっくりした。
カツラではなかった。頭の上にあったのは、本物のちょんまげだった。
僕の視線を感じたのか、支配人は、嬉しそうに笑った。そして、手のひらを頭のてっぺんに置くと、ペタペタと叩いた。
「このおかげで、今日、射止めた女性は十三人です」
何のことかと思ったら、記念撮影を求められた数だった。
こんな高級料亭に女性客? いわゆるセレブ階級のマダムたちだろうか。
そのことを訊こうとする前に、Pが僕の肩を叩いた。
「じゃあ、変わりゆく東京の姿を見せてやるよ」
その時点で僕は、これから秋葉原か、お台場のどちらかに出かけるのだろうと思っていた。
「了解」
僕が勢いよく立ち上がると、芸者たちの体が、一瞬固まったようになった。
「ほら、あなたたち」
あわてた様子で、箸を置き、立ち上がろうとする年増の芸者。しかしPは、両手を広げて、それを制した。
「そのまま、食事をお続けください」
部屋の中にほっとした空気が流れる中、一人の芸者が、箸を持った手を高く上げて、左右に揺らした。
「待っててね。後から行くから」
「ほら、また、行儀の悪い」
年増の芸者にたしなめられたのは、 もちろん、あの芸者。
「ったくもう」苦笑いを浮かべたPは、ちらっと僕を見てから、視線を戻した。
「ああ、いいよ」そのあと屈託のない声で続けた。「来るなと言っても、来るだろうからな、お前は」
門構えや庭園の様子から、招待されたのは老舗の料亭だと思っていたが、ホテルの施設の一部に過ぎなかった。
渡り廊下を歩いて、突き当たりを右に折れたところにエレベーターがあった。中に入るとPは、最上階のボタンを押した。
屋上に出たところでPは、感想を求めてきた。
「どう思う? この眺め」
周りは高層ビルだらけ。まさしく、ここはビルの谷間。
どこから飛んできたのか、屋上には、落ち葉が幾重にも層を成していた。四方に張り巡らされた太い手すりは、すっかり錆び付き、辛うじて鑑賞に堪えるのは、頭の上の切り取られた青空だけという有様。
見たくもない。
と心の中で言ってから、支配人の気持ちを考えて、別の言葉を口にした。
「あんなに美味しい料理を食べた後で、くるところじゃないと思う。でも、ここに花の種を撒けば、違う世界が現れるんじゃないかな」
ちょっと皮肉が強すぎたと思ったが、支配人の反応は意外なものだった。
「さすがは、会長が見込まれた方ですな」
それが、僕に対する言葉なのか、会長秘書のPを指すのか分からないまま、再びエレベーターに乗り込んだ。
「地上15階、地下一階。できた当時は、この辺りで一番の高層ビルだった。でもそれは、束の間の繁栄。今や解体の危機」
他人の耳などお構いなしに言うところは、昔のPと変わらない。となると、僕も昔のように、フォローの言葉を考えないといけない。だが、急なこと故、良い表現が浮かばず、ダイレクトに注意するしかなかった。
「そんなこと言っちゃだめだろう。関係者がいるんだぞ」
すると、エレベーターの壁に寄りかかって僕を見ていたPは、嬉しそうな顔で、支配人と肩を組んだ。
「実を言うと、この俺も、その関係者の一人なんだ」
倒産寸前の古いホテルを再生する『プロジェクトEDO』の参謀本部は、地下にあった。
Pは、ずらりとならんだ衣装を指差しながら言った。
「今日は、お前も特別顧問。どれでも好きなものを着ろ」
「あのさ、その前に訊きたいことがあるんだ」返って来る言葉は予想できたが、壁に吊してある横断幕に顔を向けた。「何だよ、プロジェクト、イー、ディ、オー作戦っていうのは」
Pの良いところは、質問者が答を知っている場合でも、丁寧に説明してくれるところだ。
「本当は、プロジェクトEDにするつもりだったんだ。でも、その二文字だけだと、まったく別の意味に取られちゃうだろう。だから、そのまま三文字にしたんだ」




