Pとの再会
東京のどこがどう変わったか、自分の目で確かめたいんだ。
と言って、迎えを断ったのは、僕だった。
モノレールで浜松町まで。渋谷までは山手線。Pの会社へはタクシー。
これが、僕が立てた超ミニ旅プラン。
モノレールの料金は、いくらだろう。
ズボンのポケットに指を突っ込み、百円玉を探りながら到着ロビーを出たところに、見た顔があった。
出迎えの人混みの中から、にやにや笑いながら現れたのは、もちろんP。
僕の姿をまじまじと見たあと、目を細めて、懐かしむような声で、
「変わんねえな、お前」
と言った。でも、僕が知っているのは、ラフな格好をしていた頃のPだけ。距離が狭まるにつれて、彼が別人に見えてきた。
髪は七三。スーツは紺。白いワイシャツ。ぴかぴかのエナメル靴。おまけにネクタイまで結んでいた。
まるで就活中の学生。しかし、地味な服装にもかかわらず、彼のまわりには品位のようなものが漂っていた。どんな服でもみごとに着こなすセンスのよさは、僕には真似もできない。
「すっかり変わっちまったな、お前」
僕は、彼のネクタイを引っぱった。
「確かにな」Pは照れたような表情を浮かべた。「でも、中身は、あのまんま」そのあと彼は、顎をしゃくった。「会長は本社にいないんだ。だから迎えにきた。悪いけど急いでくれ。路駐なんだ」それから、思い出したように上着の内ポケットに手を入れると、名刺を一枚取りだした。「これが、今の俺」
ごく普通の縦書きの名刺だった。アルファベット付きの、Pの本名。いつも送り状に書く会社名、住所、電話番号。そのまま財布の中に入れようとした僕の目が、彼の肩書きで止まった。現在無職の僕は、十年の月日の流れを感じた。
「第三秘書って、どんな仕事をするんだ」
Pは、僕の質問を予想していたかのように、にやりと笑った。
「雑用係に決まっているだろう。お前好みの女の子を手配したり、こんなところまで、のこのこ出かけてくるぐらいだからさ」
「つまり、俺は、雑用扱いの客人ってわけだ」
僕は、ハハハハと笑いながら、Pのボディに軽くパンチを当てた。
路上駐車と言うから、軽自動車だろうと思った。
だが彼が足を止めたのは、映画の中でしか見たことのない車の横だった。この車を横綱に例えると、青いスーツが運転していた車は、前頭筆頭か、小結クラスだろう。
「ようこそいらっしゃいました。後部座席を用意いたしましたが、助手席の方が、よろしいでしょうか」
Pは、おどけた仕種で一礼した。
悪い冗談だと思った。駐車場入り口近くに停まっていたその車は、間違いなくロールスロイス。
「これ以上近づくと、警備員が飛んでくるぞ」
本気で注意した。
「じゃあ、試してみようか」
Pは運転席のドアに両手をかけた。そして力いっぱい引っぱった。
「開かないなぁ」Pは大げさに首を左右に振ると、笑えない冗談を言った。「体力が落ちたのかな」
「やめろよ」彼のベルトつかんでやめさせた。「バカじゃねぇか、お前。ガキだった頃とはわけが違うんだぞ。通報されるぞ。下手すると、逮捕だぞ」
僕の表情が、よっぽど真剣だったらしい。あるいは顔が青ざめていたのかもしれない。
「ごめん、ごめん」Pは自分の頭の後ろを掻きながら謝った。「お前の顔を見たら、つい、つい、あの頃の自分に戻ってしまったらしい」
ちょうどそこに、ベンツが通りかかった。嫌な予感がした。予感は的中。ベンツは僕たちの横で、スピードを緩めると、そこに停止した。
反射的に僕は、気をつけの姿勢を取っていた。自分は何もしていないのに、冷や汗が流れた。
スモークガラスだから、運転席にどんな人間が乗っているかは分からない。でも、視線を感じた。たぶんその目は、超高級車に注がれているのだろう。でも、その視界の中には、僕もいる。
Pの服装は問題ない。しかし、僕はといえば、綿パンにTシャツ、その上に羽織った半袖ジャケットは色あせている。僕はたった今、飛行機から降りたばかりの、正真正銘の旅行者。なのに、手土産ひとつ持っていない手ぶら状態。何も知らない他人の目には、十分に怪しい人間に見えるはず。
「で、お前の車は、どこ?」
一刻も早くこの場を逃げ出したかった僕は、Pを急かした。
するとPは、また意味ありげな笑みを浮かべた。
「実を言うと、俺は車を持っていないんだ」そしてわざとらしく言葉を切ってから、つづけた。「どうしてだか、知っているか?」
これは、十数年前に何百回も聞いた。何か企んでいるときのセリフ。だが、今は言葉遊びをする気分ではない。
「知るわけないだろう」と短く言って、Pを睨みつけたところで、ベンツがゆっくりと走り出した。もしかすると、空港関係者に連絡しに行くのかもしれないと思ったが、逆の方向に走り去った。
僕は安堵のため息をついてから、感情そのままに、語気を強めた。
「今度、悪い冗談をしたら、このまま引き返すからな」
「おお、こわ」Pは肩をすくめた。「お前がそういうときは、本気だからな」と言いながらも、さらにとぼけた声でつづけた。「最近物忘れがひどくってさ。借りてきた車の鍵をどこに入れたのか、忘れてしまったんだ」
まだ芝居をつづけるつもりなのか、お前。
と言おうとしたとき、やっと気づいた。
こいつも、再会を戸惑っている。到着ロビーでの僕と同じように、僕の中に他人を感じている。
今こいつは、あの頃の自分を演じることで、十年分の空白を、埋めようとしている。
どうやら、再会を心待ちにしていたのは、僕だけではなさそうだ。
もしかすると、何を考えているか分からないこいつにも、心が折れそうになったことがあったのかもしれない。誰にも言えなかったことを、お前に、聞いて欲しいんだ。そんな気持ちで僕を迎えたのかもしれない。
ふと、そんな思いが湧いてきて、あやうく涙ぐみそうになったとき、Pの無邪気な声が聞こえてきた。
「なんだよ、内ポケットに入っているじゃないか」わざとらしい声でそう言ったPは、僕の背中をポンと叩いた。「じゃあ、行こうぜ」
しかし、歩き出した彼の視線の先にあったのは、またもや、あの車だった。