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心の中の卑しいもの

「今は、主に、どのようなものを撮影されていらっしゃるのですか」

 その質問に、違和感のようなものを覚えた。

会長が、現在の僕のことを知らないのは、うなずける。

 Pという人間は、余計な話をしない。Pが報告したのは、街の風景の制作者が、自分の友人だったということだけだったのだろう。第一Pは、僕が無職だと言うことを、まだ知らない。

 それを元に考えると、会長が、僕をプロのビデオカメラマンだと思い込んでいても、おかしくない。

 でも分からないのは、質問が僕に関するものからはじまった理由だ。

 会長は、ついさっき「あの日の、二人の様子を教えていただけませんでしょうか」と言ったばかり。高い金を払って、わざわざ僕を東京まで招待したのは、それを直接聞くためだったはず。

 その理由を考えようとしたとき、予期せぬことが起こった。僕の思考回路が、思わぬ方向に転がり始めたのだ。

 

 会長は、僕のすべてを知っている。何も知らない振りをしているだけ。

 確信に近い思いが、突然頭に浮かんできた。

 会長は人も羨む億万長者。だが一方で「鬼」と呼ばれることもあるらしい。現在の地位に上り詰めるまでには、あくどい手段や、きたない手を使ったことが、きっとある。

 そのような人間が、何の予備知識も持たずに、初対面の相手に接するだろうか。

 いや、絶対にあり得ない。自分が優位に立つために、ありとあらゆる手を尽くして、相手の情報を収集する。

 つまり、僕や僕の家族に関する資料は、すべて揃っている。

 でも、何のために?

 疑問と同時に、閃きが走った。

 あの両親だ。あの両親は、会長の秘密を知っている。世間に公表されると、今の地位を失うほどの秘密のすべてを。

 会長は、僕がその秘密を嗅ぎつけたと思い込んでいる。だから、この僕を招待という名目でおびき寄せた。質問に対する僕の答の中から、口止めの手段を見つけだしてやろうと企んでいるのが、この会長。


勝手にたどり着いた結論に、愕然とした。

 僕は今まで、人を疑ってかかったことなんかない。相手を悪人だと決めつけたこともない。なのにいとも簡単に、下卑たストーリーが出来上がってしまった。

 つまりこれは、相手の心のひだの奥の奥まで探ろうとする卑しいものが、僕の中に隠れているという証拠。この衝撃に比べると、レッスン室での記憶が抜け落ちていたことなど、何でもない。

「答えたくなければ、それでもいいんだぞ」

 Pの声で我に返った。

 頭の中のものを、あわてて追っ払って、あれ以来、撮影はしていません。と言おうとしたところで、別の言葉が浮かんできた。僕はテーブルのプレーヤーを指差して、それを口にした。

「これが、僕の最後の作品です」

 ふたたび会長の顔に戸惑いの色が浮かんだのは、僕の声の中に、怒りのようなものが含まれていたのかもしれない。会長は、助けを求めるような目を、Pに向けた。

 しかし、Pは「私にも意味不明です」と言うように、肩をすぼめただけだった。

 重苦しい空気が流れ出す寸前に、すっと襖が開き、現れたのは、若女将。

「お話が盛り上がっているときに、申し訳ございません。食事の用意が調いました」

 さすがは老舗の料亭。料理上手な母親に育てられた僕も唸るほどの美味だった。見た目が美しい上に、美味しい料理は、人の心を和ませる。

 料理がテーブルに並び始めた瞬間から、僕たち三人の頬は、すっかり緩んでいた。

「こいつは、バカなんです」Pがそう言ったのは、食後のお茶を飲んでいるときだった。「友達がアメリカにいったというだけで、夢を諦めてしまったんですからね」

 湯飲みをテーブルに置いた会長は、僕に顔を向けた。

「よろしかったら、そのあたりの事情を話していただけませんでしょうか」

 会長の目は、最初の印象と同じだった。

 人の心を和ませるこけし人形のような細い目。だが、それが一旦見開かれると、鬼の形相に変わる。そんな感じ。

 映像会社設立を断念したいきさつを話したのは、会長の目が怖かったからではない。自分の中に残っていた未練をきっぱりと断ち切るためだった。それを決定づけるために、僕は心の中で、ひとつのフレーズを何度も繰り返しながら、話を進めた。

 これで、映像の世界とはさようなら。永遠に、さようなら。


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