街の風景の顛末
その話は、そこで終わった。
と言っても、僕が細かい指摘に腹を立てて、会話を打ち切ったわけではない。
「インターを降りたら、5分で着く。その話も含めて、今晩たっぷり語り合おうぜ」
Pが、そう言ったからだ。
その代わりPは『街の風景』が、どのようにして会長の目に止まったかを教えてくれた。
かいつまんで言うと、こうなる。
夜中過ぎまで行われた役員会議が終わり、翌日のスケジュールを確認したあと、会長室を出ようとしたPは、今日届いた宅配便のことを思い出した。
「あ、そうでした」と言ったところで、Pは、口を滑らせたことに気づいた。しかし、その声は、すでに会長の耳に届いたあとだった。
「なんだね」
接客用の椅子で、夕刊に目を通していた会長が顔を上げた。
こうなると、話をつづけないわけにはいかない。
「いつもの彼から、贈り物が届いたんです」
夕刊を横に置いた会長の顔に、微笑みが浮かんだ。
「じゃあ、今回も、ご相伴にあずかるとしようかな」
自分のロッカーに行くまでの間、Pは自分を責めた。
今回だけは、黙っておけばよかったんだ。いらぬことを言ったばかりに、会長を落胆させてしまうことになるじゃないか。
今日の中身は、焼酎一本とDVDだけだった。駄菓子も特産品も入っていなかった。森伊蔵が幻の焼酎と呼ばれていることは知っている。でも、会長には珍しくもなんともない。これと同じ焼酎が毎月数本届く。会長を慕う人々からの贈り物の定番なのだ。でも会長は、自分では飲まない。会長を経由して、他の人間に配布される。
その時、Pに閃きが走った。
案外、こっちを喜んでくれるかもしれない。
Pの脳裏に浮かんだのは、以前会長が、ふと、洩らした言葉だった。
私の原動力は、親から勘当された腹いせなんだ。
もしかすると、会長は、故郷に一度も帰っていないのではないだろうか。人の目を避けるようにして、旅番組に関する記事をチェックしているところを何度もみたことがある。生まれ故郷に、強い未練があるのかもしれない。
部屋に戻ったPは、一礼したあと「今回は、駄菓子類は入っていませんでした」と言って、焼酎だけをテーブルの上に置いた。そして、言い訳のように付け加えた。「でも、なかなか手に入らない焼酎らしいんです」
「ほほう」
会長は、生まれて初めてのものを見るような表情で、化粧箱入りの焼酎を手に取った。
「君の言う通りだ。私の友人も、これを手に入れるのに苦労しているらしい」そこで会長は、Pに視線を向けた。「封を切ったときでいい。お猪口一杯、いただけるかな」
会長は、名前の上に『鬼の』という文字がつく人物として、業界では名が通っているが、
実は他人に対しては、とても優しい。いつもながらの心遣いを再認識したPは、ひれ伏すような恰好で言った。
「じゃあ、今ここで、というか、このまま全部差し上げます。どうぞ受け取ってください」
すると会長は「それじゃ、君の友人に対して失礼だよ」と、やんわりと断ったあと、何かに気づいたように背筋を伸ばした。「それも同封されてきたのかね?」
会長の視線は、後ろ手に持ったDVDにあった。
「ええ、そうです」
と言ったものの、少し後悔した。
よかれと思って持ってきたが、映像は三分程度。しかも現場音のないミュージックビデオ風。第一、このDVDが入っていた理由が分からなかった。
「がっかりされるかもしれませんよ」
Pはしかたなく、ケースのまま差し出した。しばらくタイトルを眺めていた会長が、Pに訊ねた。
「これは、君の友人が制作したものかな?」
「違うと思います」Pは首を振った。「カメラも三脚も、プロ仕様の本格的なものを使っているようです。むこうの映像会社の試作品だと思います」
しばらく何か考えるような目をしていた会長が、口を開いた。
「今見ることができるかな?」
「たぶん、ノートパソコンでも大丈夫だと思います」
と答えたが、昼休みにチェック済みだった。映像に詳しくない人間でも、これがパソコンで作られたものだと分かるものだった。
こういったDVDの場合、タイトルとはまったく関係のない映像が納められていることもある。
どうして、そんな面倒なことをするの?
という疑問を持つ人のために説明すると、それは、他人の目をごまかすためだ。
その件に関しては、大いに身に覚えがあるPは、期待しながら、自分のパソコンで再生を試みた。
映像を見ることはできた。しかし、残念ながら、というか、当然というか、タイトル通りの中身だった。街の風景が三分間映っているだけだった。
どこかに隠しファイルがないか調べてみた。三回繰り返して見た。
でも、映倫が目をむくような画像は、なにひとつなかった。
なんで、こんなDVDを送ってきたんだ。期待が大きかっただけに、Pは送り主に腹を立てた。
「できるかどうか、確認してきます、三分ほどお待ちください」
ケースから取りだしたDVDだけを持って部屋を出たPは、隣の部屋に行き、念のために再度チェックした。
BGMの「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」はPの父親の好きな曲だった。でも、その父親より少し年上の会長は、演歌しか聴かない。
しかし大丈夫。
映像と音楽は、妙にマッチしていた。仕事に疲れた耳にも心地よかった。
どんな制作会社が、何の目的で作ったのかわからない。ローリングストーンズの曲を使っているところを見ると、物好きな社員が、自分が楽しむためだけに作った可能性が高い。とすると、制作者は、あいつの友達かもしれない。作品の出来映えを評価してくれという意味で送ってきたのだろうか。
そんなことを考えながら、最後まで見たPは、もう一度再生ボタンを押した。そして、タイトルが出てくる手前で、一旦停止状態にした。その理由は、なんかの手違いで、指がパソコンのキーに触れ、隠しファイルの画像が出てきたら、とんでもないことになると思ったからだ。この状態にしておけば、あとは一旦停止を解除するだけでいい。
再び会長室に戻ったPは、会長の机の上にパソコンを置いた。彼は画面を会長の視線に合わせてから、簡単に説明した。
「中身は三分です。私はここに控えておりますので、終わったら教えて下さい」
三分という言葉に、会長は少し不満そうな表情を浮かべた。自分の生まれ育った故郷の風景をもっと見たい。そんなふうにみえた。
だが会長は、すぐに満足そうな笑みを浮かべると「三分だけでもありがたい」と言った。
息をのむような気配が伝わってきたのは、再生ボタンを押して、しばらくしたころだった。
Pが顔を上げた時、会長は、すでにパソコンを抱きかかえていた。全身を、わなわなと震わせている会長を目の当たりにして、いつもは冷静なPも、気が動転したらしい。
まずいぞ、これは。なにかの拍子に、昨夜の画像が出てしまった。
Pは、勝手にそう思い込んだ。
健全な男は、たいてい女好き。ご多分に漏れず、Pもそうだった。ちなみに、僕のエロに関する知識の発信源は、すべてPだ。
Pは、会長自身も自分と同じぐらいの女好きだということは知っていた。車の中で、若い頃の体験談を、冗談ぽい口調で披露してくれることがあるからだ。
でもそれは、時と場合による。重要会議の後で、見るような映像ではない。
このパソコンは、自費で購入したプライベート用。パソコン知識がほとんどない会長が、どこかのキーを触ったにしても、出てきたのは、自分の保管映像。この責任は全部パソコンの所有者にある。
怒鳴られる前に謝ろう。でも、どの映像が流れているのだろう。
昨夜見たのは「人妻シリーズ。旦那は留守だよ、全員集合」と「やわらかな肌。窒息寸前」だった。
しかし、パソコン画面に目をやったPは、自分の目を疑った。
流れていたのは、間違いなく『街の風景』の映像だった。ほっと胸をなで下ろしたPは、別の意味で、もう一度自分の目を疑った。
会長は、歯を食いしばって泣いていた。
映像が終わると、会長はあふれる涙を拭おうともせずに、Pを見据えた。
「これを撮ったカメラマンを探し出してくれ。経費はいくらかかってもかまわん。情報提供者にも謝礼金を出す」
Pが僕に電話を入れたのは、その直後だった。